いつかきっと

原田楓香

第1話 どこかで見た気がするけど。

 スーツ姿のその人が、店内に入ってきたとき、どこかで見たことのある顔だと、一瞬思った。でも、それがどこであったか思い出す前に、彼は佳也子の前にやってきた。

 

 店内は、平日の午後1時過ぎ。

 客の姿もまばらで、店長夫妻は、レジカウンターにのんびり立っている。退勤時間が近かったので、佳也子は店内を回って、棚の整理をしていた。


「すみません。本を探しているんですが。選ぶのを手伝ってもらえますか」

「はい。どんな本をお探しですか」

 佳也子の顔がほころぶ。

 こういうお客様の依頼は楽しくて、好きだ。

「お土産にしたいので、3冊くらい。いろんなジャンルを取り混ぜて」

「おいくつぐらいの方へのお土産ですか」

「70代くらいで。女性です。昔お世話になった方に、久しぶりにお会いするので、ちょっと気が利いたお土産を、と思って」

「お土産に本っていいですね。本好きな方なんですね。どんなものがお好きなんでしょうか。趣味とかはご存知ですか?」

 尋ねながら、佳也子の頭の中には、70代女性が喜んでくれそうな本の候補が浮かび始める。

「趣味……はよくわかりませんけど、お料理が好きで、絵を描いたり、写真を撮ったり、花とかも好きだったかな」

 一生懸命その人の好きなものを思い出している彼の頬に、柔らかい笑みが浮かんでいる。そんな彼を見ながら、佳也子の頭の中にも、一人の人物の姿が思い浮かぶ。


 頼もしいお隣さんで、佳也子の住むアパートの家主でもある、悠木英子だ。

 彼の言う人物像は、なんだか英子と重なる。彼女は70代半ば、よくスケッチブックを手に花や風景を描いている。料理も得意だ。

 よし、彼女のような人に喜んでもらえそうな本をさがそう。


 海外の暮らしについてのエッセイや旅行記のコーナーがちょうど近かったので、

「こちらの本は、日々の暮らしが伝わってくるような文章と、素敵な写真がいっぱいで、見ているだけでも楽しいです。イギリスとフランスがありますけど」

 佳也子は、彼に、2冊の本を手渡す。

『イギリスの飾らないのに豊かな暮らし365日』(江國まゆ 著、自由国民社)

『フランスの小さくて温かな暮らし365日』(荻野雅代・桜井道子 著、自由国民社)

「1日1ページずつ読んでもいいし、好きな日付のところを読んだり、パラパラめくって、気に入ったところを読むとか、少しずつ楽しむのにいいですよ」

 佳也子の手渡した本を手に取って、めくりながら、

「お。この景色いいなあ。行ってみたいなあ。写真もいいですね、とっても。これ、僕が欲しいかも、です。じゃあ、まず、これにします」

「両方ですか?」

「はい。どちらかにはちょっと決めきれないし、イギリスとフランス見比べるのも楽しいもしれないし」

「そうですね。……あ、ちょっとお待ちくださいね。カゴとってきます」

 佳也子は、2冊を入れたカゴを手にして、次の本をさがしに、彼を案内して移動する。

「次のおすすめは何でしょう?」

 彼がまた柔らかくほほ笑んだ。

(とても楽しそうに笑う人だな)

 佳也子も彼の笑顔につられて、自然と笑顔になる。


「じゃあ、あと2冊は、違うジャンルにしましょうか。文庫本などの、字の小さいものは大丈夫ですか」

「どうだろう。老眼だと、ちょっとつらいのかな。70代って、小さい字はやっぱり

読みにくいのかな」 

 彼は、首をかたむける。

「そうですね。個人差はあると思いますけど」

「でも、なにか面白いものがありそうな感じですね?」

「あります。時代物なんですけど」


 2人で、時代小説のコーナーに移動する。

 棚の前に来ると、ちょうどあった1冊を手に取って、彼に手渡す。

「こちら、朝井まかてさんの『ぬけまいる』という本で。江戸時代が舞台で、3人の女性たちが、いろいろ思うようにいかない毎日から抜け出すためにお伊勢参りに出かけるお話なんです。これが、弥次喜多道中みたいで、とっても楽しいんです。シリーズではなくて1冊ものなので、気軽に楽しめます」

 軽くあらすじにふれながら、彼に紹介する。


 さらに追加で、他の本の名前も挙げる。

 1冊だけを候補にするより、2つ3つは選択肢があると、選ぶ側も楽しいんじゃないかなと、佳也子は思うのだ。

「それから、他にシリーズものでは、高田郁さんの『あきない世傳』『みをつくし料理帖』なんかもおすすめです」

 佳也子が手渡した本をめくって、文字の大きさを確かめたり、あらすじのところに目を通したりしながら、

「これ、面白そう。これにします」

『ぬけまいる』を選んで、彼は言った。

 そして、さりげなく、佳也子の手からカゴをとって、その本をカゴに入れた。

「移動する間、僕が持ちます」 

 ニコッと笑う。

「ありがとうございます」

「では、次はどこへ?」

「そうですね。次は……ちょうど入ったばかりの本で、とってもきれいなお花の本があるんですけど」

「お。いいですね。花束も買っていくつもりだけど、写真の花なら飾っておいても枯れないし、何度も見てもらえるから、ちょうどいいな」

 植物の育て方や花のある暮らしを提案する、様々な本たちのコーナーに着く。


「こちらなんですけど」

 ひとめ見て、佳也子自身、自分で買いたいと思った本だ。でも、1冊しか入っていない本だったので、お客さんに買ってもらえるように、自分の分は追加注文を出して、今は、それが届くのを待っているところだ。

『美しき小さな雑草の花図鑑』(多田多恵子 文、大作晃一 写真、山と渓谷社)


「雑草の図鑑なんですけど」

 佳也子が差し出した本を見て、彼は目を瞠る。

「雑草? え? ほんとに?」

 うわあ、これ、すごくきれいだ……。

 ため息のような声を出して、彼は、ページをめくる。その頬には、またやわらかな、微笑みが浮かんでいる。


「これにします!これ絶対気に入ってもらえると思う」

 雑草って呼んだら申し訳ないみたい。

 すごいなあ。すっごいきれい……

 彼は繰り返し言って、その本もカゴに入れた。

「ありがとうございます。いい本を選んでもらって。助かりました」

 笑顔が顔中に広がる。


 ほんとに、嬉しそうに柔らかく笑う人だな、そう思いながら、佳也子も、笑顔で頭を下げる。

「ありがとうございます。お土産、気に入っていただけるといいですね」

「バッチリですよ」

 彼をレジまで案内する。

「では。ありがとうございました」

 もう一度、頭を下げて、佳也子は再び棚の整理に戻る。


「いらっしゃいませ」

 彼が差し出したカゴを、店長が受け取る。

「カバーはどうされますか?」

「いえ、なくていいです。でも、プレゼントにしたいのですが、包装は何かできますか」

 店長の奥さんのエミさんが、包装紙の見本を取り出して、こちらでいかがですか?

ときいている声がきこえる。

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