可視の条件
「とんでもないものを見てしまった……。いや全くとんでもないものを見たんだよ、私は」
いつもの朝の教室で、私は凛に向かって思わずそう口にした。
捻りのない表現。忌憚なき心からの気持ち。それというのは口に出すような言い回しにしては、舞台に立つ俳優の説明口調じみてくどい。
「おはよう、紗希。どう? 別れた後に話してよかったでしょう。紗希があそこにいたまま話したんじゃ、きっと追及するのも止む無しだと思ったけれど……予想通りの反応で朝から気分がいいわ。ふふ、謎は最後に解かれなくっちゃね~って」
「あーそうかよ……ったく。まだ何か企んでるのか、凛? 正直、吸血鬼だけで手一杯なんだぞ私は」
「まあまあ安心して。私はもう紗希何かをするつもりはないわよ」
「私は、ねぇ……?」
昨日の『今日の夢』二人の会話を思い出す。
──確かに、凛はもう何かをするつもりはないと、そう言っていた。
企んでいるとするならばそれは、伊化左先輩である。
「なら教えてくれよ凛。先輩の目的は何なんだ? 吸血鬼の妹を助けることが、その企てとやらと何か関係しているのか?」
「さてね。邪魔をしないと私は言ったから、紗希に伝えられる言葉は何もないわよ。それでもあえて言うなら、まずは目前の事を片づけましょうということだけね」
「おいおい隠し事か。協力し合わなきゃってんなら、そういうのはナシでいくべきだぜ?」
「あら、そこはお互い様よ」
顔をぷいとそらし、何を言っているのよ、と。凛はまるで私も同じだとそう訴えているようであった。
「心外だな。少なくとも凛には知っていることを全部話してる。それでいて私も同じだというのは、一方的を誤魔化したいための嘘を堂々私についてみせたってことになる。信頼に対して公平じゃないよ、それは」
「惜しいわね。お互い様というのは考え方の話。紗希が渡井君と谷内君に隠し事をするのを正当化できるように、私も紗希に隠し事をするのを正当化できるのよ。ええまあ、公平性には欠いているけれど……」
「話すとややこしいからって?」
「そう。だからお互い様。私と紗希、互いでは無い隠し事をしている者同士の、ね。
それにそれは私の役割ではないから」
結局分からずじまいとなった凛の隠し事。
僅かでも納得のいってしまった私は、そこまで熱を入れて追及する気も起きず、話は変わって例の吸血鬼へと話題は移った。
その時にはちょうど巴と谷内も登校したらしく、私たち二人の超能力についての話は、どちらにせよ続けられなかったことであった。
──今更ながらだが……。吸血鬼はよくて超能力は駄目というのも、色々おかしな話である。
「おはよ、巴、谷内。収穫は?」
「なーんにも。様子がおかしいって話は昨日くらいで、それ以外はいつもの藤原先生って感じ」
そんな巴の報告に、横で谷内が頷き同意を示す。
「異常という異常は一つも見聞きせず、だ。多くの顔を持つらしいが、現状……藤原先生の顔に悪い噂は無かった。
……家入、俺たちは調べたと言っても、あれからたかが数時間の成果でしかない。だが──」
言葉を詰まらせる谷内。
自らの手法に問題があるのかと悩んでいるようで、叩けば簡単に埃が出ると期待していた谷内は、今もそれが引っかかっているらしい。
「そうね。これ以上探っても何もないでしょうね」
凛はそう代弁し、調査は無意味と結論付ける。
「顔はそれぞれ違うのよ。藤原先生としての自我が揺らがない限り、ボロはまず出さないでしょうね。……いえ、出しようがないというのが正しいわね。
『吸血鬼もまた自分の姿』そう藤原先生が向き合うことがあれば、きっと同じやり方でも分かることがあるでしょうけれど」
「それは……駄目だ。できれば電話の一件が最後にしておきたいな。
自我が揺らぐと、それだけ自らが吸血鬼であるという意識が深まりかねない」
曰く境界欠落者。
ただでさえ自他の隔たりがゼロ距離だというのに、せっかくそれでも2人格が何とか生きている今の状況を崩しては、伊化左先輩の頼みは叶わないだろう。
個人的な話をナシにすれば、やるべきは確実に切り分け、あわよくば抹消すること。別を別にしたまま解決することが望ましいのだ。
「困ったことに方法自体、私達は定まっていないし、今となっては地雷だな……。
あーもう!! 見えない癖してひとたび触れれば取り返しがつかないとか、性質が悪いってんだよ。ガッといってぱっと終わらせたい話でいて、それでも突っ込めとは言えないし……、んーーー」
「いっその事、どの顔も忘れさせればいいのかもしれないわね。吸血鬼のことも、藤原先生も」
さてどうしたものかと、凛と私。
私達の方針が決まっていないということもそうだが、問題は別にある。
それは巴と谷内に頼むことは何だろうということで、解決すべきことが隠すべきことでもあるというのが難しい話なのだ。
しかし隠したいことがあるからと言って、適当にあれやこれや当たり障りない事柄を調べさせるというのも、じゃあ人手の無駄遣いという話。……私たちが知らなければいけないことはきっとまだあるハズで、おまけに来週という期限が迫る今の状況でそんなことをしている暇はないのだ。
そうやって、二人をおいてうむむと思い悩む。
──すると谷内は、私達が伝えそびえた一つの事実を声に出しかけた。
「なあ、さっきから藤原先生を……まて、つま──もごっ?!」
「はーい、お口チャックね。続きはまた後で」
すっかり浅まった朝の教室。
犯人が藤原先生だというのは確定したことなのかと、凛はそう口にしかけた谷内をすんでで抑え、ニコニコとあわや窒息しかける寸前までしっかり密閉していた。
『こっちが考え込んでいるのによくも』──そんな怒りをその手に込めて。
「ちょ、凛……」
「あ、うっかり」
ぱ、と。手を放し、ごめんなさいねと。
うっかりで人を窒息させかけてたまるものか。
「人が増えてきたからね。ただでさえ、どこかの誰かが私のことをペラペラみんなに話すもんだから、おいそれと核心的なあれこれは口にできないんだ。察してくれ」
「げほっ。──う、うん、そうしておこう。僕も命は惜しい……」
暗にそれは、凛の力の入りようがマジであったと告発しているに等しかった。
────────────────
昼休み。旧校舎3階美術室にて。
人の目を気にせず話せる場所は、こういう辺鄙な場所しかないことは分かっていた。生徒も教師も未だに寄り付かない教室で、子供騙しの怪談もないというに、静けさの極まる辺りはそのせいでらしく雰囲気を醸すものだから──、
『briiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii』
「ひっ!!」
道すがらの廊下。
びゅうと、風が吹きでもすれば、建付けの緩い窓は音を鳴らし、乙女な悲鳴が思わず出てしまう。
そんな小さな叫びを凛と二人は聞き逃さず、からかい笑い、口々に「嘘つけ」と言わんばかりの言葉を並べ立てた。
「ふふふ。なあに紗希、もしかして怖いの? かーわいー」
「えーいや、まっさかー!! サキちゃんに限って幽霊におびえるとか、そんなか弱い反応は演技だよ演技。だってこの間まで普通だったじゃんか」
「そうだぞ。藤原先生のアパートで大丈夫なら、ここだって同じだろうに。
ひっかけるなら初対面だけにしておけよ、家入」
「……、うっさい」
何とか絞り出し、その一言。
谷内の言った、アパートの話は確かにそう思う理由として妥当だろう……。あるいは理解できる思考のつながり方をしている。
しかし。私から言わせれば、今とその時とでは、天と地ほどの差があるのだふざけるな。そして別に場所と暗闇は今の反応に関係は無いってんだ。
「──あ、本気だったの紗希?」
「本気も本気。不安にタイミングよく大きな音がして、それが怖かっただけだよ。はああ……」
不穏と急展開は誰だって驚くということである。
「そう。まあ、それなら私が悪いってことでもないわね!!」
と、凛。
この場所は最初一番に、選んだわけじゃあない。昨日のように放送室を使うという案もあった私の口からあった。
けれどそのために生徒会長へ連絡を入れるというのも面倒だったし、何より凛が『あいつに頼みごとをしたらその100倍を請求される』との、明らかな嘘で嫌がったので仕方なく止めておいたのだ。
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