汝、忘却を忘るることなかれ ②

「──ん? 父さんに隠し事なんか無いさ、紗希。自分のことで知らないことがあったならそれは、きっと覚えていないだけだ」


 帰宅後。

 それを父さんのせいにされてもなぁ、と。家入達志、父はそう続けた。

 事件の真相の下りまでをその言葉で片付けようとするのはいささか強引で、ましてや自分の関与する余地のない10年前のそれは凛によるもの。

 あまりにも不審で、私はたまらず同じ質問を投げかけた。


「そういうのいいから。ねえ、隠し事があるんだろ? 10年前のことでさ。

 私凛に聞いたんだよ、あの事件は自分がやったんだって。なら犯人がまるで、火事で焼け死んだ素性の知れない誰かがいたように結論付けたのは、一体どういうわけなんだ?」

「どういうわけも何もそのままの意味だぞ。私の答えに不満があるのなら、その不足は自分自身が握っているもの──」

「っ、だから私のことじゃないんだって!!」


 勢いよく机を叩くと、置いてあったカップがカタリと揺れた。

 中身のないそれはこぼれる心配はなかったが、まるで今の会話のやり取りを空っぽだと言っているかのよう。無意味なやり取りだったと呆れられている。

 ……私は。荒げた声にしてはそんな風に、ひどく心の内は冷めていた。


 その反応に父は仕方ない、と。そう言って目を伏せ、小さく話し出す。


「あの家の事を知りたい気持ちはよくわかる。10年前のあの日、超能力のための虐待の果てにその子供に牙を剥かれた家族だ。……うん、二人のことを思うと、無力な自分が嫌になって仕方がない。

 アレは父さんにとって、ひどい後悔と罪の意識の象徴なんだよ紗希。話すことを避けることはひどいと言われようとどうしようもない……必要だったんだ。

 そして紗希がこうして父さんに話している。それが誰の責任かと言われれば、親の責任を放棄した人間がすべて悪い。いや違うな、悪いなんてもんじゃない、極悪だった。どんな理由であれ、やるべきことだけは決まっていたはずだったのにな……。

 だがそうだな紗希。とにかく私の境遇を一言で表すとするなら、真相を知った探偵は見て見ぬふりをできない関係をすでに持っていたんだよ」

「──まてよ父さん、いくらなんでも遠回りすぎる。婉曲すぎる。自分の後悔が私の質問にどう関わっているんだ……。

 それに、過ぎたことを悔やんでいるってさ、それを私に話してどうするんだ。何が言いたいのかよく分からないけど、凛も鏡も令先輩も、助けたかった人は助かっているじゃんか。はあ、いい加減にしてくれ。鏡のこと聞くのが実の所本命だったのに……、その様子じゃなんにも知らないんじゃないの?」

 

 どこか要領を得ないというか。釈然としないというか。

 受け答えの理解不足はどちらに非があるのかを、私自身もよく分からなくなっている。父の言葉がちんぷんかんぷんな私が悪いのか、それとも歳で、父が妄言を垂れ流しているのか。その場合、悪ではないがそういう原因が明確にあるのかどうかと。

 探偵らしい明瞭な言葉は、濁った言の葉の前にやはり肩書があてにならないと私に教えてくれていた。自称程あてにならないもんは無い。

 

 しかし、父は慌てた様子で否定の姿勢を見せる。

 理由は別にあるという口ぶりは必死で、それでいて次にいう話はひどく落ち着いて、開き直って間違いはないと続けた。


「違う。これは言わなければいけないことで、そして……ああ……。

 ──うん、そうだ。これくらいさ。紗希、今私が言えることはそれくらいなんだよ、本当に。この際言わないことが隠していたというのならそれでいい。そういうのならこっちにだって、隠していたなりの正当性だってあるんだからね。ああそうだ、無縁に生きられたのならそれはそれで幸せなことなんだよ」

「は、やっぱり隠してるんじゃないか。何を勝手に……」


 隠し事はあった。でも隠す理由があったから仕方ない。

 それを聞いて納得できる人は多分そう多くはいない。隠されたというのはよっぽどの理由が無い限り、「お前を信用していない」と告白しているに等しいからだ。

 信用という誠実にしかし嘘で応えるということは、それなりの代償が伴うということである。

 幼い頃聞いた父が探偵を辞めた理由は、嘘が混じっていた。

 家入紗希は父の背中を追って探偵を密かに憧れとしていたのに、事実はそんな私の芯をうっかり揺るがそうとしていた。


「紗希、この間私が言ったことを覚えているか?」

「何……?」


 思い通りの回答を得られないことに不貞腐れた私は、ぶっきらぼうにそう返事する。父が、この間私に何を言っていたのかを覚えていない、と嘘ついて。


「「立ちはだかるモノの中で一番手ごわい敵というのは、他ならぬ自分自身」」


 私と父は同時にそう言った。

 ……。と、押し黙り、そして嬉しそうに父は話し出す。 


「ああやっぱり、紗希は私の娘だよ」

「……はぁ? 当たり前だ」


 本当に今日は父がおかしい。一体何を言っているのか。

 家入達志の娘が家入紗希だということは、誰の疑いようもない、小さな嘘の中の大きな真実である。紛れもない事。

 だっていうのに、どうした。そんなまじまじこっちを見てそんなことを言うなんて、歳はそういう懐かしさみたいの思いを増長させるのかな……?

 

「分かったよ紗希、話す時が来たら話そう。抱える問題がすべて片付いた後、改めてその気になるのなら、その時は父さんの前に来るといい。来てもいいと思ってくれるのならね。

 だが言っておくよ、あの家の闇は今も続く底なしの地獄だ。落ちる先に何があるのかも見えなくなった場所なんだ。慈愛に満ちた退廃の未来の青写真。

 紗希、だから覚悟しておきなさい」


────────────────

「ホント、マジで何言ってんだかな」

 

 階段を上がり、自室のベッドに寝転がる。

 言われたことを繰り返し頭で考えてみて、そんな言葉だけがぽつり。

 多分、あれは伊化左令が伊化左鏡を過保護に扱っているということを言っているのだろう。そこまで知っている私の父へ疑問を抱きつつも、どうせ話してくれないことだからと諦める。


「あーあー、結局なにも分からずじまい。鏡の事は二人に期待するかぁ」


 吸血鬼と化した伊化左鏡に、それこそが伊化左鏡だと深く刻みこむ。

 やろうとしていることはつまりそういう事である。


「これは令先輩に頼まれたこととは違うけどさ、でもきっとそっちの方がいい。

 吸血鬼、起きた事実は否定できないんだ。なら、責任の所在を明確にしておかないと。そんなことをするのは私ではないという言い訳は許さないよ、伊化左鏡。

 自分は境界が欠落した人間であると、それを受け入れさせてやるさ。

 ……だが、恨まれようとも構わない。優しいだけじゃ人は救えないんだ、先輩」


 自分の在り方、側面を否定することはできないと私はもう動かないことにした。

 優しくはないと私は今思ったけれど、多分……自分を形作る要素を一つでも否定することの方がよっぽどだろう。きっとそれは残酷な話なんだ。

 

 思考に一区切りがついた私。今日の考え事がまとまった私。

 途端、今日の夢を見る時間だとばかりに睡魔が押し寄せてきた。それに私は抗いようもなく、抗おうともせず、ただ静かに瞳を閉じた。

 意識が途切れる寸前に、また一つ浮かび上がったことがあった。


『ああやっぱり、紗希は私の娘だよ』


 父の言葉。

 当たり前の事実を特別なことのように言って見せたことに、どうも変な気分が収まらない。

 前に言った話を同じタイミングで言っただけのことで、何をそんな確かめるような言い方を。、そんな偶然だって怒るに決まっている。以心伝心というか、親と子の関係でそういう似た思考になるのだってありそうなことだというのに、変なの……。

 家入紗希ならそうなるに決まっているじゃないか。


 そうだ。

 私は家入紗希なんだから、伊化左鏡の事を知らないなんて当たり前の話なんだ。忘れているも何も最初から知るもんか。

 

 そうだとも、知らないことは思い出せないのだから。

 

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