第2話 TRPG

 階段を上がると、冷たい月明かりが照らす白い廊下に出た。一階で警備員から手に入れた波長情報をゴーグルに入力、無人の廊下を走る赤外線レーザーを避けながら目的の部屋に向かう。


――防犯装置の回避成功――


 ドアに到達。仮眠室で眠っていた客員ゲスト研究者から奪ったカードを通す。


――君の耳にロックが解除された音が聞こえた。ここで【察知判定ロール】を――


 微かな機械モーター音に気が付いた。廊下の向こうから警備用の四足ドローンが近づいてくる。急いで中に入り、ドアを閉めた。


――回転するクリスタルのカメラは廊下の向こうに引き返していった――


 窓一つない暗い部屋の中、奥にある分厚い保管庫の密閉ハンドルを回転させた。赤外線ライトに照らされた黒い冷気が床に流れ落ちる。霜に覆われた引き出し一つを引く。


 小指の先ほどのシリコンチューブが整列したラックを取り出した。この中の一つが今回の仕事シナリオの標的だ。


黒川遼一「GM《マスター》、【知識:生物学】で判定ロールしたい」

GM『補正マイナス50で』

黒川遼一「待ってくれ。俺の【生物学技能】は40しかない、絶対に失敗じゃないか」


――君が迷っている間に超低温保管庫ディープフリーザーの温度は上がっていく。あと数分で警備室のアラームが鳴るだろう――


 抑揚を落とした澄んだ声が、容赦ない描写をする。この世界では彼女GMが白といえばカラスは白いし、馬だと言えば枝角を生やした動物が馬だ。つまりあと少しで武装した警備員が殺到してくる。ソロの俺にとって絶体絶命の状況だ。


 ただし、彼女の示した状況にどう反応するかはこちらプレイヤーに委ねられている。そして、その結果次第で未来は変えられる。このGMはシビアだがアンフェアではない。つまりどこかに道があって俺はそれに気が付いていないのだ。


 空間を探り、手に当たった現実コーヒーを一口飲む。味覚を刺す苦味に意識が研ぎ澄まされる。これまでの過去シナリオを思い出せ。現在の状況を把握しろ。


 成功する未来を創造イメージするために。


黒川遼一「……ここに来る前に森本教授NPCから聞き出した情報、あれが使えるはずだ。確か目的の細胞ターゲットには特殊な標識マークがされているという話だった」

GM「……」

黒川遼一「この手のサンプルは素早く扱う必要があるはずだ。この冷凍庫の近くにそれらしい実験機器がないか【目星】を付けられないか」

GM「その二つの条件に気が付いたなら、目星プラス10でロールしていい」

黒川遼一「よし。【目星】は70もある。80以下でOKだな」


 空中に現れた二つの十面ポリゴンダイスを掴む。カラカラと気持ちよい音を立てて回転する。一つ目が『7』二つ目が『8』を上にして止まった。


黒川遼一「危なっ。でも成功だな」


――君は近くの机にちょうどそのラックが入りそうな機器を見つけた。君がラックをセットすると76番が緑色の光を灯した。培養細胞に組み込まれたレポーターが反応したようだ――


黒川遼一「76番のチューブをダミーに入れ替えてから冷凍庫にもどす」


――君がドアを閉めると、ディープフリーザーの温度上昇は穏やかになり、やがて規定値に向かって下がっていく――


…………


――君は地下の通気口から地上に出た。目の前には炎を上げる研究所が見える。モーター音とともに君の側にバンがとまった。運転席には森本教授の姿がある――


黒川遼一「保冷箱のサンプルを教授に渡す」

GM「翌日まで時間を飛ばすよ」


――培養槽から昨夜のサンプルを播種したシャーレが取り出された。君が顕微鏡をのぞくと分裂を始めている培養細胞が見えた。人工アミノ酸による強化型タンパク質を生産する細胞は完全な形で入手された。すぐに君のアカウントに報酬が振り込まれるだろう――


 狐面をかぶった少女は淡々とそう説明したあと、その仮面を取ってから、僕に向かって宣言する。


「おめでとう、君は見事にこのキャンペーンをクリアした」

「よし」


 ガッツポーズを決めたアバターの影が研究所の写真に落ちた。




 ライトグレーのVR会議室。表示されているのは平面画像一枚だけ。さっきまでの架空の世界ゲームを思わせるものは研究所の写真一枚のみだ。


 折角の360度の映像空間に、たった一枚の写真だけというのはさみしく見える。だが、TRPGにはこれで十分だ。むしろ余計なものは要らないと言った方がいい。このゲームはプレイヤー彼女ゲームマスターの想像の中にあるのだから。


 改めて向かいに座る少女GMを見る。狐の仮面を外したGMは、腰まで伸びた金色の髪と翠色に輝く瞳の美少女だ。VRは美男美女であふれているが、神秘的で無邪気なその造形は電子空間に舞い降りた天使のごとくに、可憐で美しい。


 一目で優れた造形者アーティストによるものだと分かる。しかも、テックグラスに映るIDには独占使用権が認識できる。すごいな、このクオリティーの一品物オーダーメイドはとんでもなく高価なはずだ。


 そう言えば、彼女が仮面を外したのは初めてだ。これだけのアバターなら見せびらかしたくなると思うんだけど……。


「最後のセッションはどうだったかな?」

「あ、ああ。うん、最高に良かったよ。ここまでキャラに入り込んだのは久しぶりだ」


 透明感ある緑色の瞳で僕を見て、長い金髪の少女は小さな口を開いた。マスタリング時とは打って変わった明るい鈴のような声だ。僕は力を込めて答えた。これは正真正銘、まごうことなき本音だ。相手が美少女の姿だからと言って、いや正真正銘の生身の美少女でも、TRPGに嘘や忖度は持ち込まない。


 『GM』、ゲームマスターは『ルールブック』に書かれた複雑なルールと大量の設定を理解した上で、さらにシナリオを準備する。そしてゲームが始まれば、複数人のNPCを演じながら複数のプレイヤーに対応する。


 傍から見れば映画監督に似ているし、実際にゲーム進行の全権を持ってはいる。ただし台本シナリオは監督しか知らない。それゆえに、役者プレイヤーは各人が自分で決めた役とスタイルで勝手に動く。さらにダイスがランダムを加える。実質的にはスポーツの監督の方が近いと思う。


 しかも今回のシナリオは彼女の自作で、その内容はとても精巧で高度なものだった。


 廃ビルで落ち合った別々の組織に属する五人が共通の目的のために手を組み、秘密の研究所から最新のバイオテクノロジーを奪取するという設定で、プレイヤー同士が潜在的に対立関係という厄介なものだ。シナリオ管理はとんでもなく大変だったはずだ。


「そうだな……特に情報の提示とかシナリオ進行とか、管理面はホント完ぺきだったと思う。描写も簡潔でわかりやすかった。特にクライマックスの研究所は真に迫っていたよね」

「ルート管理とか例外処理は得意だから。研究所は私がいる施設を原型に使ったからだろうね」

「ああ……なるほど?」


 彼女のIDに開示されている個人情報を見る。十五歳の女の子が研究所みたいな建物に住んでいる? まあ、普段生活しているスペースなら管理しやすいのは分かるか。


「ただ判定がちょっとシビアすぎかな。判定の度にロールプレイを要求されるのは難易度が高いと思う。ただでさえ専門知識絡みで情報量が多かったからさ」


 僕はなるべく否定的に聞こえないように注意して言った。プレイヤー五人でスタートして三回目で残ったのは僕一人だけ。メイン火力が早々に落ちた。前回は自棄になった僕以外の最後の一人、が敵に寝返った。ちなみにそのプレイヤーが持っていた推奨技能が『知識:生物学』だった。


 おかげで最後のあの綱渡りのような潜入劇だ。ただでさえ本格的なサスペンスシナリオが、超高難易度になったのだ。思い返しても、我ながらよく全滅エンドにならなかったと思う。


 僕の言葉を聞いた少女は、小さく首を傾げた。


「TRPGは脳の想像力を駆使して架空の世界とその世界での行動をシミュレーションする自己意識キャラクターを作り出すものじゃないの?」

「シミュレーション? ああ、いや確かにその通りだよ。うん、ロールプレイ重視派としては歓迎なんだけどね……」


 僕はいったんうなずいた。


 キャラクターは駒ではない。『その世界』の『自分』だ。脳の想像力をフルに活用するゲームである意味はそこにこそある。


 プレイヤーキャラがすべて別々の組織に属する導入だったから、あの裏切り《PvP》も考えられない展開ではなかった。実際、GMは裏切りを認めた。そしてその後のマスタリングも、僕にも彼にもフェアだった。裏切ったプレイヤーも最後はノリノリだったし、僕としてもシナリオ上のクライマックスより彼との戦いが一番盛り上がったくらいだ。


 ギリギリの状況で、決められたルールと無限の可能性の中で、最善の未来を探求する。脳みそがフル回転するあの感じ。あの時僕たち三人は間違いなく一つの世界ドラマを作り上げていた。


 本音を言えば、彼女のマスタリングは僕にとっては理想に近かった。ただ、一つのプレイスタイルだけを想定しているような危うさを感じた。それがもったいないと感じてしまうのだ。


「そうだな、最初にロストした賞金稼ぎのキャラがいただろ」

「数値を重視していたプレイヤーのキャラクターだね。コンピュータRPGに適したスタイルに見えたけど?」

「確かにそういう捉え方はできる。でもさ……」


 あのプレイヤーはいわゆるデータマンチ。ルールや設定を駆使して、とにかく強いキャラクターやプレイを目指す。時にやりすぎて顰蹙を買うことはあるスタイルだが、あのプレイヤーの場合はちゃんとキャラクター背景にのっとっての創意と工夫が見られた。


「だからあのスタイルも君が言った……ええっと「脳の創造力を駆使して」「架空の世界」で自分を「シミュレーション」した結果、と言えないかい?」


 僕がキャラクターシートの記録を表示して説明すると、彼女は少し考えてから。「なるほど。確かに彼のプレイヤーとしての潜在能力を評価しそこなったかもしれないね」と素直に頷いた。


「他には?」

「ええっと、他には……。いや、それ以外には文句のつけようがないというか……。そうだな……。街中とかちょっとおかしな判定があったかな。ほら、無人バスが街の中心部に通じてないとか。シナリオ上の都合があったのかって思ったけど」

「それは純粋に設定ミスだね。バスに乗ったことがないし、ここ六年ほどベッドから出たことなかったから。デジタルツイン上で予行演習はしたけど限界があったようだね」


 屈託のない言葉で重い事実が告げられた。つまり、さっき彼女のいった研究所のような施設って……。


「もしかして入院中、とか」

「入院……。おおむねそのイメージであってる。実は今の君との会話もすべてBMI越しなんだ」


 BMI、脳波キーボードとかか? でも、やり取りは全然ラグとかなかったような。なるほど、そういう境遇なら、TRPGはある意味理想的な娯楽と言えるかもしれない。


「ええっと、最初言ったように僕個人としてはとても楽しめたよ。次のシナリオがあったらぜひ参加したいくらいだ」

「残念だけどここを利用するのは今回が最後になりそうなんだ」

「それって……」

「実は今新しい『ルールブック』を作ってるんだ」

「ルールブックを作っている、もしかして自作システムってこと!?」


 一瞬、最悪の想像をした僕は彼女の言葉に食いついた。


「うん。頭の中に本来の自分とは別のもう一つの意識キャラクターを作り出し。そのキャラクターを通じて特別な能力を使うというコンセプトなんだ。君に分かりやすく言えば“ロールプレイ”と強さが比例するシステムかな」

「なんだそれ、すごく面白そうなんだけど!!」

「ベータ版まで出来たんだよ。ただ、これ以上の開発にはテストプレイヤーが必要と判断していてね」


 蠱惑的なみどり色の瞳が真っすぐ僕に向けられた。思わずつばを飲む。


「君にテストプレイヤーをお願いしたいんだ。ただ――」

「喜んで協力させてもらうよ!!」

「えっ、あ、うん。でも、もうちょっと条件を聞いた方がいいと思うけど。例えば報酬とか……」

「報酬? ははっ、何を大げさな」

「でも、秘密を守ってもらう必要がある。それにテストシナリオの想定では二日ほど拘束する必要があるんだよ」


 なるほど確かに本格的なテストだ。いや、彼女の才能を考えれば将来はプロのゲームアーティストでもおかしくないか。でも僕にとってTRPGは純然たる趣味だ。


 しかも、そのオリジナルのルールブックが、極端にロールプレイ重視の尖ったコンセプトだという。頼み込んででも参加したいくらいだ。


「二日ね。自慢じゃないけど大学生にしては暇なんだ。二日でも三日でも大丈夫だ」

「でもね……リスクとか……。ああ、そろそろ巡回の時間だね。そうだ、じゃあまずはルールブックの試作版を輸送する。それを読んでもらってから改めて話をしよう」

「輸送? 了解。楽しみにしているよ」


 僕の勢いに面食らっていた少女だが、何かに気が付いたように視線を壁の向こうに動かした。そして、僕の答えを聞くと、素早く狐の面をかぶりなおすと、VR空間から瞬時に消えた。


 最後あわただしかったな。もしかしたら、診察の時間なのかもしれない。


 一人空虚な空間に残った僕は、降ってわいたような幸運をしばし噛みしめた後、現実にもどった。


 後から考えると、僕はこの時もう少し考慮すべきだったのだろう。彼女は一度もその『ルールブック』がTRPGのものだとは言わなかったのだから。

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