第47話 これでいいのか
HSTのドームツアーが、いよいよ始まる。
このツアーが終わる来月初めに、圭は結婚を報告することになっている。そのときのことを思うと、佳也子の心は不安で一杯になる。
どんな反響が起きるか。
彼の仕事への影響は。
そんなことを考えるたびに、胃が、きゅうっと縮みそうになる。
今朝のテレビの情報番組では、グループのメンバーが、ツアーにむけての意気込みを、輝くような笑顔で語っている。
歌にもダンスにも定評があるグループだけに、ファンのツアーへの期待感はとても大きい。
圭も、ツアーの合間に、新しく始まるドラマの準備もあって、これまで以上に、忙しそうだ。毎日のように電話やメールで話してはいるものの、やはり、直接会えないのは、とてもさみしい。
佳也子だけではなく、想太も、もしかしたら、佳也子以上にさみしいと感じているようだ。
テレビの画面の中の圭を見ながら、
「とうちゃん、いそがしいね」
想太がため息をつく。
圭の両親やその家族に会ったりしたときに、何度か出会う機会はあったものの、そのあとは、なかなか、圭に直接会えないままなのだ。
とうちゃんと思い切り呼んで甘えたい想太にとって、物足りないのは無理もない。電話やビデオ通話では、どうしたって温もりが足りない。ぎゅうっとしたくてたまらない。それは、佳也子だって同じだ。
「うん。そうやね。めっちゃ忙しそうやね」
「でも、あいたいね」
「うん。めっちゃ会いたいね」
前は、1人で、『会いたい』と心でつぶやいていた佳也子だけれど、今は、一緒に、『会いたい』と言い合える仲間?が増えた。
2人で、ため息をついていると、佳也子のスマホが着信を知らせた。
圭だ。
「おはよう。どうしてた?」
スマホの画面の中で、圭がはなやかな笑顔で問いかけてくる。
「テレビで、ドームツアーのインタビュー見てました。いよいよですね」
「とうちゃんとうちゃん、おはよう」
想太が、嬉しそうに画面をのぞき込む。
「おお。起きてた? 想ちゃん! おはよう。会いたいな」
圭の顔がトロトロになる。
「うん。いまね、かあちゃんと、そういうてたところ」
「そうかあ。ごめんな。忙しくて。でも、もう少ししたら、毎日会えるようになるから、もう少しだけ待っててね」
「うん!」
「そしたら、毎日ぎゅうぎゅうしようね」
「うん!」
「だから、想ちゃん、しっかりご飯も食べて、いっぱい寝て、いっぱい遊んで、元気でいるんだよ」
「うん! とうちゃんもね」
「うん。ありがとう。……佳也ちゃん、就活の方、どんな感じ?」
圭が、佳也子にきく。
「先月面接があった分は、残念ながら……という通知が来て……なかなかうまくはいかないです」
「そうか……大変な思いさせて、ほんとにごめんね。そのまま大阪にいられたら、そんな苦労しないですんだのに……ほんとにごめん」
圭が、申し訳なさそうな顔になる。
「大丈夫ですよ。何事もチャレンジです! もう一息がんばってみます」
佳也子は笑ってみせる。
「うん。でも、あせらずに、気長にいくんだよ。」
佳也子はうなずく。その様子を見て、想太は、大人同士の会話がひと段落したと察したのか、
「とうちゃんとうちゃん」と声をかける。
「なになに? 想ちゃん」
「こんどあったら、とうちゃんにピアノひいてあげる」
「え? 弾けるようになったの?」
「うん!」
「何の曲?」
「まだひみつ」
「そっか~すごい。すごい楽しみ!」
「それまで、いっぱいれんしゅうしとくね。だから、とうちゃんもがんばってね」
「うん。がんばるよ。ありがとう、想ちゃん」
「じゃあ、佳也ちゃん、想ちゃん。ツアーがんばってきます!」
少し高めの明るい声で、電話は切れた。
圭の声が弾んでいた。
めちゃくちゃ忙しいけど、楽しい。
仕事がない不安より、ずっといい。
彼はそう言う。
(休みなんかいらない)
個人の仕事が全くなかったとき、そう思ってさえいたのだと話していた。
今、たくさんのやりがいある仕事に恵まれて、圭はとても輝いている。彼が輝いている姿を見ると、佳也子も嬉しい。生き生きと幸せそうな彼を見ると、自分も幸せな気持ちになる。
でも。
その一方で、自分自身を振り返らずにはいられない。
私は、これでいいのか。ついついそう思ってしまう自分がいる。
面接の不合格のメールを受けたときも、正直、自分で思っていた以上に落ち込んでしまった。
自分には、何もできることがないような気がして。自分が、とてもちっぽけに思えて。自分には、いったい何ができるのだろう。
そんな思いが頭の中で渦巻いている。悔しいような、情けないような気持ちで。実は、今、佳也子は少し、いや、結構へこんでいるのだ。
もちろん、今、ツアー真っただ中で忙しい圭に、こんなことは言えないし、言いたくない。
(ごめん。圭くん。何でも話してって言われたけど、これは、なんかよう言わへん……)
佳也子は、そんな自分にもちょっと情けない気がして、また、少しため息をつく。
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