第2話 誰かはわからないけど。


 事務室に近い棚の整理をしていると、中から、大学生バイトの福本浩太が出てきた。

「そろそろ、時間っすよ。お疲れ様です」

「あ、来てたんや。じゃあ、バトンタッチやね」

「雨、降ってきてますよ。傘持ってはりますか」

「うん。大丈夫。なんかそんな気がしてもってきてた」

「さすが、佳也子さん」

「あ、コミックス新刊来てたよ。1冊とりおきしてあるよ。カウンターの後ろに、付箋つけておいてる」

「やった!ありがとうございます!これで、今日来た甲斐あった!」

 福本の顔がパッと輝く。マンガも小説も毎月大量に買っている彼は、そのバイト代のほとんどをつぎ込んでいるらしい。バイトしに来てるのか、本を買いに来ているのか、わからない、といつも笑っている。


 でも、スタッフ割引で10%オフで買えるのは、たしかに大きい。スタッフは、みんなそれをフル活用して本を買う。佳也子もそうだ。


 福本と交代して、事務室に入り、エプロンを外した佳也子は、荷物を手に取った。

カバンの中には、小さな折り畳み傘も入っているが、持ってきた大きめの傘をさして

帰るつもりだ。


 店長夫妻に挨拶をすると、奥さんが、ニコニコしながら、

「なあなあ、さっきの人、めっちゃイケメンやったよね。なんかどこかで見たことあるねんけど。佳也ちゃん、しらへん?」

「あ、やっぱり?私も、なんかそんな気ぃするなあって思ってんけど、わからへんかってん」

 佳也子も笑う。

「笑顔がカッコイイっていうか、可愛らしいっていうか、とろけるみたいな感じで」 

 奥さんが言う。

「そうそう、すごく嬉しそうな笑顔しはる人やったね」


 佳也子は、案内しているときに彼が見せた笑顔を思い浮かべた。

 確かに、カッコイイ、という以上に可愛い気がした。柔らかそうな丸みのあるほっぺたに浮かんでいた、とろけそうな笑顔。

「あのスーツもめっちゃ決まってはったけど、まさか、芸能人とか、……ちゃうよね? こんな田舎に来はれへんわね」 

 奥さんは、少し期待しているような口ぶりで、でも、首をひねりながら言う。

「そやね。もし来はったとしても、そもそも、私ら、あまり、今の芸能人の顔とか知らへんし、わからへんかも……」 佳也子も、笑いながら言う。

「たしかに。とくに、グループで出てる子とかは、名前と顔がなかなか一致せえへんし」

 レジで、そんな話をしていると、お客さんが本を持ってレジに向かってくる姿が見えて、奥さんとの会話をやめて、佳也子は帰ることにする。

 結局、彼の正体はわからないままだけど。

 でも、とりあえず、佳也子としては、精一杯、おすすめの本たちを紹介して、それを気に入ってもらえたようなので、ちょっとがんばれたかな、と嬉しい気持ちだ。

「じゃあ、お先に失礼します」

「おつかれさま」


 佳也子の働いている、希望ブックスは、急行停車駅の駅前にあるスーパーの4階にある。希望ブックスは、この辺りでは、比較的大きめの規模の書店だ。

 チェーン店ではなく、店長が社長の個人経営の店だ。奥さんが副社長で、佳也子は、唯一の正社員だ。あとは、パートさんや大学生のアルバイトの子たちがいる。

 佳也子は、前任の社員さんが他県に引っ越すことになって退職したタイミングで、運よく正社員として働くことになった。

 基本、残業もないし、土日は、大学生バイトが入るので、シフトに入ることもないので、佳也子にとって、とてもありがたい職場だ。

 いつもは夕方までの勤務だが、福本との交代時間が早かったので、今日は、2時で上がりなのだ。


 店のすぐ前にある、エレベーターを降りて、1階の入り口まで来ると、さっきの笑顔のお客さんの後ろ姿に佳也子は気づいた。

 彼は、ちょうど入り口まで来て、雨に気づいたようだ。傘を買いに戻ろうとしたのか、彼がUターンしてこちらを向いた。その瞬間、

「あ」

 彼の方も、佳也子に気づいたらしい。

 ニコッと笑顔が頬に浮かぶ。


「雨降ってきましたね」

 佳也子が声をかけると、

「ええ、傘持ってないので、買いに行こうかと。ここがスーパーでよかった」

「傘、よかったら、これ、使ってください。すぐ止みそうやから、買うのはもったいないですよ」

 佳也子は、手に持っていた大きめの傘を差しだす。

「え、でも」

「私は、ここにもう一つ」

 ショルダーバッグの底から、超軽量折り畳み傘を取り出す。ほぼ一年中、ここに入っているものだ。

「なるほど。でも、借りたあと、返すチャンスがないかも、です」

「大丈夫です。それ実はとってもお買い得で、なんと300円だったんです。めっちゃ使って、もう十分もとは取ったんで。差し上げます」

「もとは取ったんですか。わかりました。ありがたく使わせていただきます」

 ふふっと笑いながら、彼は傘を受け取った。

「もし、お帰りのとき、いらなくなったら、そこの駅の改札横に、『ご自由にお使いください』って貼り紙のついてる傘立てがあるんで、そこに入れといてください。そしたら、また、誰かが急な雨で困ったときに使えるんで」

「なるほど。いいシステムですね」

「でしょう」


「じゃあ、お気をつけて」

 会釈して、駅の東側に向かって佳也子が歩き出そうとすると、

「あ、あの」 

 声が追いかけてきた。振り向くと、彼が少し焦ったような顔をしている。

「このへんでお花屋さん、ありませんか」


「こちらのお店の中にもありますけど……」

「ええ、さっき行ってみたんですけど、今、アレンジできる人がでかけてるから、ちょっと待ってもらわないと、って言われて」

「そうですか。じゃあ、もう1軒あるので、ご案内します。小さいお店だけど、結構、素敵なアレンジされるので、おすすめのところです。お値段もお手頃ですよ」

「すみません。本だけじゃなくて、花までお世話になるとは……」

「いえいえ、お役に立ててよかったです。近くなので、お店までご案内しますよ」

 佳也子が言うと、彼は、くしゃっと笑って、申し訳なさそうにした。

「すみません。でも、もうしわけないので……。教えてもらったら自分で行きます」

「帰り道なので、ついでです。すぐ近くなので」

「ほんとにありがとう」

 彼の頬に、また柔らかい笑顔が浮かんだ。ふわっと明るい色の花が開くような、華やかさがある。

 男の人に、花のような笑顔って言い方もおかしいかな。

 佳也子は、心の中でつぶやく。

(明日、仕事行ったら、あの笑顔のお客さんにまた会ったよ~って報告やな)


 2人並んで歩きながら、踏切を渡って、駅の東側の商店街に向かう。めざす花屋は、その商店街の入り口を少し入ったところにある。

「こちらです」

「ありがとう。何から何まで、ほんとにすみません」

「いえいえ。それじゃあ、失礼します」

 お互い、軽く会釈しあった。


 彼と店の前でわかれると、佳也子は商店街をさらに進む。歩きながら、思う。

 不思議に人懐こくて、印象に残る笑顔。

 それでもやっぱり、どこで見たかは思い出せないままだけど。なんとなく、一緒にいるとその場がぱあっと明るくなるような。それでいて、そばにいる人を気後れさせない、居心地のいい雰囲気を持った人。


 彼が誰であろうと、佳也子の気持ちは、今ほっと温かい。

 なんかええ人やったなあ。

 見ていると、自然と、こちらまで口角が上がってしまうような人だった。

(うん。今日はええ日やったな)

 佳也子は、商店街の小路を右に折れて、自分のアパートに向かう。


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