僕は知っている。
李緒があの小出郡司に監禁されているということを、知っている。手紙は僕の家へと届いた。李緒のあて名を見た瞬間、とても驚いた。驚いたけれど、僕は同時に強く焦っていた。李緒はなぜ、僕に手紙を送ったのだろうか、と思った。
死んだんじゃなかったのか?
女優として活躍する李緒を見て、僕は嬉しかったのだ。
幼かった妹が、僕たちの家族から突き放されたあの可哀そうな女の子が、幸せそうに笑う瞬間を目にできたのだから。
でも、死んだと聞いた。
ネットのニュースでひっそりと流されていた。最近見かけないなと思っていたら、そんなニュースが目に入って、愕然とした。
でも僕には李緒の現在を知る手段がない、誰も僕に李緒のことを教えてくれる人はいない。家では李緒のことは無かったことになっているし、知り合いにも李緒の存在を把握している人はいなかった。
そんな時、あの手紙が来た。
僕はどうしようか悩んだ。どうすればいいのか迷った。分からなかった。でも何とかしようと決めていた。何をすればいいのかも分からないのに、僕は李緒を助けることを決心した。
まず始めたのは李緒の情報を得ることだ。
情報がとにかく手に入らなくて、どこに監禁されているのかも、誰に監禁されているのかも、最初は全く掴めなかった。掴もうとしてもどこへもぐりこめばその情報が手に入るのかさえ分からなかった。
だから僕は途方に暮れていた。
けれどある日、尋ねてくる人がいた。その人は小出郡司の世話人だと名乗った。そもそも小出郡司はもう有名なイケメン俳優で、僕も知っていた。だからとても驚いた。その人と関係があると言い、もしかしたら土田李緒の情報を知っているかもしれない、もしかした小出郡司が関係しているかもしれない、と動転しながら話しかけられたときはどぎまぎしてしまった。
小出郡司の恵まれない過去も全て彼は知っていると言っていた。だから自分が小出のことを見ていてやろうと思っていると彼は言った。
だけど最近、小出から懺悔のような疑問文が大量に送られてくることを不思議に思っていて、そして彼は土田李緒と小出郡司の恋仲を知っていると言い放ち、だからもしかしたら土田李緒の失踪と関係しているのかもしれないと、あくまで断定できない内容だけどと強調しながら
なぜ僕のことを訪ねたのか、と聞いたら李緒からの郵便物は自分が届けたのだと言い張り驚いた。中身までは見なかったが、もしかしてと思い僕のことを訪ねたのだという。
そしてあの恐ろしい手紙と僕と彼との話が整合性の中にあることが分かり、僕は今小出郡司の動向を探っている。
小出は不安定な面があって、ちょっと何をするか掴めない所があるから気をつけろ、とだけ彼は言った。
その目は、悲しそうだった。
それを見て僕は、この人は小出のことを大切に思っているのだなと分かり、やっぱり辛くなった。
世界って、きれいな物だけであふれていればいいのに、なぜか汚れている場所でしか居られない人がいる。そんなの、駄目なはずなのに、そう、ただそう思っていた。
そして、前園春果と対峙したのはついこの間のことだ。彼女は僕達兄弟3人で写った写真を眺めていた。きっと彼女は分かっているのだろう、李緒はそれ程有名な女優だったのだから。今すぐ分からなくても、自ずと思い出してしまうのかもしれないし、とにかく混乱する前に収集をつけたかった。
だから僕は前園春果に話をしたのだ。
僕が思っていたよりも彼女は大人だった。もっとねちっこくて甘ったれていて嫌な女だと思い込んでいたけれど、彼女はただ必死に生きているようにしか見えなかった。
性癖、のような物ならたぶん誰でも持っているのだと思うし、僕だって何も無いとは言えない。そもそも何かに執着するということは僕にだってある。現に僕は離れて久しい妹を探し続けている。
そのことと前園春果が僕の机を漁っていることとは何ら関係がないことは分かっているけれど、でも僕は彼女の目を見て言った。
「あなたが見たこと、誰にも言わないで。あの子は僕の妹なんだ。土田李緒、多分知ってると思う。僕はその子を探してる、死んでなんかいないんだ。監禁されていて、悪い男に監禁されていて、助けてくれと手紙をもらった。だから…。」そう強く勢いをつけて言っていると、前園春果は一言、「そうなんですか。」と嘆息を漏らした。その目には動揺というより、疲れが見えた。彼女にとっては今僕に自身の犯行を目撃されていたたまれない状況だということは分かるけど、やけに落ち着いて見えてしまった。
「そうなんだけど、すごく落ち着いているね。」
「いや、あの。私昔芸能人やってたから、知ってるんです。土田李緒ちゃんは年下だけどとても輝いていました。女の子の中にある危うさとか不安定さとかそういう物から離れていて、どこか卓越してるんです。だから私、あの子に救われていました。私はあの子のようになればいいのだと、あの子が芸能界で生き残っているのは確かなことなんだと、やっぱり生きる伝説みたいな感じだったから。」
前園春果はそう言った。
そうか、李緒はそうだったのか。
「それでね、僕の机を漁ったことはもういいから、次からはするなよ。後このことは黙っていてくれないか、いいよね?」
最後に確認をする、僕は彼女の目をずっと見てそうすごんだ。僕はだけどこの女をどこか信用できないでいて、言葉が鋭く強くとがってしまった。
「分かりました。」
彼女はどこか目の焦点が合わない顔でそう言い、ふらふらと家へと帰って行った。
数日後、僕はまた小出郡司の世話人と会う約束を取り付けた。
彼は小出が今住んでいるところを知らないという。郵便物は彼の事務所当てに届くのだと言っていた。彼がそこまで拒むのだから、聞くことはできないと言っていた。そこまでって、どう拒んだのだろう。なぜかそこが気になった。
「それがね、今どこに住んでるんだって何度も聞いたんだけど、それだけは言えないって、私に全てを打ち明けて明らかにして素のままでいるのにそこだけは譲らなくて、それもおかしいと思っていたんだ。」
そうなのか、と思った。
小出郡司はこの人に色々なことをさらけ出している。じゃあ、もうすぐなのかもしれない、という走った衝動を感じていた。
この人はあくまで心配しているのは小出郡司なのだ、つまりそいつに監禁されているかもしれない李緒のことを本当に強く考えているのは僕しかいない。ならばもっと、強く情報を引き出せば自ずと見つかるのだろう、と思った。李緒につながるような何か、きっとすぐに見つけ出してやる、そうすごむように思い詰めていた。
その時、彼が言った。
「その話でね、近々郡司と会うんだよ。だからもし良かったら君もこっそりとついて来たらいい。そうすれば何か掴めるかもしれないし、私はね。郡司が、あの子が何かをやらかしてしまったかも知れないと思うと落ち着かないんだ。私はあの子のことを実の息子でもないのに、とても大切で仕方が無い。言葉ではまとめられないようなことで、表す表現が無くて、とにかく私は郡司が何か悪事に手を染めてしまっているのなら、やめて欲しいと思っているんだ。」
「僕は、李緒を助けたいんです。それだけだから、その小出郡司のことは正直よく分からないんです。とにかく、会ったことも無いし見てみたいとは思っています。テレビ越しではなく、素のままの彼を見て判断したいと思っています。」
そう言うと彼は黙って頷いた。
その日の話は、そこで終了した。
目の前の席には二人が座っている。
ここはとても優雅なお店だった。さすが芸能人、と唸りたくなるような場所、都心の一等地にあるホテルのカフェだった。食事ではなくお茶ということで、小出郡司の世話をしている三島さんではなく、小出郡司の希望でこの店を選んだのだという。普段は三島さんが経営している本屋で落ち合っているらしいのだが、今日だけはここに連れて行きたいと言い張ったらしい。三島さんによると、今日は彼の誕生日だということだった。まさか、郡司がそんなこと考えてくれていたなんて思わなかった、と少し泣いたような声で言っていた。
湿っぽく感動的な話なのに、僕には李緒のことをはらんだ疑念があり素直に受け取ることができなかった。
「郡司、体調は平気?」
コーヒーを両手で持ちすするように飲みながら彼はそう言った。
「はい、おかげさまで大丈夫です。ていうか、こんな店嫌でしたか?私の中では最大限頑張ったつもりなんですけど、なにしろ私には一般常識というものが欠けているらしいので。」
苦く笑ったその顔は、どこか人間じみていた。テレビで見る小出郡司とは少しかけ離れていて、驚いてしまった。
「なあ、郡司。大変だったら大変って言っていいんだぞ。お前は普通の人より学ぶ時間が少なかったんだ。だからゆっくり生きていく権利を持っているんだ。分かっているよな?」
「ははは、まあ。でも世間はゆっくりなんてしていませんから。みんなの尺度からずれた私は少しどこか浮いてしまうみたいなんです。」
確かに、三島さんの前では小出郡司は常に本音を漏らしているようだった。こんなに懐いてくれる動物がいたら僕もそいつを可愛がってやるかもしれない、なんて思っていた。
僕は二人の様子を少し離れた席から見物している。幸い、蓄えは割とあって、散財、という物とはあまり縁が無かったものだから、良かった。だって本当に高いお店で、目玉が飛び出る程、と言っていいだろう。この世の中にはこんな店もあるのだなあ、と思わせられた。
二人はただただ談笑している、集まって言葉を交わし始めるうちに溶けていく液体の様で、他人が入る隙が見つからなかった。テレビで見たあの寡黙そうなイケメンがこうやって訥々と言葉を放ちまくっているのを目撃すると、とても意外な気がしていた。そんなことを考えるしかなく、特に李緒につながる情報は何も見つからなかった。
けど、僕は。僕はこのために来たのだ。仲良く談笑している疑似親子などどうでもいい、僕が知りたいのは李緒の行方だ。
そう憤慨しながら奮い立って席を立った時、肩を掴まれた。
一瞬、背筋が凍った。ぞっとした心地が長く続き、気味が悪かった。振り向くと、そこには目の敵にしている対象の小出郡司がいて、彼の目には一切の光が灯っていなくて、とても恐ろしかった。
遠巻きに三島さんが苦笑いのような顔を浮かべていたが、僕はただ硬直していて状況を把握するのに時間がかかった。
「あんた、土田李緒の兄なんだろう?」
いきなりそう言われて、そうだ、と言いそうになったがなぜコイツがそのことを知っているのかすら見当もつかなかったし、うすら寒い程意味が分からなかった。
少し冷静を取り戻して三島さんの方を見た。しかし彼の姿はどこにも無く、だから僕は、「三島さんは…?」と呆けた顔で口にしていた。
「ああ、帰った。私が帰って欲しいと言ったら帰ってくれた。私の言うことをあの人は何でも聞いてくれるんだ。私が何か特別なことをしたわけじゃないのに、あの人は私の味方でいてくれる。私にとってはとても貴重な存在なんだ。何か、悪いところでもあった?」
年下のくせに妙に冷静で、確かに。こいつは普通の人間じゃない。生い立ちですら笑ってしまう程苦労をしていたみたいだが、今現在の姿は飛んでいる。とびぬけて、ずば抜けていかれている。だけどそうか、この壊れ具合がきっと人を引き付けるのだ。彼の美しい姿と中身のおかしさと、そのちぐはぐさが皆を呼び寄せる。まさしく客寄せパンダだ。
「そうだよ。何て。」
「私ね、人の考えていることが少しわかるんだ。これって特殊能力なのかな。私はずっと私の保護者の顔色をうかがってきたから、こういう力を身に着けたんだと思う。でも辛いんだ。分かってしまうのが辛い、分かってしまったらそれに即した反応をしないといけないだろう?でもつかれるんだ。先読みすると気味悪がられるし、笑っちまうだろ?」
ゾクッとした気持ちを抑えて立ち上がる。
李緒のことはある、だけどこの場所から逃れたい。なぜ三島さんはいなくなったのだろう、何だかこのままどこかへ連れて行かれそうで恐ろしかった。
もし李緒がこんな奴に監禁されているとしたら、考えただけでも恐ろしい。こいつは一体、何なんだ。
僕は、昔から感覚が鈍かった。
つまり、それは僕にとってはその鈍い感覚で読み取った物が全てで、それが世界なのであって、だからほかの人とは見えているものが違うのだと大人になるにつれて分かった。
この男は、小出郡司はでもまた違った奇妙さを抱えている。
それが得体のしれない程意味の分からないようなものの気もするし、そもそも理解など不必要な何かなような気もしてしまう。とにかく逃げよう、今思いついたのはそれだけだった。
ただこの男の恐さだけを知り、それだけを収穫として帰ることになった。
多分、この男は全てわかっているのだ。
分かっているから僕を理解している。そして、李緒を監禁しているのかもしれない。というか、もう間違いない。この男の僕に対する警戒心、執着、それらがあるとするのならばきっと、李緒はもうまず間違いなくこの男に監禁されている。
これは、確かなことだ。分かって良かった、分かったら助けられる。方法を考えられる。冷汗がぞくりと流れるのに僕は全力疾走で町を駆け抜けた。
「疲れた。」
そう言ってしまった。
だけど目の前にいるのは気味が悪い程の顔色をした前園春果だった。なぜこの女が僕の家にいるのかというと、それは僕が彼女を部屋へと迎え入れたからだった。
あれから、あの李緒のことを知られてしまった時以来、前園春果は常時僕と目の焦点を合わせようとしていない。フッと視線が重なった時でさえ、彼女は逸らす。
だから、僕は彼女の手首を捕まえてこう言った。
「あんた、全部知ってるんだよな。だったら協力してくれないか?どうも一人じゃ無理みたいなんだ。李緒のこと知っているような口ぶりだったし、昔芸能人だったって言うんなら小出郡司とも関係することがあるのかもしれない、だから、頼む。」
僕の体は震えていた。こんなお願いは初めてだったし、どういう態度をとればいいのかなど分からなかった。それに、コイツは僕のことを何かと執着の対象にしていた女で、僕にとってはもちろん気味が悪い存在なはずで、彼女もそれを承知しているようだったし、じゃあ。
「良いですよ。」
ごちゃごちゃと考えている内に彼女はそう言った。
「良いって?」
「はあ、協力しますよってこと。私、だって未波さんに嫌なところ見られてるし、負い目もあるからできる範囲でなら良いってことです。」
まじかで見るときゅるんとした顔をしていて、確かにかわいいともいえるのかもなと思い始めていた。自分に都合のいい人間だけを美化する自分がどこか情けなく恥ずかしかったが、でもそれでもいいのかもしれない。
この子が協力してくれるのならば、それはとても助かることなのだから。
「じゃあ、うん。ありがとう。お願いします。」
僕がそう言うと、「はい。」彼女はただ素っ気なくそう呟いた。
まず手始めに、と二人で話し合ったことは前園春果の古い知り合いに話を聞くことだった。彼女は案外人との関係をよく築ける子らしく、出会う人はみな協力的だった。けれど、その一人一人があまり前園春果と深く親しいという訳ではないと感じていた。彼女は顔に微笑みを作りながら、心の中に
周りの人は君のことをよく思っているのに、君自身が拒んでいるんだ、そう言ってあげたかった。
「どうでした?何かいい話でも掴めましたか?」
「ああ、うん。李緒のことはみんな何か特別な存在って目で見てたんだね。それで小出郡司のことは誰もあまり分からないようだね。」
「そうですね。李緒さんのことはまあ、みんなおおむね意見が一致すると思うんですけど、あの小出郡司って人、ちょっと変なんです。聞けば誰もよく知らないって、でも一緒に仕事をしたことがあるのにそんなことってあります?変だったとか、元気だったとか、うるさかったとか、ふつう何かあるでしょ?そう思いません?」
「まあな。」
こうやって色々な情報を仕入れると、とにかく小出郡司という人は悪目立ちもしないし、でも良いとも言われないし、そういう意味でおかしいということだけは分かった。
だけど探りたいのはそんなことじゃない、僕が知りたいのは李緒の行方であってそれを知っているかもしれない人物と出会うことだった。そのために前園春果と接点を持ち一緒に活動をしている。彼女にとってはまあ、迷惑だろうけど、そう思いながらも僕は突き通すしかない、他人の気持ちに鈍感になって知らないふりをして、それで僕は李緒を探すのだ。
「あの人、多分行方知ってますよ。」
え?
「何?って顔してますね。でも最初から私には当てがあったんです。私だって時間を無駄にしたくないし、そういうことちゃんと把握してたから付き合ってるんですよ?今はちょっとお遊びで場を流してましたけど、本当はここからが本番ですから。でも気を付けてくださいね。あの子は、ヤバい子だから。」
前園春果はそう言って微笑んだ。その顔はどういう意味なのだろう、全く掴むことができなかった。
「のぞみ。あの子の名前は
「小出郡司のストーカーよ。」
僕はその女の姿を目撃した。
でもそこにいたのはとても美しい、きれいな美女だった。
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