仕事終わり、いつもの通りスーパーへ寄り総菜を買う。
僕は、料理ができない。それはなぜか、包丁が怖いから。持とうとしても震えてしまって無理なのだ。ブルブルと痙攣して、止まらなかった。
「お疲れ。」
「ああ、お疲れ様です。いやあ、珍しいですね。僕いつも早く帰るから、あまり職場の人とは会わないんです。」
「まあそうだろうね。てか正直すぎるな。でもお前はよくやってるから。みんな何も言わないで早く帰してくれるんだぞ?」
「そうですか…はは。」
たまたま出会った。この人は隣の課の男性だった。あの、前園春果と同じ課で働く人だ。
僕は前園春果のことが苦手だった。確かに顔は可愛いのだろう、が、全く。僕はその顔を惹かれる対象としてみることができなかった。むしろ不自然な何かを見つめるような目で見ていると思うのだ。それ程、人を嫌悪することも珍しかった。
だけど、知っている。
「なあ春果ちゃんがさ、未波のこと好きなの知ってるだろ?みんな分かってるよ。露骨だもん。笑っちゃうよな、あんな可愛い子が。お前も気付いてるんだから、何か反応してやればいいじゃん、いつも気付かないふりして黙っててさ。」
「いや、僕は…。」
言葉を濁す。確かにその通りだ、僕は前園春果の全てを無かったことにしてしまいたい。だから、彼女の存在を感じ取らないように神経を張り巡らしている。
「はは、でもさ。お前の気持ちもわかるよ。春果ちゃん、ちょっと不安定だもんな、俺もちょっと怖いもん。怒ったら泣きそうでさ、ビクビクしているよ。」
「じゃあな、また。」
そう言ってその人は去って行った。
彼は家族が多いと言っていた。公務員の給料では養えないとよく嘆いているのを聞いたことがある。表向きは明るいけれど、実は中では大変なことを抱えているのかもしれない、とにかく久しぶりに外で職場の人と出くわして気持ちが動揺していた。僕は、そういう人間だった。
感情が薄いということは、分かっていた。
何か昔から、人よりも感じる力というものが弱いとは思っていたから。でも、それでもあまり不自由はしていなくて、でも。知りたいと思ったのだ、僕は。
ずっと抱えてきたものはよく分からないという事実だけで、でも、知りたい。僕はもっと他の人が感じるような感覚を味わってみたかった。
だから、今日、これから。
僕は前園春果に会いに行く。
避けていた。彼女の執拗な視線を、見ないようにしていた。けれど、もう放っておくことはできない。
彼女は、どうやら僕の机の中を漁っているようだった。
僕は、人には見られてはいけないものを隠している。準と僕と、
李緒は、妹だ。
誰にも知られてはいけない、その子は決して知られてはいけない子だから、なのに。知られてしまった、それもとても不本意な方法で、あの女に伝わってしまった。
僕は、李緒を守らなくちゃいけないんだ。
李緒は、ずっと監禁されている。誰の目にも付かないように、閉じ込められている。今はそれが精いっぱいでどうしようもないんだけど、でもいつか、僕はあいつを外へ連れていく。それだけは、ゆるがせるつもりはない。そう決めている。
「お兄ちゃん…?」
くぐもった顔で僕にそう尋ねるのは李緒だった。
まだ幼い可愛い僕の妹、として連れてこられた女の子。訳も分からず男二人姉弟の中に組み込まれて、相当戸惑っている様子だった。けれど、次第に慣れてきたのか、
「遊ぼうよ。お兄ちゃん。」
と言って手を引いてくるようになっていた。妹の居ない僕からしたら、その幼い女の子は愛らしくて仕方が無かった。地味な顔立ちだけど、表情が可愛くていつも恥ずかしがっているのがミソなんだ。僕は、いや僕も準も李緒のことが好きだった。
でも、ある日。
「李緒はいなくなったの。帰ったの。」
母親はそう告げた。
母は、李緒のことを嫌っているようだった。でも、僕はそれは仕方が無いことなのだと理解する。李緒も、分かっているのか僕の母にはあまり近づかないようにしているらしかった。だから、それは本当に突然のことだったのだ。
「勝手すぎるだろ、李緒は?どこなんだよ。」
準は素直だった。思ったことをそのまま、母親にぶつけていた。でも僕は、できなかった。だって、李緒は父親が外で作ってきた子供だから、母にとっては血が繋がらない不倫相手の子どもということになるのだから、仕方が無い。
正直分からない、前園春果はなぜ僕になど執着しているのだろう。けれど知る必要があった。あまり人の深い感情を知らないようにしてきたせいなのかもしれない、僕は他人の感情に鈍感だった。そして、あまりにもおかしいような気がしていたけれど、前園春果はやけに感情の、そういうことの強い女だと感じていた。だから、彼女が僕に執着する理由が一向に掴めないのだ。
肩を叩く。
「前園さん、ちょっと話があるんだ。」
そしたら彼女は少しゲッとひるんだ顔をして頷いた。その顔には恐怖の色だけが滲んでいて、僕に対する好意のようなものは一切感じられなかった。僕はこうやって人の顔色から他人の感情を推察する。いや、断定する。本当に顔色だけ、積み上げてきた分類だけで判断するのだから、どうやらこれも他人とは違うらしいと何となく感じている。
「分かりました。今ですか?」
「うん今、都合悪かった?」
「いえ大丈夫です。ちょうどお昼休憩に入るところだったので、むしろちょうど良かったのかもしれません。」
僕たちは屋上へと向かった。この役所は2階建てで屋上といってもだだっ広い低いだけの場所だった。だけどここを好んで昼飯を食べに来ている者もいるようだった。でも僕はクーラーの効いた室内で食べることを好む。
「単刀直入に聞くよ?」
いきなりそうけしかけると、彼女はうつむいた。仕方ない、しばらく待つかと思いぼんやりとお茶を飲んでいると彼女が話し出した。
「あの、私、言わなきゃいけないことがあるんです。きっとそのことですよね。」
動揺しながらそう言い、僕の目を見る。その瞳はやけにうるんでいて小動物のようだった。だけど、僕は可愛い、などとは全く思わなかったのだから、やっぱりこの人のことがあまり好きではないのだろうと感じていた。
「写真見ました。机漁りました。ごめんなさい。でも、何なのかは分かりません。ただ、女の子が写っていることだけは知りました。写真の後ろには流美さんと準という名前だけが書いてあって、でも女の子の名前は無くて、どういうことなんでしょう?でも、あの。分からないけど見たことある気がするんです。もしかして私の知っている人ですか?」
「………。」
僕は黙る。そうしたら隣の彼女は怯える。
そうか、あれをやっぱり見られたのだな、と思った。
李緒は、そうだきっと前園春果も見覚えがあるのだろう。知っているはずだ。だってあいつは有名人だから。女優だった。テレビcmで有名になって、ドラマにも良く出ていて、突然死んだ。いや、正確には自殺したのだ。でも生きている。けれどテレビ業界からは消えて、死んだことになっている。仕事に穴をあけて、知らない間に死んだということにされているようだった。
あいつは、今監禁されているのだ。
自殺の原因であるあの男によって、閉じ込められている。ある日郵便が届いた。そこに現状を嘆く李緒の叫びがつづられていた。
お兄ちゃんへ。
未波流美様。
今私はあの男によって閉じ込められています。
とても辛くて耐えられそうにありません。
監禁、といってもいい状態なのです。でも、私には心配してくれる身寄りも無くて、でもお兄ちゃんなら助けてくれると思って、手紙を出しました。
何とか届いてくれれば幸いです。
急にこんなこと言って、ごめんね。血も半分しかつながってないのに、迷惑だよね。
だから…。
土田李緒。
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