第13話 契約書の追記事項
その日の晩。
白いふかふかパン。あっさりトマトソースのかかった鶏肉団子。緑のポタージュスープ。あと一口サイズのお野菜やお魚がちょこちょこ。
そんな素敵な夕食をたらふく食べて、食後のお茶をちびちび貰っていた時だった。
「ノイシャ殿! 奇跡を使ったというのは本当か⁉」
「……契約には、違反していません」
食堂にバンッと入ってくる早々、いきなり大きな声をあげる旦那様に、私は答える。……だって本当のことだもの。
それなのに、息を切らした旦那さまは私に近づいてくる。急いで帰ってきたのかな?
「体調は? 腹が痛むとか立ち眩みがするとか頭痛がするとかないのか⁉」
「……今日も、ご飯が美味しかったです」
ありがとうございました、と頭を下げれば。
旦那様は「はあ~」と片手をテーブルに付きながら、大きなため息を吐いた。そして私の頭に手が伸びて――殴られる⁉ と肩を竦めたら、ぽんと優しく乗せられる。
大きな手に、私の頭はすっぽり収まっ……てはいないんだろうけど。なんか収まったような感触。あったかい。だけど旦那様は「す、すまない!」と慌てて手を退けて、そのままテーブルの対面に向かってしまわれた。
そして短い桃色髪をガシガシと掻いてから、窺うような目でこちらを見てくる。
「だ、大事がないなら良かったが……えぇと、何から聞けばいいんだかな」
「あ、あの……」
がんばれ、がんばれ私。
これを確認しなきゃぐーたらマスターが遠のく! と、私が意を決して尋ねる。
「今はぐーたらモードでのご対応でも、いいでしょうか?」
「ぐーたらモード?」
凛々しいお顔立ちの旦那様が、きょとんと青い目を丸くする。
私はあちこちに視線を動かしながら、懸命に口を動かした。
「ここ数日、過ごさせていただいて……どうやら奇跡がどうこうってより、お仕事モードを長時間続けている方が心身の負担になるらしく……」
「長年の過労がたたっているということだろうか」
「な、なので! 術の難易度によらず、労働時間じたいを固定していただきたいかと!」
契約内容の更新。それを申し出れば、旦那様は真面目な顔で頷いてくれた。
「それで、こちらに何も支障はない。元より、きみには朝の見送り以外に何も要求することはないんだ。そのお仕事モードなり、ぐーたらモードなり、奇跡の使用なり……きみの身体の負担にならない限り、ラーナたちの前以外では好きに切り替えてくれ」
「ありがとうございますっ」
私はホッとして、顔の力をゆるめる。
あ~、よかった。これで安心して、また安寧のぐーたら生活に一歩近づいた。やっほい!
私が両手をあげていると、旦那様は椅子に座り、手に顎を乗せた。
「ちなみに、その『へにゃ』っとしているのが、ぐーたらモードだろうか?」
「や、やっぱりダメでしょうか? 鞭で打ちますか?」
「打たんっ‼」
お、大きな声……。
旦那様にお茶を淹れようとしているコレットさんと、控えていたセバスさんが一緒のタイミングで口元を押さえている。それに、旦那様もため息を吐いてから視線を向けた。
「コレット、紙とペンを持ってきてくれ」
「……かしこまりました?」
疑問符を隠さないコレットさんが、そそくさと食堂から出ていく。
それを見届けてから、旦那様は再び私に向かい合った。
「なら、労働時間をさらに具体的に明記しておこう。一日三分。基本的に残業は認めない。ただし如何なる理由であろうとも、それより超過した場合は何かボーナスを支給しよう。金銭でもいいし、物品を要求してくれてもいい。その対価に見合う報酬を必ず支払う――というのはどうだろう?」
「なるほど? たしかにご褒美があれば、多少無理しても踏ん張れるかも……です」
「ただし、前回契約書の前提条件は継続だ。奇跡の使用を完全に禁じることはしないが、あくまで己の体調を鑑みて使用すること。倒れた際は、いかに超過労働を行ったとしても、ボーナスは支払わない。あくまでただ働きだ。疲れるだけで損するぞ。いいな?」
「畏まりました」
「よし、では書面に纏めよう。書きあがったら確認してくれ」
そしてタイミングよく戻ってきたコレットさんから、紙とペンを受け取って。
旦那様は桃色の短い髪をかき上げるような仕草をしてから、視線をおろす。
その隣で、コレットさんはセバスさんに耳打ちしていた。
「父さん父さん。あの二人、可愛い話をしているのか真面目な話をしているのか、どっち⁉」
「そんなの、どっちでも良かろう……お二人が順調に親交を深めているのなら」
――私は旦那様と、仲良くなっているのかな?
今まで『仲良し』なんて、できたことないからわからない……。
でも旦那様を見やれば、大きな手で懸命に丁寧な文字を綴っているから。
私はそれが終わるまで、のんびりとおいしいお茶をいただくことにする。
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