第6話 めっちゃ
片づけを終えて、キッチンから居間に戻ると、ヒヨコ大がヒヨコ小を抱きかかえたまま、うとうとしている。
「あらあら、ヒヨコちゃんたち寝ちゃってるね」
英子が、くすくす笑う。
佳也子も、一緒に笑ってしまう。
うとうとしている圭のほっぺたはふんわりとなめらかそうで、まつ毛が長い。彼にもたれている想太のほっぺたもふっくらとして、同じようにまつ毛が長い。どことなく、ふたりの寝顔は似ている。少し、開いた口が、どちらも可愛い。
「ヒヨコの大と小、って感じね。なんかこの子たち、似てるわよね」
英子が言う。
「ほんとに」
似ていると思ったのは、佳也子だけではなかったようだ。
「先週まで、舞台で、忙しかったらしいから、きっとくたびれてるのね」
「そうなんですか。たいへんなお仕事ですよね。舞台で、大勢の人の前に立って演じるって、私ならカチンコチンになって、足もがくがくするし、声もふるえると思う」
「すごいことよねえ。大きな舞台で、立ちかた、身のこなしかた、手の動きひとつまで、自分の姿を観客にどう見せるか、どんな声でどう話せば、より観客に伝わるか、演じる役によっても、また違ってくるだろうし……」
「コンサートとかで歌うのとは、まただいぶ違うんでしょうね。さっきの歌もすごくきれいな声してはって。ああ、さすが、プロやなあって」
「でしょう」
英子が、自分のことのように得意げに言った。
次の瞬間、
「……もう、そのへんでごかんべんを」
圭が、苦笑いしながら、顔をあげて、何度も瞬きしている。
「あら、起きてたの?いつから?」
「先週まで、舞台で、ってあたりから」
「あら、結構前から聞いてたのね」
「いや、いきなり褒めまくるから、恥ずかしくて目開けらんなくて。でも、これ以上聞いてるのも、もうテレくさすぎ~、と思って」
「素直に褒められておきなさい。必要な時は、ちゃんとダメ出しもしてあげるから」
「お手柔らかに」
圭は、しゃべっているうちに、次第に、しゃんとしてきたらしく、さっきまでのほわんとしたヒヨコから、ちゃんと大人の男性モードにシフトしていく。
膝のちびヒヨコのおでこをそっとなでて、かすかにかいている汗をぬぐう。
「圭くん、佳也ちゃんと、想ちゃんを送って行ってあげてくれる?」
「了解」
「あ、そんな大丈夫ですよ。すぐそこやし」
「想ちゃん、ぐっすり寝てるから、抱っこしていってあげて」
「そうだね。起こすのもなんだし、このままそっと運んで行ってあげよう」
「すみません。いっぱいお手数かけて……」
佳也子は、想太の保育園バッグと黄色いカッパを抱えて、英子の家の玄関を出る。そのあとに、圭が想太を抱きかかえて続く。そのまま少し歩くと、すぐに自分たちの部屋のドアにたどりつく。
玄関の鍵を開けて、荷物をおろすと、ぽってり重い想太の体を受け取る。
「今日は、ほんとうに、ありがとうございました。想太に、ほんとによくしてもらって。長い時間膝にのせて、足、しびれたでしょう?」
「いえいえ、少しだけですよ。それより、僕も楽しかったんで。いい本も一緒に選んでもらって、傘までいただいちゃって。ほんとうにありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ありがとうが、佳也子と圭の間を行ったり来たりする。
「じゃあ。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
圭が極上の笑顔を見せて言い、静かにドアを閉めた。
佳也子は、居間のソファの上に、想太をそっとおろして、寝室にしている隣の和室に、大急ぎで布団を敷いて、枕には、大きめのタオルをかけておく。
まだお風呂に入っていないけれど、明日起きたときにシャワーにしよう。とりあえず、服は着替えさせる。
想太は、前髪の生え際からおでこに、わずかに汗をかいている。ぬれタオルで、おでこや首筋や手や足などを、そっと拭きながら、さっき、うたた寝から覚めたばかりの圭が、優しく想太の汗をぬぐってくれた仕草が、頭に浮かぶ。
無意識なのだろうけれど、圭のしぐさは一つ一つが、なんだか温かい。
(なんかめっちゃ、ええ人やなぁ。今日は、めっちゃ、ええ一日やったな)
佳也子は、今日の仕事帰りに思ったことを、『めっちゃ』をつけて、更新する。
同じ一日の中に、起こったとは思えないくらい、盛りだくさんの出来事に、少々疲れてもいたので、お風呂をすませると、佳也子は早々に布団に入った。
そして、心の中で誰にともなく、祈る。
(今日は、とっても楽しかったです。明日もいい日になりますように。いえ、ふつうに元気でふつうに健康で、ふつうに穏やかに過ごせますように)
毎日を機嫌よく暮らすこと、それが佳也子の願いなのだ。
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