第14話 名前で呼びなさぁーい!(リュナン編)


 ♦ ♦ ♦


 それにしても意外だった。

 彼女が再び奇跡を使ったことではない。自ら気に入らない使用人を排除しようとしたことだ。


「マチルダ嬢らの仕事ぶりは、それだけ彼女に迷惑がかかっていたのだろうか?」

「そんなことはなかったと思います。まぁ、我々の前では見下した様子を隠しておりませんでしたが……奥様の前では、それなりに弁えた態度だったかと思います」


 命じた仕事はどんな雑用であれ、しっかりこなしていたとセバスは言う。それと同時に、別に彼女らがいなくなったとて、屋敷は今まで同様セバスら三人・・だけで円滑に回ると。


 ――あの小さな体の中に、貴族への強い憎悪でもあったのだろうか?


 四人で録画鑑賞会をし、彼女と解散した後。

執務室でそんな想像をしていると、セバスが少し言いづらそうに口を開いてくる。


「コレット曰く……コレットがマチルダ嬢らに絡まれていたところを、見られたようです」

「……ほう?」


 元より、コレットが彼女らと上手くやれてないのは承知していた。

 彼女らは俺の愛妾の座を狙っていたようだ。愛妾とて、公爵のとなればかなりの地位。ましてや正妻が孤児上がりの娘ならば、ゆくゆくは自らが家人として采配を握ろうなどと考えていたのだろう。それにはどう考えても、実の妹のように態度の大きなコレットが邪魔だったに違いない。

 だけど自分の見立てでは、コレットは彼女らを相手にすらしてないように思えたが……。

 そんな俺の思考が読めたのだろう、セバスが苦笑を返してくる。


「だから甘い憶測にすぎませんが、奥様はコレットを守ろうとしてくれたのではないでしょうか?」

「まさにセバスからしてみれば『天使』じゃないか」

「その話はもうおしまいに……」


 セバスの失言は、先の録画鑑賞会でしっかりと聞かせてもらった。

 本当に、その結界に俺がいなくて良かったと……。


 ――俺の本音なんて、ただ醜いだけだからな。


 ともあれ、たった数日でここまで使用人と打ち解けてくれたなら何よりだ。彼女も彼女なりに、この屋敷での生活のコツを掴んだらしいし……その、『ぐーたらモード』だったか?


 どことなく、先に話した時の彼女は、朝と違いぼんやりしていたと思う。

 たしかに人前に出すには少々不安があるが……それでも別に会話が通じないといったわけではないし、むしろ――


「可愛いよな」

「何かおっしゃいましたか?」

「……気にするな」

「ノイシャ様は可愛いですよね」

「しっかり聞いているじゃないか」


 そう、そんな本音を自分を買った男が持っているなど、ただ嫌悪を抱かれるだけだろう。

『閨事を一切求めない』と契約書にあるのに――下手な愛着など、かえって彼女を不安にさせるだけだ。ただただ、彼女は少しだけ俺の奥さんを演じながら、この屋敷で『ぐーたら』していてくれればいい。


「しかし、彼女はもう奇跡が使えないんじゃなかったか?」

「調書では、そのようなことが書かれてましたね」


 奇跡が使えなくなったから、聖女として働くことができず身請けに出された。

 彼女はそのような立場だったはずだ。

 だからこうも毎日奇跡の行使を目の当たりにしていると、どうしても疑問が出てくる。


「今日のような制約付きの結界は、そんなに簡単な術なのだろうか?」

「いえ、私の記憶では、かなり高難易度の式だったと思われます」

「じゃあ……彼女の身体が回復してきていると?」


 回復とて、まだこの屋敷に来て一週間程度。食べたら腹痛起こして、奇跡を使ったら倒れて……そんな生活で回復するなら、わざわざ身売りに出す必要はなかった気がするのだが。


「今までどれだけ質素な暮らしをさせられていたんだ⁉」

「読みますか?」


 セバスが出してきたのは、俺が追加で頼んだ調査書のようだ。

 ひとまず一枚を流し見しただけで……俺は「うっ」と息を詰まらせた。


 それは八歳の聖女になってからの彼女の生活記録。

 起床は朝の四時。そこから礼拝堂内の掃除をし、飲み水として与えられるものはその掃除に使った水のみ。そこから正式な聖女の仕事として懺悔室を担当しつつ、午後には外回り。合間に花壇などの手入れもしつつ、また夕刻からの懺悔を担当。教会の門を閉じてから、ゴミ出しや繕い物の雑用から、各種の書類整理まで行い、就寝時間は深夜の二時以降。食事はゴミ出しついでにそこから本当に漁っていたらしい。


 残る数枚には、さらに彼女の仕事の詳細や当時の教会の経営記録および人員配置の推移などが記載されているようだ。近年の彼女はあからさまに仕事効率が落ちたということで、司教から『身請け』という形で損切りされたらしい。聖女の人員は近年明らかに減少しており、主に下請け作業をする孤児の引き取り数が激減しているらしい。


 ――つまり、全部彼女ひとりに押し付けられたということか。


 それをこなせてしまった有能さもまた、罪だったのだろう。

 だけどその家畜よりも酷い扱いに、俺は思わず腹を押さえる。


「すまん……残りはあとで読む。俺の胃が耐えられそうにない」

「では、あとで煎じ薬と厚手のタオルを用意しておきましょう」


 タオルは……涙なしには読めないということか?

 予想できる凄惨さに「頼む」と応えてから、俺は大きくため息を吐いた。


「そりゃあ、十年間もこんな生活に耐えられた方が奇跡だろ」


 しかも、まだ十にも満たない子供が。いや、子供だからこそ劣悪な環境にも適応してしまったのかもしれないが。


 それじゃあ、奇跡なんて使えなくなるわ。

 むしろ数日のんびりさせただけでここまで回復している方が奇跡だわ。


「少しは俺でも……彼女の役に立てたのかもな」


 そもそも、これは一つの失言を誤魔化すための対策だったはずだ。

 かえって悩みが増えたような気がするのは……まぁ、自業自得か。


 身請けなど、貴族社会ではそれなりによくある話だと思っていたが……本当に、俺には向かない話だったと後悔していた。が、不幸な少女をこうして救い出せたのだとしたら、少しは俺の馬鹿な失言も救われるのかもしれない。

 

 そう、ちっぽけな自尊心を満たしていると、セバスは「あぁ」と手を打つ。


「あ、そうそう。コレットから旦那様へ言付けがありました」

「コレットから?」


 正直、嫌な予感しかしない。

 だけど聞かないわけにもいかず、言葉の続きを待っていると。


「奥様のこと――名前で呼んであげてほしい、とのことです」

「は?」


 やっぱり、疑問符をあげるしかできない要求がやってきた。




 どうやら、コレット曰く。

 彼女の『自尊心』の低さは、自分を『役目』以外で認識していないからだという。


 ――そういうもんなのか?


 俺はこれでも『次期公爵』で。嫡男とか、坊ちゃんとか、そういう『役目』ばかりで呼ばれてきた方だ。だから今でも『リュナン』と名前で呼んでくるのは――領地で暮らす両親と、腐れ縁のこの二人くらいなものだろう。


「ノイシャさん、元気になってよかったわね~」

「おかげさまで」


 今朝もニコニコと詰め寄ってくるラーナに対して、彼女はお行儀のよい愛想笑いを返していた。彼女なりに『奥様』しごとに慣れてきたのだろう。コレットが用意した家用ドレスを品よく着こなし、姿勢よく立っている。


 そんな彼女は、やっぱりラーナのお気に入りらしい。


「そうだ! だったら月末にでもうちに遊びにいらして?」

「え?」


 思わず彼女が目を丸くすると、バルサが懐中時計を見ながら言ってくる。


「ラーナ、そろそろ出ないと時間が――」

「あ~もう、本当にあっという間なんだから~。でもいいわ。楽しみにしているからね!」


 ――そんな一方的な!


 月末までは、およそ半月。

 ラーナの家に遊びにいったら、彼女の労働時間が三分じゃ済まない。ずっとこの『お仕事モード』とやらで居させるには、いろいろと難しいだろう。また倒れさせるわけにもいかない。


 だけど彼女は今日も「いってらっしゃいませ!」と、頑張った様子でそう言ってくれるから。


 その健気な言葉がやっぱり嬉しくて。頑張っているのが目に見えるからこそ、可愛くて。

 彼女の『ぐーたらモード』や、不器用な『やっほい』姿がよぎるからこそ、


「行ってきます、ノイシャ」


コレットに言われるまでもなく。

俺は自然に、彼女の名前を口にしていた。

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