第3話 美味しかったの。嬉しかったの。
「本当に今日の私の仕事は終了ですか?」
「そうなりますね」
なんてことだ。やっほい。
でも玄関に戻り、セバスさんが扉を閉めると同時に、私はこっそりとため息を吐く。
――そういや、名乗ることもできなかったな。
さっきの見送り、ラーナ様の勢いに押されて何も話せなかった。
――明日は、もっと何か気の利いたことを言わなくちゃ。
なんせ、一日三分だけの労働で衣食住すべてを面倒みてもらうのだ。それだけ濃密な三分間が求められるということだろう。初日だから寛容に許してもらったが……いや、あれすらもお二人の前だったから、何も文句言えなかっただけかも。だって教会であんなモジモジしていようもんなら、あとで鞭打ち間違いなしだ。鞭打ちなんてされたら、痛くて『幸せぐーたら生活』どころじゃないもの! すべては、ぐーたらのために‼
「本当に、今日の仕事はおしまいなんですよね?」
「そうですよ。あとは存分にぐーたら? なさってください」
「やっほい!」
――ぐーたら……ぐーたら‼
私は仕事モードを切り、両手をあげながら喜びのあまり心の中で飛び跳ねていた時だった。セバスさんは「急に可愛らしくなる方ですね」と苦笑しながら、私に一つの質問をしてくる。
「奥様、朝食の続きはどうされますか?」
「あ、泥水ですか?」
「仮に奥様にそんなもの与えようもんなら、明日には私の首が物理的に空を飛んでおります」
セバスさんは呆れ顔で言ってくるけど……そうなの? だって教会では、毎朝仕事前に泥水を頂戴していたよ? それなのに、セバスさんはさらにとんでもないことを言ってくる。
「では、新しいものを作り直させましょう。食べたいものはございますか?」
「えっ、新しいもの……?」
だって、仮にまともな朝食を貰えるにしても、さっきのがあるじゃないですか。こう……卵のふわふわとか。柔らかそうなパンとか。黄色いスープとか。みずみずしい葉っぱとか。中身ぎっしりな腸詰とか。どんなに冷えてようが腐ってようが、あんなぜいたく品は食べたことがない代物でしたよ? 会議でそれどころじゃありませんでしたが。
私が目をぱちくりさせていると、セバスさんが私の前を歩きながら苦笑していた。
「会議とやらに夢中で、先ほどのは冷めてしまいましたからね」
「あの……残っていたのは……?」
「見に行きますか?」
そして、二人で再び食堂に戻れば――さっき私が座っていた席に座っているメイド服のコレットさんが、何か挟まったパンに大口を開けていた。大きな瞳がこちらに向くやいなや、彼女が大慌てで立ち上がる。
「お、おおおお奥様⁉ ごめんなさい、もう食べないのかと――」
「だからいつも、厨房に下げてから食べろと言っていただろう」
呆然とする私の隣で、セバスさんが直角に頭を下げた。
「奥様、お見苦しいところを申し訳ございません。娘のしつけがなっておりませんで」
……娘?
私が思わず小首を傾げると。
セバスさんの曲げた背中を叩きながら、コレットさんが教えてくれる。
「この執事長はわたしの父なんですよ~。義理ですけどね。父さんはですね、とってもお人よしで捨てられていたわたしを――」
「いきなり語ることではないだろう――と、そんなことより。奥様は朝食はどうしましょう? この通り残飯ならわたくしどもが美味しくいただくので、どうか遠慮なく」
たしかに、セバスさんは年齢のこともあるのだろうけど、髪が灰色。対してコレットさんは緑色。目の形も耳の形も、二人はまるで違うけど。
……それでも、仲良さそうだなぁ。
顔のパーツは違うのに、なぜだか二人の顔つきがそっくりに思える。
叱って。叱られて。そんな様子を微笑ましく思いながら、私はセバスさんからの問いかけに、どこか後ろめたく答えた。
「私……元から朝は食事を摂らないので」
「あっ、紅茶や珈琲だけなタイプですか?」
「いえ、あの……基本夜中に残飯漁って生活してたので……」
「残飯……?」
「教会裏のゴミ捨て場が私の食事処とされていたので、それで……」
やっぱり仕事以外で上手く、喋れないけれど。
そこに運ばれてきた高位聖女さまらの残りが、私のご飯だった。いつも私のところへ回ってくるのは深夜だけ。……だから、朝は井戸の脇に零れていた泥水だけ。
それなのに、朗らかに訊いてきてくれたコレットさんの表情が固まっていた。セバスさんも同様だ。やっぱり二人、そっくりだなぁ。そんなことをぼんやり思っていた時だった。急にコレットさんが動いたかと思いきや、テーブルの上でごそごそ。旦那様の残されたパンを手で割って、間に卵や野菜や腸詰を挟んでいるみたい。それを――無表情で私のそばまで運んでは、彼女は私の口に中に押し込んできた。
「ふむむむむ⁉」
「いいからぁ。食べてくださいいいい!」
……泣いているの?
呆気にとられながらも、私は咀嚼する。卵の甘みと腸詰のしょっぱさが楽しい。触感もパリッとシャキシャキ。だけどふわふわ。面白い。えーと……こういう時、なんて言うんだっけ?
「お、おいしい……?」
「でしょおおおおお? いっぱい食べましょ? これからたくさん、美味しいもの食べましょうねええええええ?」
えーと……なんでコレットさんが号泣しているのだろう?
しかも、セバスさんも微笑ましい顔で眺めながら、目じりの涙を拭っているらしい。
うーん。とりあえず、渡されたこれを食べればいいのかな?
私は立ったまま、そのパンに再び口を付けていると。扉の開く音が聞こえる。誰かが入ってきたみたい。
「あらあら。しょせん執事様も、娘にはお甘い様子で」
三人のメイドさんだ。この屋敷には四人のメイドと執事のセバスさん、あと料理人の人の六人で回しているらしい。リュナン様しか住んでいなかったから、少数精鋭なんだって。だから侍女とメイドの区別はなく、皆で掃除や洗濯などもこなしているらしい。
昨日挨拶させてもらったけど、この三人はそれぞれ伯爵位や男爵位をお持ちの立派な貴族の方。マナが発現した令嬢は聖女になるけど、そうでない令嬢はこうして結婚するまで、高位貴族の侍女になるのが多いとのこと。
だから自然と……コレットさんは爵位はないようだし、この伯爵家のマルチダという巻き髪の人が、一番偉くなる――て、マルチダさんは言ってた。
「奥様。そんな残飯より、朝食はフレンチトーストなどいかがですか? とろけるように甘いんですのよ? 今貴族の間では流行っているんですの」
そう、提案してきてくれるけど。
私の手の中には、まだコレットさんが作ってくれたパンがあるから。
「あ、でも……私、これがいい……です」
あっちもこっちも、そんなに食べられないし。
それにこれ、おいしかったの。そして、嬉しかったの。
断るのって、難しい。今までは全部言われたことをしていただけだったから。
そのせいか、マルチダさんの去り際の笑顔が、どこか強張っていた。
「…………また用があるときは、いつでもお声かけくださいね」
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