第31話  心配かけて

  

「圭くん?!」

 びっくりした佳也子が、急いでロックを外しドアを開けると、圭が飛び込んできた。

 そして、驚いて立ちすくんでいる佳也子を、力一杯抱きしめた。


「佳也ちゃん……無事でよかった……。俺、生きた心地しなかった……」

 途切れ途切れに言って、圭は、佳也子を抱きしめる腕に、さらに力をこめる。

「圭くん……。どうして?」

 佳也子は戸惑いながら尋ねる。

 誰も圭には、知らせていないし、ニュースは、ローカル番組で、ちらっと流れただけだ。


 圭は、少しだけ、腕の力を緩めると、佳也子の顔をのぞきこみ、確かめるように両手で挟み、また頭ごと自分の胸に抱え込む。

「俺、明日から撮影があって、今日、奈良に来たんだ。打ち合わせが終わって、部屋に戻ってきたとき、何気なくテレビつけたら、佳也ちゃんの勤めてる書店と、スーパーの建物が画面に映って、殺人未遂で犯人が捕まったって。聞いた瞬間、血の気が引いて。

 俺、すぐに部屋を飛び出したんだ。途中何回か、佳也ちゃんの携帯に電話入れたけど、つながらなくて。どうしよう……ってめちゃくちゃ焦って、英子先生のとこにも電話入れて。そしたら、そっちもなかなかつながらなくて。

 電車の中でも、俺、必死で走りだしたいくらいもどかしくて。心臓が破れるかと思うくらい、ずっとバクバクいってて。もうわけわかんないくらい、頭も心もグラグラで。ここへくるまで、死にそうだった。

 ついさっき、ここの駅に着いたとき、やっと先生に電話がつながって、『大丈夫。無事だよ』て言われて、……めちゃくちゃホッとした」


 圭の手が、佳也子の髪をなでる。

「圭くん……ごめんなさい。そんなに心配かけて」

 申し訳なさのあまり、顔をあげることもできなくて、佳也子は、圭の腕の中で謝る。

「うん。心配した。死にそうなくらい心配した。なんで、電話でなかったの?」

 圭が、佳也子の顔をのぞきこむ。


 佳也子はハッとする。そういえば……。

「……充電」

 圭の腕を抜け出し、急いで、カバンをさぐって、スマホを取り出す。

 やはり電池は切れている。

 そうだった。

 昨夜充電し忘れて、電池の残量が少なかったところへ、事件のことを知って、電話をかけてきた麻友に説明したり、英子にお迎えを頼んだことを保育園に連絡したり、今日明日と休みを取っている店長夫妻とやり取りをしたりで、かなり使ったので、そろそろ切れるかもと思っていた。

 忘れていた。


「はあ……佳也ちゃん、君って……ほんと……」

 圭が深くため息をつく。

 そして、佳也子の腕を引き寄せる。

「ごめんなさい!」

「ごめんって言っても許さない」

 圭の顔が、いつもと違う、きびしい顔になる。

「……充電忘れてて、かんじんな時につながらなくて、ほんと、ごめんなさい。」

 佳也子は、必死で謝る。

「だめだ。俺、今、本気で怒ってる」

「そんなぁ……」

 佳也子は泣きたくなってくる。

 そっと圭の顔を見上げる。

 圭の眼差しがいつになく、強い光を帯びている。赤くうるんだ目から、つつっと涙が流れ落ちた。

 佳也子は、びっくりして、圭の背中に腕を回して、ぎゅうっと抱きしめる。

「ごめんなさい。圭くん」


「……佳也ちゃん、俺が、怒ってるの、なんでかわかってる? 充電切れてたからじゃないって、わかってる?」

「え?」

「ばか。佳也ちゃんのばか。そんなんで、怒ってんじゃないよ。俺が怒ってるのは、こんな大変なことがあったのに、俺には、知らせないでおこうとしただろ? だから怒ってるんだよ」

「……」

「佳也ちゃん、きっと、俺に心配かけたくないとか思ったんだろ。でも、そんなことされて、俺が喜ぶと思う? 佳也ちゃんが大変なめにあったのに、何も知らなかったら、俺、のんきに、昼間食べた団子がうまかったよ、なんて話、うっかりしちゃうじゃないか。

 佳也ちゃんは、俺を、そんなマヌケな男にしたいの?」


 そう言った後、圭は、少し、表情を和らげた。

「佳也ちゃん、考えてみてよ。もし俺が、キケンな目に合ってて、でも、それを、自分だけ知らされないって、佳也ちゃんなら、平気?」

「平気じゃない。知りたい。ちゃんと知らせてほしい!」

「そういうことだよ。心配かけたくない。そう思うこと自体はいけないことじゃない。でもね、大事なことを知らせない、知らされない、そんなことを続けてたら、いつか、次第に、お互いのことが、見えなくなってしまうと思うよ」


「でも……」

 佳也子は、小さな声で言う。

「やっぱり、……心配かけたくなかってんもん」

「佳也ちゃん。君は、完璧主義なの? いいかい、誰にも心配かけずに生きられる人なんて、いないよ。

 いいんだよ。心配かけたって。それも含めて、ぜーんぶ、含めて、俺は、佳也ちゃんが好きなんだよ。佳也ちゃんは、ちがうの? 俺に心配かけられたくないの?」

「……えっと」

 心配は、できるだけしたくない。いつも元気で無事でいてほしい。

 そう思うから、すぐに、はい、とは言えなくて。

 もちろん、圭が言いたいのは、そういうことじゃないと、わかってはいるけれども。


「佳也ちゃん。ば~か。」

 圭が、体をかがめて、笑いながら、佳也子の額に、自分の額をこつんとぶつける。

「この石頭。心配、いっぱいかけていいから、俺に何でも話してって言ってるんだよ。わかる? 俺も、ちゃんと、佳也ちゃんに話すから」

 佳也子は、うなずく。

 圭の声は温かい。

 そして、佳也子を包む腕も。

 泣きたくなるくらい温かい。


「はあ~。ホッとしたら、急にお腹空いてきた」

「え、晩ご飯、まだだったんですか」

「そうだよ。もう、この子は、人に死ぬほど心配かけといて、自分はご飯もお風呂もすんでるんだもんな」

「ごめんごめん……でも、圭くん、そんなん言うて、ちょっといじわるや……」

 少しすねるように言う佳也子に、圭が笑う。

「ふん。内緒にしようとした罰です。ちょっとくらい、いじわる言っても、バチは当たらないでしょ」

 佳也子は、圭の腕を抜け出して、言う。

「じゃあ、大急ぎで、何か作るね。……それじゃだめ?」

「しょうがないなあ……許す」

 そう言って、圭は、もう一度、佳也子を抱き寄せた。



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