第6話 俺の好きな女(リュナン編)

 ♦ ♦ ♦


 きみは命の恩人だった。


 俺は事故のショックで記憶が曖昧なのだが、溺れて苦しいときに必死に手を差し伸べてくれているきみの顔だけは、とてもよく覚えている。まだ十にも満たない子供の頃だ。その少女が比較的近くに暮らしていたトレイル家の令嬢だと知ったのは、すぐあとのこと。これも何かの縁だと、それを境に家族ぐるみの付き合いが始まったのだとか。 


 そんなきみの明るい笑顔が好きだった。


『あ~、またリュナン寝込んでいるの?』


 元より幼い頃、自分はとても病弱で。川で溺れたのも、子供だてらに身体を鍛えようとしていたという。そんな情けない少年時代だったから、彼女が遊びに来てくれても構えない時が山ほどあった。


 それでもきみは少しだけ残念そうにするだけで、俺を少しも罵らず、


『それじゃあ、今日は何のお喋りをしようか!』


 と、侍女らに『そろそろリュナン様がお疲れのご様子ですので』と注意されるまで、ずっと楽しそうに話す同い年の少女に――つまらない俺が淡い気持ちを抱き始めることは、必然だったといえるだろう。




 だけどその日、きみは他の男のものになった。


『リュナン~。今日は来てくれてありがとう~! 私、きれいでしょ?』


 あぁ、本当にきれいだ。真っ白なドレスに、久々に下ろしている金色の髪。だけどそれだけじゃないだろう。『しあわせ』という化粧を施した最愛の女が、これほど美しいものだとは思ってもみなかった。


 だから、俺は最愛の幼馴染を褒めてなんかやらない。


『馳走だからってかぶりつくんじゃないぞ。せっかくの一張羅が汚れる』

『まぁ、ひどい!』


 そうわざとらしく怒ってから、笑う彼女は誰よりも美しい。

 だけどそんな彼女の後ろから手を振ってくるのも、また俺の幼馴染だ。


『やぁ、リュナン。今日はありがとね』

『おう。しっかりラーナを見ててやれよ。いつヒールで転ぶか危なっかしくて仕方ない』

『もう、今日はいつになく辛辣……あ、わかった~。結婚式いいなぁ~とか、思っちゃったんでしょ?』


 彼女は昔から、悪戯が好きな少女だった。そんな昔と変わらない悪い笑みを浮かべた花嫁は、俺に耳打ちしてくる。


『いい機会だから、お好みの令嬢を紹介してあげようじゃないの~。ほら、どの子がいい? 今日なら選り取り見取りよ?』


 はっ……?

 好きな女の結婚式に、好きな女から、他の女を紹介されるだと?


 ――馬鹿にするのも大概にしてくれ!


 もし、彼女が俺の気持ちを知った上でのことなら、そう罵倒しても良かっただろう。

 だけど、彼女は知らないから。

 打ち明けたこともない、俺の秘めた恋慕なんて――彼女は想像だにしたことないだろうから。


『……結構だ。余計なお節介はいらん!』

『そんな格好つけなくても~。リュナンもいい年でしょ? その歳の次期公爵様が婚約者どころか、浮いた話一つないなんてご両親も悲しむわよ?』


 だから、俺はつい言ってしまったんだ。


『案ずるな――妻に迎えたい女なら、他にいる』


 それは真面目に生きてきた俺の人生、一番の失言だった。


 ♦ ♦ ♦


「具合悪いっていうのに見送りに出てくるとか、健気な奥さんじゃな~い」


 馬車の中で、向かいに座るラーナがニコニコと言ってくる。

 それに、俺は意地悪く聞いてみた。


「そんなに俺の妻の話が楽しいか?」

「あら、当たり前でしょ~。リュナンと恋バナなんて、この十五年初めてですもの!」


 ラーナとは互いの領地が隣同士のこともあり、生まれた頃から懇意にさせられていた。それこそ、親同士が『将来は結婚させてもいいかも』と冗談を言うくらいには。


 ……なぜ冗談かというと、俺も彼女も嫡子だから。俺は母の身体が弱く、一人っ子。ラーナのトレイル侯爵家も男兄弟が生まれず、四人姉妹だ。そのため俺はもちろん、彼女も将来的に婿をとることが望まれていたし、彼女自身もそれに異を唱えることがなかった。


 だから初めから、この恋が叶うはずがなかったんだ。

 たとえ――どんなに幼い頃から、快活だった彼女に恋焦がれていようとも。


「誰がラーナにしたいと思うか。いつどこでお喋りのネタにされるかわからん」

「もう、私は存外口が堅いのよ? ねぇ、バルサ?」

「う~ん。それは時と場合によるんじゃないかなぁ?」


 そう言葉を濁すバルサも、俺たちの幼馴染。両家によく出入りしていた商人の息子だ。あまり貴族階級を気にしないラーナらしく、よく出入りしていた同い年の少年は、すぐに遊び相手のターゲットになったらしい。俺にキラキラした眼差しで『新しく出来たおともだちなの!』と紹介してきた日のことを、今でもよく覚えている。


 俺は彼女の後ろでオドオドしていたバルサに、嫉妬したんだ。まるで剣の心得がないといった彼を、剣術の真似事でぶっ飛ばした。木刀で殴られて泣いたバルサに、溜飲を下げようとしたのに――ラーナは俺のことを容赦なく怒鳴り飛ばしてきたんだ。しかも、バルサの方も『大丈夫だよ』とその日は笑って流していたのに。


 後日、『また勝負しようよ』と言ってきたバルサは、めっぽう強くなっていた。手を豆だらけにして、必死に練習してきたらしい。いつもヘラヘラしているくせに……昔から負けず嫌いで、努力家なんだ。それでも、幼少期から軍人あがりのセバスに鍛えられていた俺は、負けることはなかったけど。それでも、ラーナに『すごいね!』と褒められているバルサを見て、俺は完敗した気分になったものだ。


 その劣等感は、今も拭えていないけれど。

 それでも二十年もつるんでいれば、扱い方くらい覚えるもんだ。


「というか、おまえらはいつまで俺を迎えにくるんだ? 俺らもう二十四だぞ」

「でも、どうせ通り道よ? 行く場所も一緒。行く時間も一緒。だったら一緒に行った方が効率的じゃない。あなたの屋敷、ひと少ないんだし」

「俺ひとりの世話に何人も雇う方が非効率的だろう。それに馬車より、直接馬に乗った方が早い」


 両親は北方の領地に暮らしている以上、王城近くの屋敷を拠点にしているのは俺だけだ。それに十人も二十人も雇う方がどうかしている。本当ならセバスとコレットの二人だけで十分すぎるくらいだ。


 ――でもこれからは彼女・・もいるから、馬車の用意もしておかないと。


 ひとまず『妻』として屋敷に女を迎え入れた以上、不便させるわけにはいかない。両親からの援助と騎士としての個人収入もあるから、金銭的に不自由させることはない。それでも体面があるだろうと侍女の数は増やしたが……彼女が街に出掛けるときには馬車も必要だろう。ここから王都まで、馬車で二十分ほど。女性の足で歩くにはしんどいだろう。ましてや、あんな虚弱な少女では。


「それにしても、ノイシャちゃんにちゃんと食べさせてるの?」

「食べさせた結果、腹を壊したらしい」

「あらら……今まで、どれだけひどい生活してたんだか」


 正直、俺ら貴族には想像できない生活……なんだろうな。

 もちろん身請け前に調査したが、彼女は『下位』の聖女だったという。それでも、見習いではなく正式な聖女の一人だ。たとえ爵位持ちでなくても、普通ならそれなりの生活を保障されていただろうに……あの虚弱さ。低身長なのも、成長期にまともに食べさせてもらわなかったからか? 教会から取り寄せた調書では、ただ『十八歳で早くもマナを枯渇させてしまった、聖女適正の低かった少女』とだけあったが。


「もう一回、調べた方がいいかもよ? 身請けされる聖女って、普通はもっと見目にも気を使っているのが多いって聞くもの。それがあんなにガリガリなんて……よっぽどだわ」

「すでにセバスに再調査を頼んである」


 それでも、さらに個別に調査してから、聖女『ノイシャ=アードラ』を指名したつもりだった。仮にも次期公爵の妻になってもらうわけだ。『聖女』の称号は下手な貴族位より見栄えがあるから、そこはどの女でも問題なかったのだが――それでも家系に犯罪者がいたら問題になる。幸か不幸か、彼女の両親の存在は一切わからなかった。聖女としての勤務態度も至って真面目。他の候補の聖女は皆、俺に色目を使ってきたから……まるで無反応だった彼女に決めた。俺に好意をもたれても、面倒なだけだったからな。……我ながらひどい話だ。


 そんな俺の胸中を一切知らないラーナが、にこりと微笑んだ。


「なら報告も早そうね。セバスさん本当に有能だもの。うちにも一人ほしいくらい」

「セバスもコレットもやらんぞ。あいつらがいなくなったら、正直俺は貴族としてやっていける気がしない」

「ふふっ。素直で可愛いこと。本人にも伝えてあげたら? きっと喜ぶわよ?」

「絶対に断る」


 そんなこと言ってみろ。セバスだけならともかく……コレットがニヤニヤ面倒に決まっているだろう。あいつは本当に昔から生意気なんだ。別に敬語や口調をどうこう言うつもりはないが……まぁいい。コレットは今更どーにもならん。ひとまず今はあの虚弱な聖女を、いかに新しい生活に慣れさせるかが問題――


「でも、そっか……リュナンはあの聖女を選んだんだね」

「どういうことだ?」

「ううん。リュナンらしいなぁって、思っただけよ」


 ……俺らしいって、なんだろうな。

 ラーナがこの笑顔を見せた時は、どんなに聞いたって何も答えてくれない。

 だからため息で躱して外を眺めようとすれば、バルサが耳打ちするような仕草で、堂々と訊いてくる。


「いくらだったんだっけ? あの聖女さん」

「あー、――……」


 ざっと王城勤めの普通の騎士の年収で、五年分ほど。

 それを提示すると、バルサは後ろに跳ねた。


「普通の身請け金の倍以上じゃないか! さすが若くして副団長まで上り詰めてるエリート!」

「豪商の息子にして、侯爵家の婿になるにあたり城の財務部で秘書しているエリート士官様の賛辞は身に染みるな」

「あらあら。国内初の女領主になるべく、法務部で毎日必死に資料集めをしている下っ端文官は、馬車から下りるべきかしら?」


 三者三様、それぞれの他己・自己紹介に、俺らは顔を見合わせつつ笑って。

 馬車が城門をくぐり始める。もうすぐ、朝の談笑タイムは終了。

 俺らをまとめるのは、いつもラーナだ。


「まぁ、とにかく! あなたも一人の女の人生を買ったんだから! 男として全力で幸せにしてあげなきゃダメよ! でなきゃ私が只じゃおかないんだからっ‼」

「昨日も言われたな」

「明日も言われるんじゃないの?」

「違いない」


 当たり前の毎日は、少しずつ変化していく。

 その変化を……俺は、受け入れられる日がくるのだろうか。


 ラーナが先に下りてから、バルサがあとに続こうとした時だった。


「……ごめんな」

「何か言ったか?」


 振り返ろうともしないバルサは、赤い髪を揺らすのみ。


「いんや。なんでも」

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