頭がおかしくなりそうだ。
汗が止まらない。
誰でもいいから代わって欲しい。けれど私はこの仕事を退くつもりなど一切ない。
高校生の頃に可愛い、と親に言われてアイドルになった。オーディションでは「君は輝いている。」とやけに胡散臭い眼鏡をかけたグラサン野郎に言われていた。だから自信を持ってしまった。けれど現実は地上波の番組にちらほら出演することができるだけで、しかもそれもバラエティーという枠の中ではどこか浮いているというか、馴染むことができない存在のようになっていて、私は何も言っていないのに事務所から契約を切られていた。
「はああ。」誰も見ていないから盛大に息を吐ける。誰かに見られていたら絶対にこんな姿はさらせない。そう気づくたびに自分の自尊心の高さに嫌気がさす。けれど私は私のままで、私という容れ物から退くことなどできないのだった。
そんなことを思うのは、私が自殺経験者だからなのだろう。
事務所をクビになった私は、死にたかった。
未来を全てアイドルという枠に託していたはずなのに、そんなものはもうどこにもなかった。とりわけ不器用で、社会にうまく溶け込めなくて、だから親が私をアイドルへと導いたわけで、つまり私には絶望しか無かったのだ。
もう何遍も考えた。私はどうしようって、けれどその時は死ぬのが最善なんだと思っていた。今でも、本当はそう思っている。
もともと不安定だった感情が、ゲリラ豪雨のように突発的に荒れ狂い周りを困らせた。困らせて、その結果殴られたこともある。契約を打ち切られる前、事務所に若いマネージャーが調子に乗って「ブス」と罵ってきた。そんなことに何の意味があるのかは全く分からなかったが、とにかくその言葉に反応して私は怒鳴り散らした。
「フザケンな、クソ野郎。テメーみたいな女に言われたくねえんだよ」と。
その子は私と同じくらいの年頃の女の子だった。
高卒で芸能事務所に入社し、近いうちに会社を辞めて結婚すると言っていた。勝手にしろ、とは内心だけで思っていた。だけど、伝わっていたのだろうか。私の中からあふれる他人に対する棘が、毒が、流れ込んでしまったのかもしれない。
控室で二人っきりになった途端、彼女はそう言って私を睨みつけ言葉を言い放った。
驚いて、そして私も罵り返した。それはもう、反射的といってもいいだろう。私は自意識の中ではか弱い小心者だったはずなのに、ああ、私ってドギツい奴なんだなってその時はじめて思った。
だから、殴られた。
その時が人生の中で他人に殴られたという初めての経験をしたことで、それからは何かから吸い寄せられるように血のつながらない他人から暴力を振るわれるようになった。
思い出す。
幼い頃、私は自分を封じ込めたということを。
私がわがままで自分勝手で遠慮をしないから、周りから蔑まれるんだって、信じていた。だからその真逆のことをしようと思って私は控えめ、先に出ないということに執心した。なのに、その頃からだったのだろうか、私は自分自身が壊れていく様をありありと感じていた。
今思えば、そんなことしないでゴーマイウェイを貫いていれば良かったのだ、と今は思う。だって私は特定の子からはめちゃくちゃ嫌われていたけど、すごく好きになってくれる子がいたのも事実で、でも傷つけられることが嫌で、私は自分を曲げた。抑圧し、殺した。
そうしたら、元には戻れなくて気づけば誰も近くになどいなかった。
わがままな私、おかえり。なんてことを思いながら現実逃避を続けていた。そこは冷たい警察署の中だった。暖房はついてないんですか?と聞いたらシカトされた。聞くべきことは聞いて、必要ではないことには答えない。ならば、私もそうしてやろうと思い立ち、実行した。
私は約一か月ほど警察署の中にいたらしい。
ぼんやりとしていて、現実感が薄くてあまり覚えていなかったのだが、あとで家族からそう聞かされた。
和解、という結末になったらしい。
私の殴られた傷は浅く、目立たなかった。けれど私の暴れ回った痕跡は強く残り君は弱い立場なんだと弁護士から告げられた。チっ、知らねえよ、と思った。
けれど、さすがの私でもその時は世間が怖かった。警察署で素っ裸にされて体を調べられた。私はその時、何だか訳が分からなくなっていた。一応、アイドルとして私はそこそこ可愛い方だったはずで、そりゃあ私の裸には価値があるのだろうなんて思っていた。でも、人前でその姿にさらされることが、私には耐えられなかった。
本当に、耐えられなかった。
震えてしまって、泣いていた。
でも、誰も慰めてなどくれはしないのだった。
ぐちゃぐちゃになった感情の中で、私はどんどん自分から遠ざかる感覚を感じていた。私は、何なのだろう。不思議と、あんなにムカついていた、いやムカついて怒って当然なはずのあのクソマネージャーに対して、全く憤りを感じていなかった。
そう言えば、あの時からだったのかもしれない。
私が素っ裸にされた瞬間、あの時から、私は壊れていたのだ。
小学生の頃、私はいじめられた。同級生の女に、こっぴどく。何が気に食わないのかは分かっていた。私が可愛いから、とかお決まりのセリフで締めてしまったら当たり前なような気がするけれど、見かけ上はそうで、でも中身は違った。
私は同級生の男子に、服を脱がされた。
みんなが見ている前で、はっきりと笑い声をたてながらその男は興奮していた。けれど、そんなことで私は曲がらなかった。
と思っていた。
家には両親は不在で、私は一人でモソモソとインスタント食品を貪っていた。二人とも料理があまり得意では無く、というかする意志が全くなかったので、私はそうやって生きていた。それでも、平気だった。
はずなのに、あの日以来、あの、人前で裸にされた出来事を境に、私は上手く人と関われなくなっていた。
今までは何の疑問も抱かずにおばちゃんの井戸端会議のようなペチャクチャ話に混じれていたのに、急にその子たちが全く知らない人たちで、でも私にとっては馴染み深い子達だったはずなのに、なぜだか私は見知らぬ人たちの中にいる、という錯覚を抱いていた。
もちろん、おかしいと思った。けれど、きっとそれは私が成長したからなのだと思っていた。一足先に大人になったのかもしれない、そう思っていた。
でも、どんどん人との距離が掴めなくなり、私はいじめられ、両親が目障りな存在を見るような目で見つめている、そのような物になっていた。
その日、私は死ぬことにした。
悟ったといっても過言ではない。
二度目だった。一度目は事務所に入る前、絶望を突き詰めていた頃、私の居るところはないと本気で信じていた。でも、それはあながち間違ってはいないのではないのかと今は思う。
私たちに、居場所などハナから無かったのだ。
そんな恨み言なのか何なのか、分からない言葉をぼそりと呟き私は落ちた。
しかし、助かってしまった。
高所恐怖症だから、3階程度で平気だと思っていたのが甘かったのかもしれない。でも、私にとって自殺といえば落ちることだった。昔、映画で見たことがある。私はその映像が焼き付いて、頭から離れない。
「春果、何でだよ?」
「春果ねえ何で?」
二人は、両親はとても健全だった。見るからに健やかで、全くの曇りも抱く必要がないという類の人たちだった。私が受け継いだのは、でもその人たちの見かけだけだった。不運というのは、きっと世界の中で平等に、幸せに包まれている場所には飛び切りの運の悪さが、降りかかってくるのだろう。そうずっと思っていた。そう思わなくては、私は自分を存在させることすら許されていないような気がして、苦しかったのだ。
この人たちは、なぜ私のことをこのような状態にしているのに、いつも健全な面を下げて社会へと羽ばたくことができるのだろう。まっとうな大人であれば、中学生になった頃、唐突に分かった。
まっとうな大人であれば、料理もせず金だけを渡し娘を放置することに犯罪を犯してしまったかのような罪悪感を抱いていてもおかしくないってことに、気付いてしまった。なのに、彼らは違う。彼らは、そんなことをしでかしておいて、まっとうな顔をして当たり前のように社会に出て行く。
そうだ、私はずっとそのことに違和感を抱いていたのだ、そう気づいたのが私が一度目の自殺を企てた頃だった。毎日が死神にとりつかれたかのように、重かった。そしてそれが全て無くなってしまったと感じた瞬間、私は屋上から飛び落ちていた。けど、助かってしまった。
罪悪感を一切抱かず、自分がまともであると当たり前のように誇示でき、街を闊歩している彼らが不思議でならなかった。そう思うと、私はますますどうすればいいのか分からなくなり、同時に死にたくもなっていた。
「お疲れ様です。」
地獄のような外回りを終え、私は帰宅する。見かけ上は、その様になっている。しかし私が所属する課の面々が全員帰るのを見越してから、私は彼の元へと向かう。
運命だと思った。
それはもう一方的に、これは倒錯しているもので、きれいで純粋なはずはないと頭の片隅では理解しているつもりだ。けれど、私の中の歪んでいる場所が、彼を追い詰めろとささやく。
私は悪魔なのだろう、彼にとっても、誰にとっても、きっと。
じゃあ仕方ないのかもしれない、そう思って自分を納得させよう。私の中に潜む悪魔を、私ははっきりと自覚している。けれど、やめるつもりなど毛頭ない。私にとっては、やめたら死と同一なのだから、捨てる前にすがる何か、その様なものなのだから。
彼の名前は、隣の課に所属する男性で、
イケメンで、色白で、私の目は彼の姿しかとらえていないのだから。
初めてその姿を確認したのは彼が隣の課に配属になった時だった。その日は雨が降っていて、私はどんよりと重い気持ちを処理できていなかった。自分でも、ヤバいと感じていた。それ程、迫ってきているような状況だった。
「えっと、未波流美と申します。入庁することになってとてもうれしいです。実は僕、結構民間の企業から不採用を頂いちゃってて、こうして採用されたことがとても喜ばしくて…自分の話ばっかりですみません。」
その人は、とても正直な言葉を吐く人なのだなと思った。私は、自分の中で響いている本音にオブラートをかけるどころか思い切り叩き落さないと外に出すことができない。つまり、私の言葉は一切本音などでは無いのだ。
でも、この人は。
隣の課だけど同じフロアで人数も多くないから私たちは一緒にその演説を聞いている。中には仕事が忙しくて自分の作業に邁進している人間もいるが、私は決してそのようなことができない。今の仕事を退いていく場所など無いのだから、最大限の注意を払って人の神経を逆なでないように気を付けている。
神経はだからいつもすり減っていて、ため息すら漏らすこともできない。
辛い、そう思った。
「そうなんだ。よろしくね。私上司の志路って言います。多分一番関わっていくと思うから何でも聞いてね。てか、若いわね。20代なのね。それにすごくカッコいいわね。」
「え、あはい。あの…ありがとうございます。」
決まり決まった様な照れを浮かべ、でもその一つ一つにどれをとっても違和感がない。いやらしさがない、この人は私とは異なる人間なのだ、と、そう強く思っていた。
ほとんど同い年で私は彼のことが気になっても別におかしくはないのだと思う。けれど、私は自分がおかしくて仕方が無いのだ。そう思えてならなかった。
だって、
私の目は話したことも無い彼の姿を追い、いつも妄想に明け暮れる。抱きしめられること、甘い言葉をささやかれること、そしてその先。
罪悪感はあった、もちろん。けれどもう、戻れそうにはなかった。きっかけが何だったのかは正直分からない。けれど、私は彼に何かを求めているのかもしれない。だから、こんなことをしているのだ、と決めつけていた。
こんなこと、退勤した彼の机を漁る。ここは残業が多いので職員には全員キーを渡してあって、とても簡単に私は不法侵入のようなものを成し遂げていた。そしてそれが私を得意げにさせたのか、私は薄ら笑いを浮かべていた。楽しくて仕方が無かった、こんな不気味で汚いこと、なのに私は、私は。
机の中には手紙が入っていた。いつもは開けることのできない、でも今日は鍵をかけ忘れている。わざわざ職場まで持ってきて、それを肌身離さずいたいようだった。何なのか、ずっと気になっていた。
そう思いながら開けてみる。
写真だった。
裏に準と僕というタイトルが付けられている。
そこには、小学生程の兄弟が写っていた。
だけど、あれ?
準と僕、なのに三人写っている。一人は、女の子だった。すごく良く似ているから多分血が繋がっている姉弟なのだろうと推測させている。けれど、名前は無くその正体が掴めない。
この子は、一体誰?
謎は謎のままで、私は頭の中を混乱させたまま帰宅する。こういう状況だとポカをやらかすのが常で、間違ったことが起こるというのがいつもだった。けれど、何だろう。すごく引っかかる。あの子、
あの写真の女の子、既視感があるわ。
焦って逃げていく中で、私の思考はやけにクリアに冴え渡っていた。あまりの興奮のせいだったのだろうか、それともこんな犯罪を軽々とやってのけてしまう私の狂った恐怖心のなさが起因しているのか、とにかく分からない。
分からないけれど、考えることがやめられない。
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