第2話 1日3分労働。早っ。

 私、ノイシャ=アードラは過労死寸前だった。

 聖女として朝早くから参拝者の願いを叶え、病人の治療をし、公共設備の点検と修繕を行い、夜の参拝者の相手をして……掃除などをすれば、あっという間に夜が更けている毎日だった。


 聖女とは、要するにマナという特別な力に関与できる便利屋だ。マナはこの世に存在するすべての物に備わっており、それを知覚・操作できる者のことを聖人・聖女と呼ぶ。


 貴族学校で懇切丁寧にマナの扱いを教わる聖女もいるが……私のような孤児は違う。教会が管理している孤児院で生きるか死ぬかの瀬戸際で無理やり修行させられ、無理やりマナを知覚できるよう才能を開花させられる。そこで生き残ることができれば、さらに言葉の通り寝る間も惜しんで知識や技術を叩き込まれ、無事に聖女となってからも、自身のマナが枯渇する寸前まで働かされる。


 そして死ぬ目前――私のように髪が真っ白になり、瞳の色も薄くなった者は、気前の良いあしながおじさんに引き取られる。その後は……まぁ、五体満足十年生きられれば良い方なのではなかろうか。


 そもそも孤児だったことが不運の始まりで、その後人生が好転することなんかない。


 だから、人生が多少は変わっただろう翌日。

 あとは人生の終わりに向かって、まっしぐらに下っていくだけ。


 そんな私は鏡を見る。子供のような背の低さ。どんな高級なドレスとて、鎖骨が浮き出た痩せっぽっちの身体で似合うはずがない。しかもまだ十代のはずなのに、ひと房以外真っ白な髪、薄水色の不気味な瞳。そんな女が、どんなに着飾ったって――


「うわぁ、磨き上げたの全部わたしですけど、我ながら絶世の美少女作り上げちゃいましたね! これなら、旦那様もマジ惚れすること間違いナシなのでは⁉」


 私の専属侍女として付けてもらったコレットさんが大げさに褒めてくれるけど……私は愛想笑いも返せなかった。だってメイド服を着たあなたの方が、よほど可愛いもの。その緑色のツインテールをおろしたら、きっとこのドレスもあなたの方が似合う……。


 せめて口にしろって? 

 無理です。私、仕事以外でまともに話したことないもの。


 感情を表現するのは苦手だ。だって、今までは言われた仕事に『はい』と頷くだけの生活だったんだもの。それでも、人生の最後にしあわせな『ぐーたら生活』とやらを過ごせるのだとしたら……私もこの人みたいに、可愛らしい女の子にもなってみたい。


 そんな私の視線に気が付いてか、コレットは鏡越しにまるく目を見開いて、にやりと笑った。


「ちなみにわたし、今年二十歳になりました。こう見えて、ノイシャ様よりお姉さんなんです! お困りごとがあったら、何でも頼ってくださいねっ!」


 そう胸を張る元気な年上侍女に、私はますます乾いた笑みを返す。

 窓から差し込む朝日が、とても眩しかった。




 そんな不幸な日々に見た、最後の希望『ぐーたら生活』。

 それを叶えるため、朝七時半。

 私は見たこともない美味しそうな朝食そっちのけで、会議内容を確認する。

 これはれっきとした『仕事』だから、言葉もスラスラ出てくる。


「では、私はその旦那様の友人『ラーナ様』と『バルサ様』の前で、『望まれて嫁いできた聖女』を演じればいいんですね?」

「あぁ、俺がきみに治療を受けた時に、一目惚れしたということにしよう。それから居ても立っても居られず、きみを身請けしたと――だから、きみはまだ居心地悪そうにしてもらってくれて構わない。ただ、俺からの溺愛に恥ずかしそうにしていてくれ」

「畏まりました」


 どうやら、このリュナン=レッドラ次期公爵こと旦那様は、二十四歳にして毎日ご友人らと一緒に登城しているらしい。三人とも同い年の昔馴染みで、小さな頃からの習慣が抜け切れていないという。……仲良しがすぎませんか?


 でも、どうやらその『仲良し』を維持することが、この『三分労働』の目的らしいので……夢のぐーたら生活のため、全力で仕事をまっとうさせていただきます‼


「さて、時間だな。ちなみに二人の前では演出として、多少肌に触れることがあるだろう。そこだけは契約の例外として頼みたい」

「もちろんです。記載されてありましたしね」

「嫌なことがあれば言ってくれ。後日契約書に追記しよう」

「畏まりました」


 こうして、私たちは同時に席を立った。足並みそろえて、ロビーに向かう。


 ――さぁ、仕事を始めよう。


 執事のセバスさんが、玄関の扉を開けてくれる。それと同時に「失礼する」と、旦那様のたくましい手が腰を軽く……本当にそっと添えられた。


 あぁ、外が眩しい。


 門の前には、たいそう立派な馬車が止まっていた。私たちの姿を見るやいなや、二人の人物が飛び降りてくる。赤毛の軽薄そうな細身の男性が、おそらくバルサ=トレイル様。そして彼の差し出す手を無視して走り寄ってくる男装の貴婦人が、ラーナ=トレイル次期侯爵だろう。


 このお二人は最近結婚したばかりのご夫婦なのだが、婿入りらしい。ラーナ様は次期女侯爵として、今は城の官吏として勉強中。そしてバルサ様も将来ラーナ様をお支えすべく、共に城で働いているんだとか。今の時代女当主というのは珍しく、そのためラーナ様も普段は男性のようなズボン姿で働いているとのこと。それでも……適度に華美な化粧に、ひとつに纏めていても華やかな金髪。ジャケット越しにもわかるシャツの下の豊満な胸部。女性として堂々と背を伸ばしたお姿は、思わず私が見惚れるほどに美しかった。


 そんな貴婦人が、お隣の婿殿を無視して私の手を取ってくる。


「はじめまして! ラーナ=トレイルと申します。ずっとお会いしたかったの! こんなに愛らしい淑女だとは思わなかったわ! 素敵な髪色ね! ここだけアプリコット……いいな、私も染めてみようかしら?」

「ちょっとラーナ。僕を置いていくなよな……」

「足が遅いのがいけないのよ。あ、この人が私の伴侶のバルサ。これから末永くよろしく――」


 後ろから走ってきたバルサ様は、この距離で息が切れている。運動が苦手なのかな?

 だけど、そんな二人の様子にあきれ顔を隠さないリュナン様が、私の肩に手を置いてきた。


「俺に彼女の紹介もさせてもらえないのか?」

「あら、リュナンが気の利いた紹介をしてくれるの?」

「それは……」


 押し黙る旦那様を、ラーナ様は笑い飛ばす。


「ふふっ。ねぇ、リュナンはどうやってあなたを口説いてきたの? この堅物がいきなり『好きなひとがいる』と言ってきた時、本当にびっくりしたのよ~。許可なく手を出してきそうになったら、思いっきり引っ叩いていいからね? うちに逃げてきたら全力で保護するから! そのあとで私が徹底的に説教するわ! そうだ、今度うちに遊びにいらして? 聞きたいことがたくさん――」

「ラーナ、いい加減にしてくれ。遅刻する」

「え~。ねぼすけのリュナンに言われたくないな~」

「……いつの話だよ」


 その愚痴が悲しげに聞こえたのは、私だけ?

 思わず見返した私に、旦那様が一歩近づいてくる。そして私の唯一色が残っているひと房を手に取り、唇を落としてきた。


「では、行ってくる」


 そして、三人は次々に馬車に乗っていく。「また明日ね~」とにこやかに手を振ってくるラーナ様。「僕一言も話せなかったんだけど⁉」と文句を言ってくるバルサ様。私に向かって、小さく頷いてくる旦那様。……これは、合格ということでいいのでしょうか?


 いななきと共に走っていく馬車を見送っていると、執事のセバスさんがにこやかに労ってくれた。


「お疲れさまでした、奥様」

「え、あぁ……ありがとうございます」


 どうやら、私の今日の労働はこれで終了らしい。……早っ。

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