3分聖女の幸せぐーたら生活〜生真面目次期公爵から「きみを愛することはない」と言われたので、ありがたく1日3分だけ奥さんやります。それ以外は自由!やっほい!!〜【Web版】
第9話 人買いなんてまるで向いてなかった男(リュナン編)
第9話 人買いなんてまるで向いてなかった男(リュナン編)
♦ ♦ ♦
彼女の背中がとても小さかった。それなのに、その背中は赤黒かった。顔など、目に見える場所は陶磁器のように白いのに。赤みを帯びて生々しいわけじゃないのが、一層胸が苦しくなる。昔から、恒常的に背中を打たれていたという証だから。
「よりによって……とんでもない女を引き当てたもんだな」
王城内の執務室の一つ。俺は騎士として城に勤めているものの、副団長という座に就いてからは、こうして机仕事ばかりになってしまった。城の警備や王族の警護として、立ち仕事をしている方がよほど性に合っている。しかし、なまじ『次期公爵』という肩書と、幼少期からセバスに叩き込まれた剣の腕、そして真面目な勤務態度から、とんとん拍子に出世してしまった。己の真面目さが恨めしい。
だけど、今日はさらに輪をかけてペンが進まない。
日はとっくに沈み、星が綺麗な夜だ。本来の新婚なら、こういう日こそ早く帰り、美味しい酒でも片手にロマンチックな夜とやらを過ごすのだろう。
――元より、そんな甘い生活を望んでいたわけじゃないが。
そう。自分はあの少女に何も望んでいなかった。
ただ、ラーナとバルサに本心を知られずに居られれば。それだけで。
そのためだけに、謂わば『飼った』ようなものだ。愛玩よりも最低な利己心を満たすために。
彼女に不便させないようにするのは、己の罪悪感を軽減させるため。
だからだろうか。
こうしてあの可哀想な少女の背中が。
打合せの時の真剣な瞳が。
懸命に『いってらっしゃい』と見送ってくれた健気な姿が。
不器用に『やっほい』と喜ぶ、年不相応に幼い姿が。
まるで、脳裏から離れない。
――同情か。あるいは庇護欲か。
「本当に、最低な人間だな」
己の都合で女を買い、彼女の意見や人格などまるで知らないまま、勝手に『可哀想』だなんて。我ながら、反吐が出るほどのクソ野郎だ。
「だから、せめて……」
クソ野郎に人生を買われてしまった、哀れな少女のためにしてあげられること。
それはやはり何不自由ない生活を、用意してあげることくらいだから。
働くしかないと、再びペンを走らせようとした時だった。
「ちょっとリュナ~ン。まだ働いてるの?」
「ノックくらいしろ。次期女当主」
容赦なく入ってくる自称下っ端文官こと、ラーナ=トレイル婦人。
彼女は今日も遠慮をしない。
「早く帰りましょうよ。可愛い奥さんがお家で待っているんでしょう?」
「夕方に一度戻っているから心配ない」
――正直、心配だらけだが。
セバスから聞いた限り、本当に勝手に奇跡を使い、勝手に倒れたらしい。
わかっているのか? 自分はマナ不足で聖女として使い物にならなくなったから売られたんだぞ? それなのに、セバスの命に支障があるわけではない古傷の治療をするとか……彼女は死にたいのか?
――いや、まさかそんな……。
否定したいが、否定できるだけの材料がない。
この世に嫌気が差して、死にたいがために積極的にマナを使っている可能性も……。
だって、あんなに痛めつけられてきたんだぞ? とっくに人生に絶望していたっておかしくない。俺はそんな少女を、さらに都合の良い道具として酷使しようとしているのか? 果実のような色合いが可愛かったであろう髪が、真っ白になるまで働いてきた年下の少女を。
そんな俺の胸中を知らず、ラーナは俺の執務机を覗き込んでくる。
「そんなに難しい仕事してるの? ……て、盗難被害届? いち露店商の盗難事件なんて、城の副団長が関与すること?」
「他部署の書類を勝手に見るな」
「じゃあ、そんな目の前でマジマジと悩まないでくれる?」
「勝手に部屋に入ってきた身分でずいぶん勝手だな」
「だって勝手に入ってきたんだから勝手で当然でしょ?」
「……些細な言い回しの妙を責めないでくれ」
たしかに俺だって、なんでただでさえ管理職として仕事量が多いのにこんな書類を片付けなきゃならんのか疑問に思うが……団長が『お前がやれ』と押し付けてきたんだから仕方ないじゃないか。しかも団長は『今日は奥さんと初めてケーキを食べた記念日』とか言って俺に仕事を押し付け帰ってしまった。まぁ、いつものことだが。
だから、というわけでもないが。
本当に……いっぱいいっぱいなんだ。自業自得で。
仕事もそうだが、『無理です』『やっぱり自分が間違ってました』なんて返品もできないだろう。団長が恐妻に怒られるのは知ったことではないが……それこそ、彼女がどんな地獄を見るのか……想像するだけで胃が痛い。
俺が腹を押さえていると、ラーナは腰に手を当てて嘆息していた。
「だから、おつかれの副団長さまは早く帰りましょうって言ってるの。あの聖女さん、ただでさえ具合悪いんでしょ? ここでヨシヨシしないで、いつヨシヨシするのよ」
「よしよしって……そういうきみの旦那はどうしたんだ?」
俺が態勢そのままに視線だけ向けると、彼女は肩を竦める。
「バルサなら決算の数字が合わないだとかで残業中~。最近支援要請が増えたとかで……まだちょっと時間かかりそうだったからね、先にこっちから迎えに来たの」
「別に三人一緒に帰る必要なんてないんだから、先に一人で――」
帰ればいいのに、と言おうとしたところで、夜の更け具合を確認する。
多少の護衛がつくとはいえ、さすがに女性ひとりで帰らせるには危ない時間だ。……そもそも、女がこんな時間まで働くなという話だが。
彼女も不便なものだ。男なら城の内部にある官舎に泊まる……というか、官舎で暮らす事務官らは山ほどいるが、男所帯だ。女の身の彼女が泊まれる場所がないのだろう。部屋を用意してもらっても……風呂もトイレも共同だ。たとえどんなに遅くなろうとも、翌日のためにも屋敷に戻ってきちんと身なりを整えたいのだろう。
「ラーナも……大概真面目だよな……」
「リュナンほどじゃないと思うわよ。てか、あなたに言われるとむしろ凹むわ」
「俺はいたって『普通』なつもりだが」
「それ、普通じゃないひとほど『自分は普通』と言い張るのよ」
「…………」
これ以上はやめよう。長年の経験からして、俺が痛い目を見るだけだ。
だけど、目下の不安がなくなったわけではない。
目の前の日報と、自らの死に「やっほい!」とまっしぐらな妻。
もっと自らの生に執着されるには……。
「『ぐーたら生活』と言われて、ラーナならどんな生活を思い浮かべる?」
「いきなりどうしたのよ?」
「別に。どうせ俺は今日帰れないから、誰かさんの亭主の仕事が終わるまで、夫人の雑談相手になってやるかってだけの話だ」
俺が
そう言い含めてみれば――それが伝わったのかは知らないが、彼女は「ふふっ」と笑ってソファに横たわる。男装だからこそできることだな。
「そうね~。ぐーたら生活……やっぱり『食っちゃ寝』っていうのが同意になると思うのよね」
「なるほどな」
「一日三食、昼寝付きってやつ? 好きなだけ美味しいものを食べて、好きな時に好きなだけ寝る……一般的には、それが『ぐーたら生活』ってのに当たると思うわよ?」
「それはずいぶん肥えそうな生活だ」
「肥えそうって言い方……なに? 家畜でも飼おうっていうの?」
「彼女の夢が、その『ぐーたら生活』らしい。だから、そんなささやかなものを『やっほい』と喜ぶなら、いくらでも叶えてやりたいんだが……ところで、『やっほい』と無表情で両手をあげるの流行りなのだろうか? 俺は初見だったんだが、『やったあ』の亜種だよな?」
「思ってたより、愉快な子なのねぇ」
愉快な子……本当にその言葉通り、毎日楽しく過ごしてくれるなら何も問題ないんだが。
今まで過剰に働いてきた分、『ぐーたら』と堕落した日々を過ごしたいという気持ちはわかる。だけど自分が死にかけてまで、まだ会って数日の執事の古傷の治療をする意味は? この短期間でそんなに懐かれたのか?
――ずるいな。
――ずるい?
「変な顔してどうしたの、リュナン」
「……いや、何でもない」
なんか思考がぶれた。元に戻そう。
彼女は知恵が足りない子なのだろうか? 損得がわからないのか?
でも契約書について説明した時や朝食の会議時は、頭の回転が速いように思えたが……。
――彼女のことが、さっぱりわからん!
それでも、どういう理由であれ一度『妻』として屋敷に迎え入れた以上、死なれるなんて寝覚めが悪い。
「ラーナ。明日の朝でもいいんだが、うちに手紙を届けてもらえないだろうか?」
今すぐ書く――と適当な便箋を捜していれば、ケラケラ笑っていたラーナが身を起こす。
「そのくらい全然構わないけど……奥さんへの
「まぁ、そんなようなものだ」
甘い言葉の一つも書くつもりはない……というか、人生二十四年、一度も綴ったことはないが。自ら死に急ごうとする彼女には、きちんと伝えるべきだろうと結論付ける。
だから俺はペンを片手に、ラーナに問うた。
「よし、じゃあラーナの考える『ぐーたら生活』を詳細に教えてくれ。まず、彼女は何時に起床させるべきだろうか?」
俺と、彼女の偽りの夫婦生活が、少しでも長く続けられるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます