第7話 笑い方がおかしいことに気が付いた。

 ♦ ♦ ♦


 白いとろとろしたもの。

 話には聞いたことがある。パンを作る麦ではなく、米という他の穀物を主食にしている国があるということ。そんなお米で作られたとろとろは、真っ白なのにすごくいい香りがしたの。

 あまりに美味しくて「やっほい!」と喜んだら、コレットさんは私の頭を撫でながら教えてくれた。これが大丈夫そうなら、夕食には卵を入れたとろとろにしてくれるらしい。


 ……楽しみだな。


「むひひ」


 おなかはだいぶ落ち着き、普通に動けるようになった。

 そんな私はお部屋でひとり、ついついニヤけてしまう。


 と、そこでちょっと気が付いた。

 コレットさん、こんな風に笑ったりしてないな?


「もしかして私、笑い方、変……?」


 教会に居た頃から思っていたのだ。お貴族の礼拝者は、若い人でもこんな笑い方をしてなかったなぁ、と。それに最上級の喜びを『やっほい!』と表現した時、旦那様やコレットさん、変な顔していた気がする。


 私も一応、公爵夫人になったわけだし。

 三分とはいえ、いや三分だからこそ、それ相応の振る舞いが必要となろう。


「むふふ」


 なんか違う。


「ひひひ」


 これでもない。


「ひーひひひひっ」


 方向性がずれた気がする。

 鏡を見ながら、数十分。そんなことをしていた時だった。


「ずっと変な声が聴こえてくると思ったら――奥様なにをしてるんですかっ⁉」


 ……そっか、変な声だったか。

 私が表情を戻して見やると、コレットさんはどうやらシーツを持ってきてくれたらしい。抱えた真っ白なそれを、掲げてくる。


「干したてシーツを持ってきました! これで気持ちよく『ぐーたら』できますよ!」

「ぐーたら……やっほい!」

「ふふっ。じゃあ、こちら取り換えつつ、お部屋も掃除しちゃいますね。体調がよろしいのなら、その間少しお散歩してきてもらえますか? 今日はいいお天気ですから。お庭でぐーたらするのも、なかなかオツだと思いますよ?」




「むむっ……ちがうな。ふんふっ。ふっふ?」


 屋敷の中を歩きながら、引き続き笑い方の練習。さっきのコレットさんの真似をしてみているのだけど、なんかちがう。


 コレットさんって一見奔放なんだけど、笑い方とか動きがすごく優雅なんだよね。下手な礼拝者より、すごく綺麗だ。おそらく使用人の養女とはいえ、公爵家で育てられてきたからなんだろうな。旦那様も朝食の食べ方がすごく優雅なの。あんなに体格も大きい男性が食器の音ひとつ鳴らさないのは驚いた。司祭長様とか、けっこうカチャカチャうるさかったからなぁ。


 ともあれ、私は今お庭に向かっている。

 部屋の窓から、お花が綺麗なのが見えていたの。コレットさんの勧めもあるけど、教会では私が花の手入れもしていたから、前から少し気になっていて。


 それにお庭でぐーたら、すごく素敵!

 何もしなくていいんだよね? ポカポカお日様の下で、ただお花を見るだけ。ぷかぷか流れる雲を見上げるだけ。なんて贅沢な時間なんだろう⁉ やっほい!


 そうしてわくわくとお庭に下りると、そこには見知った顔がいた。

 いつものブラックスーツ姿ではなく、首元にタオルを巻いて、長靴を履いているから、一瞬わからなかったけど……紛れもない執事のセバスさんが、まさに緑の壁と呼ぶべき生垣の剪定を行っている様子。


 やっぱり、外はちょっと眩しいな。朝ほどじゃないけど。


「おや、奥様」


 私に目を見開いたセバスさんが、屋敷の二階を見上げる。そして「あぁ、コレットに追い出されましたか」と謝ってきたから、窓にお掃除するコレットさんが見えたのだろう。


「お庭にぐーたらしに来たんです」


 と首を振ってから、おずおずと聞いてみた。


「お庭の手入れも……セバスさんの仕事なんですか?」

「仕事というより、趣味ですな。庭師を雇おうかとも提案されているのですが、どうにも人の手が入るのが嫌でして……わがまま言って、勝手をさせていただいております」


 趣味――その単語は、今までの私の生活とは無縁だったもの。好き好んでやりたいこと、とか、楽しいことって意味だよね? だったら――


「……つまり、セバスさんの『ぐーたら』?」

「ははっ、たしかに一緒ですな!」


 その笑い方が今まで以上に豪快に見えたのは、ラフな格好だからだろうか。

 でも、そんなセバスさんを見て思う。やっぱり『ぐーたら』できるのって、幸せなことなんだ。私もせっかく自由な時間をもらえるようになったんだから、ちゃんとしっかり『ぐーたら』しないと!


 そう意気込んで、お庭を見渡す。本当に素敵なお庭だ。生垣以外の草花はあまり刈り込まれていない様子。この自然なさまを生かしたお庭の作りは、たしか最近の流行りなんだよね。異国のお庭の真似をしているんだとか。花が咲く季節ごとにまとめて植えるのがポイントで、さらに斜面にボーダー状に植えていくと見栄えがよくなるの。私も司祭長様に言われてお庭造りしていたから、少しは知ってる。


 だけど、そうそう都合よく、いつの季節も咲いてくれる花なんてないから……このジキタリスも、もうすぐ終わりだなぁ。ちなみにこのピンクのお花も葉っぱも、食べちゃいけない。あれは……かなり苦しかった。


 そんな昔を、ふと思い出していた時だった。


「奥様も花がお好きなんですか?」

「……嫌いじゃ、ないです」


 私はぶら下がるように花を咲かすピンクの花にそっと触れながら、少しだけ話す。


「花が咲くのは嬉しいけど、枯れてしまうのは悲しいから」

「それは命あるものの宿命ですな。花だけでなく、人間も――終わりがあるからこそ、こうして懸命に咲き誇ろうとあがく様が美しいのですよ」


 タオルで汗を拭きながら、返してくれた言葉。それは一見、私を励ましてくれているようだけど……その奥にある感情は、おそらく自身への後悔。


「セバスさんは、もう咲いていないんですか?」

「……さすが聖女様。鋭い洞察力ですね」


 公爵家の執事なんて、素晴らしいお仕事だ。それなのに……と私は改めてセバスさんを観察してみる。よくよく見れば……立ち方が少しおかしい。背筋はしっかり伸びているのに、若干傾いている。その違和感の原因は――


「足?」


 もっと焦点を絞れば、膝かな。屈んでズボン越しの患部をじーっと眺めていると、頭上からセバスさんの苦笑が聞こえる。


「よくお気づきで。ですが古傷です。お気になさらず――」

「治せると思いますよ」


『ぐーたら』するのに、身体の不調があるのはよくない。お腹が痛いと、ふかふかベッドで寝ているはずなのに、どうにも楽しくなかったもの。セバスさんだって、きっと同じはず。


 たしかに少し前までは、この程度の治療もできなくなってしまってたけど。 

 でも、お腹がポカポカしている今だったら。


 頭が仕事モードに切り替わる。


 ――もう少しだけ、仕事をしてみよう。


「患部に触れさせていただきますね」


 私は指先で聖印を描いてから、膝を撫でるように触れた。目を閉じれば、膝の中が“視”える。本人の言う通り、たしかに古い傷だ。一度膝の所で脚が切断されたのかな? それを無理やりくっつけたような、そんな内部になっていた。その分余計な神経の癒着が多くて、それが動きづらさや痛みを生じさせているのだろう。だったら簡単だ。その癒着を剥がしてあげればいい。


 私は反対の手で治療用の聖印を描く。


「奥様、私まで・・いいですから――」

「もう少しです」


 癒着の切除中に話しかけないでください。少しでも神経を傷つけたら大変です。これでもけっこう集中しているんです。

 だけどそれが終われば、あとは簡単。回復の奇跡をかけて、弱った神経や傷ついた皿の修復。


 あ、ついでにお花も。私は回復の奇跡をかける。セバスさんは枯れるからこそ美しいと言っていたけど、少しでも長くお花も「綺麗だね」て見てもらいたいと思うから。枯れて、捨てられるのは……きっとお花でも悲しいよね。


 ざっと……治療を始めて三分くらいだろうか。ふぅ、と一息ついた途端、眩暈がする。


 ――あ、だめだ。


 私の膝が崩れてしまった。セバスさんが抱きかかえてくれるも……目を開けていられない。


「奥様、奥様っ⁉」


 セバスさんの悲痛な声がする。

 ふふっ。こんな声まで、やっぱりコレットさんとそっくりだなぁ。


 あっ。今、上手に笑えた気がする。

 とても眠くて、誰かに確認することはできないけれど。

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