第48話  わかってたつもりで


 佳也子は、書店の仕事が好きだ。

 決して、お給料は高くはない。それでも、大好きな本のそばにいられる。それがこの上なく嬉しい。

 旅行に出かけても、観光名所そっちのけで、本屋に飛び込まずにはいられないし、気になるタイトルの本を見つけると、どんなに重い荷物を抱えているときでも、買わずにはいられない。

 本との出会いは、偶然と奇跡の賜物だ。出会ったときに買っておかないと、二度と出会えない本もたくさんある。


 そんな佳也子にとって、書店の仕事は、『仕事』ではあるけど、『好き』の延長線上にもある。

 それを辞めて、東京へ行く。そして、そこでの仕事は、まだ未定で。

 毎日、勤務中は、そのことを忘れていられるけれど、夜になって、想太が寝ついた後、1人で過ごしていると、胸の中を不安と焦りが駆け巡る。


 今夜も、想太が眠ったあと、佳也子はひとり、パソコンで、Youtubeをぼんやり眺めていた。

 なんだか元気が出なくて、毎日のように見ていた求人情報も、今夜は見る気がしない。


 ふと、過去の圭の動画を見てみようと思いつく。

 グループで、レコーディング中の映像もあれば、ダンスしている映像、ミュージックビデオ、バラエティー番組での映像、本当に様々で、たくさんある。

 目についたものを一つ一つ再生する。

 今よりもっと若い頃の映像では、彼の写っているシーンが少ない。MVのメイキング映像なんかだと、撮影用のカメラと被っていて、彼の踊っている姿がちゃんと見えないこともある。右手の端っことか、左足の端っことかばかりで、肝心の顔が見えなかったりする。

 

 もどかしい。

 今、佳也子は、圭の笑顔が見たいのだ。

 自分が悩んでいることを、直接彼に話すことができなくても、せめて動画の中の圭に、慰めて励ましてほしいのだ。


(会いたい)

 ほんとは、彼にいっぱい甘えてみたいような気がする。


(会いたい)

 あの笑顔と声のそばにいたい。温かい手にふれていたい。


(会いたい)

 気がつくと、そればかり繰り返し、つぶやいている。


(会いたい)

気がつくと、涙が頬をこぼれ落ちている。


 涙の浮かぶ目で、佳也子は、次々、映像を見る。


 何かのミュージックビデオのメイキングなのか、ダンスの撮影シーンの合間に、メンバーのいろんな表情や様子が挿入されている。そのうちの一つに、圭の笑顔があった。

 何を見ているのかわからないけど、何かを見て、大きな口を開けて、心から楽しそうに笑っている。作り笑いではない。彼の目はとても嬉しそうに輝いている。

 その動画の撮られた年が、衣装とバックに流れる曲でわかる。

 動画に添えられたコメントによると、圭が初めて、2番じゃなくて、1番にソロパートがもらえた曲であるらしい。

 確か、この年ぐらいから、個人での仕事も増えたと彼も言っていた。その嬉しさもあるのか、圭の顔が、輝いている。

 この笑顔だ。大好きな笑顔だ。


 圭が笑っている。

 とてもとても幸せそうに。

 この笑顔を守りたい。

 佳也子は思う。


『君を守りたい』

 よく小説やドラマやラブソングの中で、そんなセリフが出てくる。

 多くは、男性から女性への言葉として。

 でも、佳也子は、そう言われるより、

『一緒に歩こう。一緒に支え合って生きていこう』

 そう言われる方が、好きだ。


 うまく言えないけど、たぶん佳也子は、自分が守られるだけではなく、守りたいのだ。圭を。

 これまでずっと、一生懸命前に向かって進もうとしてきた彼を、佳也子なりに、支えたいし、守りたい。



 佳也子が再生するどの動画にも、多くのコメントが添えられている。どれも圭への励ましと応援と愛情のあふれるコメントばかりだ。

 圭の笑顔に励まされながら、同時に圭を励まし応援している人たち。佳也子と同じ気持ちの人たちがたくさんいる。心の奥がほっと温かくなる。


 そして次の瞬間、佳也子は気がついた。

 彼の結婚は、こんな励ましや応援を失うことになるかもしれない。

 佳也子は、このところずっと、自分が大好きな仕事も手放して、住み慣れた大阪や、親しい友人知人からも離れて行くのだと思って、さみしさで一杯だった。

 そう、正直なところ、自分だけがいろんなものを失ってしまうような、そんな気持ちになっていた。


(……ごめん、圭くん。私、わかってたつもりで、何もわかってなかったかもしれへん。自分が失うものばかりを見て、圭くんが失うかもしれないものをちゃんとわかってなかった。わかってるつもりになってただけやった)


 彼が、不安でないはずがない。

 悔しさもさびしさも全部、乗り越えてきて、今思いきり好きな仕事をしている彼は、そんな素振りを全く見せない。

 でも、彼だって不安を感じていないはずがない。いや、誰よりも、大きな不安を感じているはず。


(圭くん……ごめん。私は、圭くんの笑顔を守りたい、とか言いながら、実は、自分の不安とさびしさにばかり気を取られて落ち込んで、圭くんの心の中を思いやれてへんかった……)



 がんばろう。

 まだまだチャレンジは始まったばかり。どんな結果になろうと、自分のベストを尽くそう。

 あきらめないで、前に進むことの大切さを、誰より素敵に目の前で見せてくれている彼に、私も、笑顔で応えられるように。


 佳也子は、Youtubeから、求人情報サイトに切り替える。

 よし、さがそう。

 思わず握りこぶしに力をこめる。


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