第5話 おいしいって

「ねえねえ。この本、すごくきれいよねえ」

 英子が圭のおみやげの本を開きながら、佳也子に言う。

「この雑草の写真集。なんか、雑草ってよんだら申し訳ないよね。こんなに可愛いらしい花が咲くのね……花はみんな自分が雑草だとか、そんなこと思わずに咲いてるんだから当然よね」


 英子は、4冊とも気に入ってくれたようで、佳也子はとても嬉しい。

 思いがけず、贈る人、贈られる人の両方の反応を見ることができた。

「ぼくの知ってるお花があるよ」

 想太も開いたページを指をさす。

「あ、これ?これは俺も知ってる。本物は、もっと小さいよな。へ~」

 膝にのせた想太と、2人で開いた本を眺めている。

(あ、一人称、俺、なんだ)

 佳也子は少し意外に思う。

 でも、くつろいだその様子を見ていると、彼が、素の自分でいるのだという気がして、なんだかほほ笑ましかった。


 眺めているとき、無意識に鼻歌交じりの圭を見上げて、想太が言う。

「お兄ちゃん、なんの歌うたってるの?」

「ん~とね。……♪君は素敵さ、それは僕が一番知っているよ~♪って歌」

 テレくさそうに、でも、ニコニコ笑顔で、さっきまでの鼻歌と同じフレーズを今度は言葉で歌ってみせる。

 話す時の声は、ソフトで耳当たりのいい低音なのに、歌声は、意外に高くて甘い声だ。声が裏返ることなく、その高さを出せるのは、日頃、トレーニングをしてるのだろうと思える。

「へ~。かっこいいね」

 想太が、目を丸くして、感激している。

「お兄ちゃん、歌うまいんだね」

「ダンスもするよ」

「へ~」

 想太の目が輝く。

「すごいねえ」

 想太がせがむので、圭は、今まで出たドラマや舞台やライブの話をあれこれ、裏話を交えながら、話してくれた。


 気がつくと、いつのまにか、窓の向こうが少し薄暗くなり始めている。

「あら、時間が経つの、早いわね。日が暮れちゃったねえ」

 窓の外に目をやったあと、英子が、立ち上がる。

「そろそろ晩ご飯にしましょうか。圭くん、食べるよね? カレー炊いたのよ。好きでしょ?」

「やった!英子先生のカレー、サイコー!! 食べる食べる」

「佳也ちゃん、想ちゃんも食べるよね?想ちゃんには、スペシャルマイルドカレー」

「すぺしゃる!」すぺしゃる、も想太のお気に入りワードだ。

「え、いいんですか」

「みんなで食べたほうがにぎやかで美味しいもの。ねえ」

「じゃあ、ありがとうございます。お言葉に甘えて」


 英子のあとについて、キッチンへ行くと、大きめの鍋の横に、星型に抜いたニンジンの入ったカレーの小鍋があって、どうやら、はじめから、想太と佳也子の分も想定してくれていたようだ。

(カレーは、レトルトより、お鍋でたくさん炊いた方が美味しい気がするんだけど。

でも、1人だと食べきれないから、なかなかカレーを作るチャンスがなくて)

と英子はよく言っている。

 今日は、圭もいるし、想太・佳也子も含めて、大勢で食べるチャンスだと思ったのかもしれない。


 英子の作るカレーは、シンプルで、少なめの量の薄切りの牛肉と玉ねぎと人参だけで、ジャガイモは入っていない。

 でも、サラダやトッピングの種類が豊富だ。

 ツナときゅうりのサラダに、フルーツのいろいろ入ったヨーグルトサラダ。

刻んだゆで卵、小口切りにしたオクラ、サイコロ状に切った豆腐、一口サイズのハンバーグ、一口サイズに切って炒めたウインナー、茹でたブロッコリーやほうれんそう、スライスしてオリーブオイルでソテーしたレンコン、シメジやマッシュルームなどのキノコのソテー、福神漬け、シュレッドチーズ。

 お好みに合わせて、サラダやトッピングを、好きなようにカレーに添える。ボリュームはすごいけど、バラエティーに富んでいるので、気がつくと、いくらでもおかわりしてしまいそうになるので、少々、いや、大変キケンだ。


「これこれ!英子先生のカレー!トッピングいろいろで、うっかり食べ過ぎて、すっごいキケンなんだけど」

「でも、おいしいよねえ」

 想太が、圭に続けて言う。

 圭と想太が、2人で顔を見合わせて笑い合う。


 4人で、笑いながら、おしゃべりしながら、たくさん食べて、

「たすけて~もう動けない~」

 お腹をさすりながら言う、圭の言葉に、みんなで笑う。

「お腹くるしいけど、……おいしいって、しあわせだね」

 圭が、ほほ笑んで言う。

「そうやね」

 佳也子も笑顔を返す。


 こうして、誰かと笑いあって、美味しいって言えるのって、一番しあわせなことなのかもしれない。

 英子が、仏壇の写真を振り返っている。おだやかに笑う、伸太郎の姿が、そこにある。

 佳也子も、心の中で、母や姉の顔を思い浮かべる。想太を囲んで、みんなで笑ったときの顔。そして、声。

 一瞬、鼻の奥がツンとする。そのとき、圭が、横に座っている想太を、すいっと抱き上げて、膝にのせた。

 想太の丸い肩を抱え込んで、顔をのぞきこんで頭をなでて言う。

「ぴーよ」 

「ぴよぴよ」

 想太は答えて、圭の腕に頭をのせて、もたれかかる。もともと人懐こい子だけど、安心して圭にもたれているのがわかる。


「想ちゃん、そろそろ、眠くなったのかな?」

 英子が言う。

 見ると、想太は、圭の膝の上で、うつらうつらしている。丸いほっぺたが、うっすらピンク色になって、気持ちよさそうに、圭の腕の中で、丸くなっている。

 圭がそっと、その頬をつつく。

「ふにゃ」

 ねぼけた声を出して、気持ちよさそうに、圭にもたれかかっている。

「気持ちよさそう……」

「ほんとうらやましいくらい、気持ちよさそう」

「ほんとに……でも、ごめんなさい、重いでしょう?」


 だいじょうぶ。

 圭が、声を出さずに、口の動きで言う。

 そして、そうっと、その手で、想太の背中を軽くトントンとしている。その指はとても白くて長い。

(笑顔だけじゃなくて、手まで、めっちゃきれいやねんな、この人。こういうのを、眼福?っていうんかな。ほんとに、なんか拝みたくなるような気がするわ)

と半分冗談交じりに思いながら、佳也子は、想太を圭に任せて、英子と二人、キッチンで手早く片づけをすませることにした。


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