1日後
何もかも分かってしまった。
簡単なことだった。
小出郡司はまず間違いなく李緒のことを監禁していて、そしてまだ李緒は生きている。それは、とても良かった。
でも、このことを教えてくれた女はイカれていた。この女は、木慈のぞみは毎日小出郡司が住むその家を見張っているのだという。きっかけは偶然だった。彼女が受付嬢をしている会社に小出と事務所の社長が仕事で来社したのだという。あまりのイケメンぶりに皆が目を見張った。けれど、彼女はその美しさを恐ろしいと思ったらしい。けれど、どんどんその姿にのめり込んでいったのは彼女で、木慈のぞみは気が付けば小出のストーカーになっていたらしい。
もともと事務仕事の得意な人で、そういう情報の検索などこまごまとしたことを存外器用にこなせたのだと笑っていた。とても美しい顔を、少しだけ歪ませて。
でも、もう結婚するのだという。
だから小出のことにけじめをつけたくて前園春果に接触したのだと言っていた。彼女たちは昔からの知り合いであったらしく、二人とも芸能人の卵ととして生きていたらしい。
はあ、芸能人の卵というやつらはこうもヤバい奴ぞろいなのかとため息が出そうになる。恐ろしいぜ、なんて内心呟いていた。
「そういうことだから、私のことは秘密ね。ずっと見てたのよ。あの子、土田李緒って子、そろそろヤバいんじゃないかって。私に見られてること、でも小出君は気付いていないみたいね。彼、繊細なのにそういう所が鈍感なの。馬鹿よね。」
クスリと笑い彼女は俺たちがいるホテルを後にした。後々聞くとあのホテルを指定したのは彼女だったという。
その、あのホテルというのはその、まあラブホテルなんだけど。
変な女だった、けど僕たちに危害を加えるようなそう言うタイプのヤバい奴ではない、だからきっと前園春果とも親しいのかもしれない。
前園春果は、ヤバいけれどヤバくない、ちゃんとしてはいけないことを理解している、その部分が多分人と少し異なっているのだと思う。
そして僕は今、準と対峙している。
久しぶりの兄弟の再会、という訳にはいかず目の前の準は僕を据えた目で見下している。
「久しぶり。」
「………。」
だが準は一向に喋らない。尖った顔を崩すことも無く僕のことをちろりと見ている。その小動物のような警戒心の剝きだし方に僕は思った。
ああ、コイツは僕の弟なんだ、懐かしいって。この感じ、一件仲が悪そうに見えるけど、でもそれは気を許した相手だからであって、だからこそこうやって甘えという名前の敵対心をむき出しにすることができるのだ。それはひどく丸裸なものだった。誰からも見られてはいけない姿なのに、この人にだけは見せても良いのだと思わせること。
「来てくれてありがとう。でも電話をもらった時はうれしかったよ。僕を頼ってくれてありがとう。」
そうなのだ、準が僕に電話を寄こした。
ちょっと用事があって、頼みたいことがあると言っていた。僕の番号は昔から変わっていないから準は賭けでこの番号へとかけてきたらしく、つながった時には驚いたと電話口ろばせると準は言った。
「李緒のこと、俺知ってるから。だからさ、大丈夫。小出郡司は俺が何とかするから、頼むよ。李緒のこと面倒見てやってくれよ。」
は?
「は?何のこと?てかお前何で李緒のこと知ってるの?てか小出郡司のことまで知ってるのか?どうして?」
いきなりすぎて何も分からなかった。分からないことだらけで頭がひどく混乱していた。どうして?なぜ準が僕が追っていることを掴んでいるのだろう。そもそもなぜ準がそのことを追っているのだというのか、本当に何も分からなかった。
「…俺も追ってたんだ。李緒のこと探してた。テレビで見た時はうれしかった。あの子が笑っている姿がとてもうれしかった。なのに、突然いなくなってしまうなんて、信じられなかった。だから調べたんだ。俺はずっとまともな社会では生きていなかったから、そう言う裏から調べる、みたいなことはもう得意なんだ。だから兄ちゃんが李緒のこと追ってるのも分かってたし、俺がもう李緒のこと助けて小出を殺してやっても良かったんだ。だけど、李緒のことを助ける人間が必要だろ?あの子は身寄りがいないから、だから兄ちゃんに頼もうって思ったんだ。」
おい、お前何言ってんだよ。お前、小出を殺すって、どういうことなんだよ。おい、なあ。
僕の顔は歪んでいるようだった。だけど言葉が上手く口から出てこない。なぜだろう。
「兄ちゃん、なあ、聞いてくれよ。俺さ、ずっと裏の社会を渡って来たんだ。全然きれいじゃない汚い所、でもそこには浮世では味わえないものぐるしい程の感情の渦と興奮が巻き散らされているんだ。俺にとってはそれが心地よかった。何の刺激もない人生もいいのかもしれないけど、俺は何かを強く感じていないと苦しいんだ。なあ、公務員の兄ちゃんとは反対だよな。」
準は笑う。僕はでも上手く顔を作れない。ひきつっているのだろうか、顔が痙攣しているようだった。
やっと放った一言が、だからこんな言葉になってしまったのかもしれない。
「準、お前。やめろよ。殺すなんて言うなよ。どうしてそんなこと平気で言えるんだよ。なあ、準、準。」
「兄ちゃんさ、言いたいことはそれなんだ。」
準はまた笑う。はにかんでいる。なぜだろう、心から楽しいと言ったような表情で僕を見ている。
「すげえ顔引きつってるよ。あのさ、はっきり言うよ。俺は人を殺したことがある。だからもう兄ちゃんたちと関わるつもりはない。それだけは確かなんだ。分かってくれるよね。」
「…嫌だ。やっと見つけたんだ。ずっとお前がどこに行ったのか探してたんだ。僕にとっては大事な弟で、大切にするべき存在で、だからこそダメなんだ。行くな、どこにも行くな。李緒のことも全部僕が何とかするから、お前は関わるなよ。」
だいぶ興奮していることは分かっていた。頭がじりじりと熱を発している。僕は正気なのだろうか、それもよく分からなかった。
「はは、分かったよ。兄ちゃんの気持ちは分かってる。でも俺は俺なんだ。俺は俺のやり方で李緒を救う。だから兄ちゃん、李緒が一人になってしまったら、世話してくれよ?」
ずいぶん大人びた言い方で年下の弟がそう言ったから、僕はただ頷くことしかできなかった。
李緒を保護するのはそうだとはっきり言えるからだ。準のこれからに関わらず僕はまず李緒のことを考えている。だからその時は、ただ頷いていた。
準はそのままどこかへと去って行った。
去り際、こう言っていた。
「兄ちゃん、ごめんな。もう多分会えない。俺は一人でやっていくから、兄ちゃんも元気でな。それで、李緒のこと頼んだから。」
僕は弟の手を引いて家へと帰りたかった。けれど、もう弟は弟では無いのかもしれない。その手を気安く掴むことができなかった。その手はもう、僕の手中に収まるものでは無かったのだ。
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