第8話 「ど阿呆」と怒られました。


 目覚めると、窓から夕陽が差し込んでいた。

 お布団がきもちいい。たしかコレットさんがシーツを替えてくれたんだっけ?

 なるほど……ぐーたらのためには、寝具が重要……メモメモ。


 こないだよりは早く目覚めたみたい。やっぱり『ぐーたら』させてもらってるから、身体も元気になっているんだなぁ……なんて、私的には「やっほい!」な気分だったんだけど。


「きみは学ばないのか⁉」


 なぜか枕元にいらっしゃった旦那様に、いきなり怒られてしまった。その後ろで控えているセバスさんが「そんないきなり!」と旦那様を制止しようとしているけど、旦那様の鼻息は荒いまま。


 ……そんな悪いこと、したつもりはないんだけど。


 一見したところ、セバスさんに不調はなさそうだ。それに窓の外を見ても、私が奇跡をかけたあたりのお花に変調があったようには見られない。


 ――それでも、旦那様が怒っているのなら。


「ごめんなさい」


 私は謝罪を口にしながらベッドを下りる。そして服を脱ぎ、背中を向けた。

 そして大人しく沙汰を待っているのに、旦那様がぶつけてくるのは疑問符のみ。


「……何をしているんだ?」

「い、今から鞭で打たれますよね?」


 だから、その準備をしました――そう答えると、嘆息交じりで低い声が返ってくる。


「ど阿呆」


 ――どあほ……?

 たぶん、罵倒の一種。だけど殴られるわけではない。怖いわけでもない。


 おずおず振り返ると、旦那様が「とりあえず服を着てくれ」と顔を背けている。耳が赤い。


 命令ならば従うまで……と、もぞもぞ服を着直せば、次に「ベッドに座ってくれ」と命じられる。当然、従う。すると、今度は旦那様が屈んだ。私と視線の高さが一緒になる。


「セバスの足は、俺らが生まれる前、戦時中にできた傷だ。足が繋がっているのが奇跡な状態だったらしいな。もう二度と歩けない――当時の聖女にそう匙を投げられたものの、本人の必死の快復訓練を経て、こうして日常生活に支障がない程度に動けるようになったらしい」


 突如始まった、セバスさんの昔話。

 奥を見やれば、セバスさんは「軍人だったんです」と少し気恥ずかしそうに苦笑していた。

 私が何か言葉を返そうとするも、それより先に旦那様の話が続いた。


「もちろんセバスの主人として、脚の治療は感謝する。日常に支障がないとはいえ、動きすぎると痛みは感じていたらしいからな。だけど――俺は今、それをきみに頼んでいない!」


 旦那様の青い目は、ずっと私を映したままだった。

 小柄で、貧相な自分。髪も真っ白で、だしがらのような哀れな少女。

 決して十八歳の次期公爵夫人には見えない自分を、旦那様は真っすぐに見つめてくれていた。


「俺はきみに、聖女としての役割なんか求めていない。ただ……朝だけ。一日三分だけ、妻役を務めてもらえればいいんだ。今までの溜まりに溜まった人生の休暇だと思って、この屋敷では思う存分ぐーたらしてくれ。やっほい……だっけか。あんなに喜んでいただろう?」


 ――なんでだろう。


 旦那様は決して難しい言葉を使っているわけじゃないのに。おっしゃっている言葉が、今一つ頭に馴染んでくれない。私はもう、聖女じゃない。次期公爵夫人として振る舞えと。立場を履き違えるなと、そうおっしゃっているだけなのに。


 だからだろうか。私も的外れなことを聞いてしまう。


「……あの」

「なんだ」

「旦那様は……今日はお帰りが、早いですね……?」


 それを尋ねると、とうとう旦那様が頭を抱えてしまう。


「妻が倒れたと連絡が来たから、早馬を飛ばしてきただけだ。すぐに仕事に戻る――今晩は帰れないから、明日の見送りもいらん。ゆっくり休んでくれ」

「……畏まりました」


 私は了承したのに、再び旦那様はため息を吐かれてしまった。

 だけど私を殴ることなく、部屋を出ていかれる。


 ――私の何がいけなかったのだろう?

 ――お怒りなのに、どうして私を殴らないのだろう? 


 不思議に思いながら背中を見送っていると、セバスさんが頬を緩めていた。


「旦那様は、あれでも奥様をとても心配なさっているのですよ。とても不器用な方なので、肝心の言葉が足りませんがね」


 そう言い残して、セバスさんも「では見送りに行ってまいります」と踵を返す。

 一人残されてしまった……そう思う間もなく、入れ違いでコレットさんが入ってくる。


「父さんも奥様にお礼言ってなーいっ!」


 と文句を言ってから「まったく、これだからウチの男どもは~」と鼻息荒くして。だけどすぐに可愛らしい笑顔に変えてから、ベッドに座ったままの私に頭を下げてくれた。


「改めて、此度は父の治療もありがとうございました。三十歳若返ったようだと、先ほどバク転を見せてくれましたよ。膝が治ったからって、年は年なんだから勘弁してくれってのが娘の本音なのですが……」


 ――父の治療も?


 言葉の端が少し気になるけれど、それよりも気になること。

 私が「バクてん?」と小首を傾げれば、コレットさんが「あ~こんなのです」と、スカートがふわぁっと広がって。その場で足を背中の方へグルンッと一回転。


 えっ、なにそれ。すごい! 人間が回った⁉


 元の姿勢に戻ったコレットさんが、私を見てくすくすと笑う。


「そんなに喜んでくれるなら、いつでも披露しますから……それより、ちょっと失礼しますね」


 と、近づいてきたコレットさんが――私のおでこを指先でピンッと弾いた。少しだけその部分がピリッとする。反射的におでこを押さえると、コレットさんがムッとしていた。


「奥様はもっとご自愛してくださいませ! いいですね? 出会ってまだ数日のわたしたちですが、もう奥様は家族の一員なんですから! あなたが思っている以上に、わたしも父さんも旦那様も、奥様が可愛くて可愛くて仕方ないんです。もう大好きですからねっ! 諦めてくださいねっ!」


 ――何を、諦めるのだろう……?


 そしてまた、私が聞くよりも早くコレットさんが「それでは夕食を持ってきますね~」と部屋を出て行ってしまった。


「じあい……?」


 みなさんがおっしゃっていることが、少しずつわからない。

 それに、私はまた小首を傾げる。


「家族って、なんだろう?」




 その日の夕飯は、卵の入った黄色いとろとろだった。

 とってもあたたかくて、いい匂いがして、これもすごくおいしかったの。

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