第30話  大丈夫

 

 佳也子の願いが届いたのかどうか。

 事件は、夕方のローカル番組の中で、小さく速報として、駅前のスーパーで、殺人未遂の犯人が確保されたと伝えられたが、それ以上、詳細が報道されることはなかったらしい。


 事件のすぐあとに、ちょうど買い物に来た英子が事件を知って、店に駆け付けてくれた。

 無事でよかったと英子は何度も言って、心底ほっとした顔をした。

 そして、想太には、お店が大忙しだから佳也ちゃんの代わりに来たよ、ということにして、お迎えにも行ってくれることになった。


 佳也子と福本は、夕方からのシフトの二人と交代したあと、当時の状況の確認として、警備担当者から、話を聞かれた。

 女性の悲鳴を聞いてからあとのことしか、わからないので、大して話せることはなかったが。


 逆に、佳也子たちは、事件について、現時点で、店側がわかっていることを教えてもらった。それによると、犯人の男は、各階で人を襲うことを計画していたらしい。

 彼は、1階の入り口から入り、すぐ近くのエレベーターで4階まで上がり、4階から順に人を襲いながらエスカレーターで降りてくるつもりだったらしい。

 最初、佳也子たちのいる書店をのぞいたが、カウンターに若い男(福本だ)がいたので、いったん通り過ぎて、エスカレーターの方へ向かい、ちょうど、手芸用品を買って、出てきた女性の姿を見て、彼女に狙いを定めたという話だ。


 佳也子たちが、本をぶつけたせいで、男がひるみ、その一瞬で逃げ出した女性が、一つ下の階で大声で助けを求めて、ちょうど巡回中だった警備員やイベントスペースの点検をしていた男性社員たちが、すぐそばの上りエスカレーターで、駆けつけ、犯人確保に至ったということだ。


 聞けば聞くほど、いろんな偶然が重なって、ぎりぎりのところをくぐり抜けたのだとわかって、佳也子は、あらためて怖くなる。

 机の端にのせた手が、握りしめているのに、震えがおさまらない。

「大丈夫ですか」

 福本と警備担当者が佳也子に、心配そうに声をかける。

「だ、大丈夫です。ありがとうございました。」

 佳也子の震える手に、福本が、上からそっと包むように、自分の手を重ねる。そして、『大丈夫大丈夫』というように、軽くとんとんとする。

 また、話をきかせてもらうこともあるかもしれません、と警備担当者は言って、佳也子たちはやっと帰宅することになった。


「家まで送りますよ」福本が言う。

「大丈夫。もう落ち着いた。ごめんね。福本君だって、めっちゃ危なかったのに。ごめんね」

「大丈夫ですよ。ほら、犯人も避けて通ったくらい、強そうに見えるんですから」

 福本が笑う。彼は、そんな屈強なタイプではないのだが。

「ごめんね。ほんとに、ケガはない?痛いとこない?」

「大丈夫ですよ~。佳也子さんこそ、ほんとに、送らなくて大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫。ありがとう。福本くんは明日も、シフト入ってるよね? 早く帰って休んでね。お疲れ様でした」

「はい。佳也子さんも、今日は何も考えずに、ゆっくり休んでくださいね。ほんとに、お疲れさまでした。」

 福本は、笑顔で手を振って帰っていく。

 今日は、ほんとに、ずいぶん彼に助けられた。


 家に帰り着くまでに、気持ちを切り替えないといけない。

 佳也子は、商店街の中のケーキ屋さんで、いつものちょっとかためのプリンを3つ買う。そして、ケーキ屋さんの隣の果物屋さんで、ミックスジュースのSサイズを買って、その場で飲む。新鮮な果物の香りと甘さに、気持ちがすっきりする。

 よし、帰ろう。

 笑って。


「かあちゃん、おかえり~。あ、プリン~」

 めざとくプリンの袋に気づいて、想太は嬉しそうだ。

「ただいま~」

 想太のほわほわした髪の毛をかき回すようになでながら、ああ、よかった……としみじみ、ホッとする。

 英子が、穏やかな笑顔で言う。

「おかえり~。今日のメニューは、野菜たっぷりの雑炊ですよ。あと、想ちゃんが、おろしてくれた大根おろしをたっぷり添えた、焼き魚と玉子焼き、想ちゃんにはウインナーつき」

「ありがとうございます。やったぁ、美味しそう……」

 英子の存在の心強さに、涙が出そうになる。



 夕食を終えて、佳也子たちは、自分たちの部屋に戻ってきた。想太のお風呂まで、英子がすませてくれていたので、早くも眠そうな想太を布団に寝かせ、横に自分も寝転がる。ぽってりとあたたかな、想太の背中を、軽くとんとんする。

 そういえば、今日、何度も、福本にとんとんしてもらった気がする。おかげで、とても落ち着いたけど、自分の方が、ずっと年上なのに、なんだか情けないな、と反省する。


 想太が気持ちよさそうに、すぐに寝付いてくれたので、佳也子は、自分も、大急ぎでシャワーをすませる。お風呂にお湯をためて入るほどの元気はなかったのだ。

 でも、シャワーを終えて、髪を乾かして、リビングに座ると、やっと、生き返ったような気持ちになった。大変な一日だった。

 深くため息をついたとき、玄関のドアホンが鳴った。


(こんな時間に誰?)

 佳也子は、ドアホンのモニター画面を見る。

「佳也ちゃん、俺」

 そこにいたのは、圭だった。

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