あれ以来、私は正気を失った。

 私の中に淀んで溜まっていたその感情は、どこかへと去って行ってしまった。

 私には、それを正気と呼ぶのかどうかさえいまいち分からないのだが、通っている精神科の医師がそう言っていた。

 「先生、私のこの感情は正気なんでしょうか。」

 「私は、李緒のことを愛しています。殴ってしまうのは、愛しているからなのです。李緒は傷ついているけれど、私たちの中は一層深まっているように感じられるんです。でも、私の中のある部分が、それを拒絶しているんです。私の99%が肯定しているのに、その部分だけがひと際存在感を放って私自身を否定しているんです。だから、つまり、それって…。」

 ひどくやつれた顔で彼は言った。

 彼の中にあるものを理解することは難しい。精神科の医師である私でさえ、その混乱ぶりには驚く。

 だけどね、ただ一つだけその彼に、小出郡司に言ってあげたいことがあるんだ。

 「じゃあ、それならきっとその99%じゃない、1%の感情を大事にすればいいと思うんです。絶対にそうすれば、君は生きて行けるだろう。だから、自信を持っていいんだよ。」

 彼は何が何だか、といった顔で困惑していた。

 でもきっとその内、分かるのだろう。それでいい。だからそれでいいんだ。

 

 妹は、俺の妹はこの小出郡司に監禁されていて、心に傷を負った。でも、それは兄がきっと見ていてくれる。

 俺にできるのは、小出郡司を何とかすることだけだ。

 俺は、この歪な青年をどうにかしてやろうと試行錯誤する。それが妹のためになるのならば、李緒のためになるのならば、そう思ってただ励むしかない。


 「先生、私は何だか最近幸せなんです。李緒ともいい関係が築けているんです。でも、それに比例して私が過去に李緒にしでかした暴力のことが頭に思い浮かんで、苦しい。苦しいんです。仕方ないと分かっていても、苦しくて、どうすればいいのか、教えてください。」

 泣きながら訴えるその様子は、憐れでもあるし、滑稽でもあった。

 俺は自分の中に存在する悪魔と天使を飼い慣らして生きている。

 お前も、そうすればいいのだ。ただ、そう思っていた。

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少年たちは大人になって、それから。 @rabbit090

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