第10話 旦那様からのラブレター
♦ ♦ ♦
「そういうわけで、ラーナ様経由のお手紙なんですけど……」
朝方。
いつも私は、陽が昇る前に自然と目覚める。毎日コレットさんには「奥様はもっと寝坊していいんですよ⁉」と驚かれているけど、自然に目覚めているのだから、決して無理しているわけではない。これでも昔よりベッドに入る時間が断然早いから、たっぷり寝すぎているくらいだ。
なので、今朝はコレットさんが来るまで、お部屋で笑い方の練習をしていたんだけど――コレットさんは渋い顔でやってきた早々、便箋を部屋中に放り投げた。
「これ、ぜんぜん手紙の分量じゃな~~いっ‼」
散らばったうちの一枚を、手に取ってみる。
――婚前契約の追記事項。
まず仮定として、妻であるノイシャ(以下乙)は現在瀕死の状態であると認識すること。マナが不足し、乙は命の危機に瀕している。それゆえ、これ以上マナを消費するような行動・およびマナを使用する奇跡の使用を禁ずる。なお、これは乙が十分に体力を回復した際はこの限りではない。
下記の行動指標はすべて、上記記載事項を前提とした上でのものとする。
乙はすでに聖女ではない。そのことを決して忘れるべからず。
――もう、聖女じゃない……。
その文面に、思わず私の手が震える。
……なんだろう。この感覚は。寂しいような、嬉しいような、なにか大切なものがなくなってしまったような……。
――もう働かなくていいってことなのに。
「奥様?」
「あっ、なんでもありません」
私は気を取り直して、続きに目を走らせる。契約書はまだまだ続いてた。
それより下に書いてあるのは、私の生活スケジュール。
起床六時半。三十分身支度をして、七時から朝食。
七時半に見送り【業務時間およそ三分】。
その後、天気が良ければ庭の散策を八時まで。九時からは三時間ほど読書をして、正午に昼食をとる。その後は二時までお昼寝。三時までお茶休憩をとってから、五時まで裁縫(読書でも可)。五時から夕食をとり、六時から入浴等の美容時間。そして終わり次第まだ読書時間で、夜の九時には入眠。それらの間に分単位で屋敷内の移動時間や水分補給時間、身体を伸ばす時間等が書かれているが、大雑把に把握するなら上記の通りだろう。しかも、これらあくまで模範的なもので、すべてにおいては前提と大原則が優先されるらしい。
――つまり、私にたくさん勉強をしろということでしょうか?
やたら読書時間が多い。裁縫でも可と書かれているけど……ようは貴族としての嗜みを独学で学べということでしょうか? 他の紙を手にしてみれば、参考書籍まで書かれているし。まぁ、やってやれないこともないですが、まず大前提として――
今手にしているのは、仕事の契約書だ。
ちょっと頭を仕事モードに切り替えて、私はコレットさんに聞いてみる。
「私って、旦那様にとって死なれたら困る存在なのでしょうか?」
「んんん⁉」
「こちらをご覧ください」
私が一枚目を渡そうとすると、コレットさんは眉根を寄せた。
「わたしが拝見しても大丈夫なんです……?」
「あ、はい。秘匿義務などについての記載は見受けられませんので」
おずおず受け取ってくれたコレットさんは「げっ。自分の妻を乙とか、まじありえない……」なんて顔を歪めているけど、これは契約書だ。別に何も問題はないと思うの。
そして目線を走らせて、少し考え込んでからコレットさんは言う。
「えぇーと。ご主人様の書き方は難がありまくりですが……たしかに、奥様はとても衰弱しておられると思います。なので、体力が回復するまでは十分に養生しろってことですね」
「なるほど?」
「妻のスケジュールをここまで管理しようという男気が気持ち悪いとも思いますが、今までの奥様の様子を鑑みると、気持ちはわからないでもないです。とにかく奥様にはのんびり過ごしていただきたいんだと思います。それを契約書として書くのが気持ち悪いですけど」
「ご主人様は、私に死なれると何か不利益があるのでしょうか?」
「んんんんん⁉」
あれ? なんでそんなにビックリするんだろう?
私は「こちらを」と他の紙を手渡す。
それには、珍しく大きな文字でこう書かれていた。
すべてにおける大原則。
・ノイシャ=アードラが死ぬことを禁じる。
・ぐーたらをやっほい極めろ!
――このふざけた原則は何なのだろう?
――やっほいって、極める前に付ける言葉だったのでしょうか?
私の中では、大喜びを表す言葉としてメモされているのだけど……。
でもとりあえず、私は嫌味などにならないよう言葉を選んでコレットさんに尋ねる。
「私は、ラーナ様方への体面を保つために買われたはずです」
「まあ……旦那様はンなようにほざいてますね」
「二日……今日も入れたら三日でしょうか。日数は少ないですが、書類上はもう妻として籍を入れ、一緒に暮らすという事実は示せたわけです」
「続く言葉に嫌な予感しかしませんが、おっしゃっていることはごもっともですね」
「それならば、仮に私が今死んでも『悲恋』で終わり、ラーナ様方への体面はひとまず保てるのではないでしょうか?」
「やっぱりバッドエンドがすぎるうううう!」
でもその方が、旦那様方にとってラクなのでは?
私みたいな身寄りのない聖女は、使い捨てが当然。私としても、わずかながらに『ぐーたら生活』を体験することができたので、わりかし満足だったりするのだが……。
――なぜだろう。コレットさんの顔がすごく怖い。
「違う。奥様死んじゃうなんて、絶対に嫌です」
「でも私が死ねば、旦那様は堂々と他の女性を娶ることができます。私を教育するより、もっとりっぱな令嬢をゆっくりと選んだ方が皆さんにとって最良かと思います」
「はんっ、あの生真面目野郎がそんなすぐに鞍替え――」
私の意見を鼻で笑い飛ばそうとしたコレットさんが、ゆっくり組んでいた腕を外す。
「ねぇ、奥様……もし差し支えなければなのですが……」
「はい」
「お名前でお呼びしても、宜しいでしょうか?」
「名前……ですか?」
私が疑問符を返せば、コレットさんはまっすぐに私を呼んだ。
「ノイシャ様」
「はい。ノイシャ=アードラです」
「この世に、ノイシャ様の代わりなんていません」
「……そうでしょうか? アードラという家名は正式に聖女になった時に司祭長様に付けていただいたものですが、ごくごくよくある平民の名前だと記憶して――」
「そーじゃなくて! も~、ノイシャ様も頭固いな~‼」
なぜか、コレットさんが地団太を踏み始める。頭まで掻きむしりだした。
「ていうか、今までの三日間のどこが『ぐーたら』なんじゃあああああああああああああいっ! ただ体調崩して寝ていただけでしょうがあああああああああ!」
そう叫び終えてから、コレットさんは「ふう」と一息。
「ちょっと父さんと相談してきます! ノイシャ様は屋敷の中で自由に過ごされててください! ただし、奇跡は禁止‼ いいですね、ノイシャ様⁉」
「……畏まりました」
そうしていつもより足音大きく、コレットさんが部屋から出ていく。
仕事モードを解除して、私も一息。
そして小さく呟いてみた。
「ノイシャさま……」
コレットさんが呼んでくれた名前を、何度も反芻する。
「くふふ」
心の中がむずむずする。だけど決して、嫌ではないから。
たとえ聖女じゃなくなっても、もう少しやっていけそうだ。
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