レディ・ジェーンの目撃者 ②
「──着いた。ここだ。このアパートが、あいつの住処だ」
谷内はそう言って、いかにも、なそれを指さす。
住宅地の中にひっそりとたたずむ屋敷──だったら、雰囲気もでて良かったのだが、正確に言えばそれは、ごく普通のありふれたアパートである。
大きさだけで見れば過言ではないのかもしれないが、目の前にあるのはくたびれた建物、外壁はさながらグリーンカーテンの失敗作の有様で、お世辞にも管理が行き届いているとは言い難い。
だから間違っても、屋敷と呼べるほどの高貴さは持ち合わせていなかった。
「……なんとも随分、庶民的な吸血鬼だ。どちらかと言えばこれ、幽霊屋敷って区分だろうに」
「吸血鬼……? 朝もそんな話をしてたが、一体何の話だ?」
「こっちの話。今度皆で集まったときに、改めてそのあたりは話してやるよ。ややこしい事を言って、ここで混乱したっていい事なんか無いからな。
──いやそれより。まさか目撃者が谷内だったとは……。そういう役回りというか、谷内は事件というものに縁があるんだろうね。生きてて普通無いぜ、事件の目撃者になるなんて状況。なのに1度ならず2度も遭遇するってのは、つまりは縁ってやつなんだろうよ」
「ああ成程。縁、か。でも、それなら家入だって同じだ。
前の件も、今の事もそう。君も事件によく関わっているじゃないか」
「それいゃそうさ。私は自分で探しにいっているからな。偶然──は、無いとは言わないが、自主的なめぐり逢いをしているんだから、事件に多く関わっているのは当たり前だ。
それにそもそも、だ。探偵の元に事件が寄り付くのだって、至極当たり前のことだろう?」
「……なら俺は、事件を探す道具。ダウジングに使われるあのL字の棒ってところか……。
一生主役になれやしない装置の一つ。そうか、俺が解決にまで至らなかったのは──いや止めとこ。自分で言ってて悲しくなってくる」
惨めだ、と谷内は目をつむった。
自嘲気味に自分を例えた谷内は、けれど口から漏れ出た言葉に耐え切れず、それは笑う事すらできぬ単なる自傷行為となった。
「追い打ちをかけるようで悪いが、一つ思い出した。すっかり忘れていたが、2度目と言ったらストーカーも、だったな」
「な、ストーカとは聞き捨てならない。それに言い方も悪い。
昼も夜も、見かけたのはたまたまだ。決して付け回して居所を見つけ出したってワケじゃない。人を犯罪者みたいに言うのは止めて欲しいね。……ホントに、たまたまなんだし」
「はいはい、そーいうことにしておくよ」
鉄階段を上がって2階。
壁は薄灰一面に染められた、つるりとした触り心地の質素な材質。けれど触れた指に塗料や錆が付くほど、おんぼろということは無かった。
「んーどうなんだ? 色は煤けてるのか元からなのか……。外壁があれじゃあ、その判断がつかないな、こりゃ」
薄灰色の壁を見てそんな感想を抱く。
勝手なイメージだが、そういう色はアパートというよりマンションでよく見る色。橙色みたいな明るい色じゃないんだなと、そんな疑問が口に出た。
「元からか、そうじゃないか、ね。確かに。階段もギイギイ悲鳴を上げるくらいだ。建てられてから相当な時間が経ってそうだが……。その割に、床や天井は殆ど傷んでいないようだ」
同意だとばかりに話す谷内。そして私も、言われてみれば外観のわりにはひどい有様ではなく、ボロボロの廃墟と言えるほど落ちぶれてもないと気づいた。
「……ま、建物の状態はそこまで重要な話じゃないさ。──それで、部屋は?」
「番号は026。2階一番奥の部屋だ。
──あそこ。あのすごく日当たりの悪い部屋」
やはり頑丈なつくりなのか、鉄階段のような不安定さはなく、響くのは二人分のローファーから奏でられる、コツコツという靴音のみ。
ほどなくして部屋の前に着くと、遠巻きから見ていたとおり入り口の辺りはちょうど陽が遮られた、洞窟のような仄暗さである。
ひんやりとした居心地は木陰のような開放感から突き放された場所にあり、ここは閉鎖とも錯覚する、ひどく冷たい印象を覚える行き止まり。
「吸血鬼なら、日照権とか関係ないってことか。寧ろ住み心地のいい良物件になってるんだろうね」
「……またそれか。今説明してくれないんなら、その単語を連呼するのはやめてくれよ。
俺だって、あまり公にしたくないから、直接名前を言わなかったことは知ってる。その意図を汲んではいたが、だけど遅かれ早かれ時間の問題だろ?
この際だ。名前を、伊化左
「別に避けていたわけじゃないんだが、うーん。これもまた説明の難しい話なんだよなぁ。
とにかく谷内には、その、伊化左先輩? ……誰だか知らないけれど、その人に見えたのか?」
「そう、伊化左
というか家入、『知らない』って、自分の高校の生徒会長くらい覚えておけよ……」
呆れた様子で肩すくめる谷内はそう言った。
だがその言葉には大いに異論がある。学年が違ければ名前を知らないくらいおかしなことでもないし、それが生徒会長だって同じことだ。
「まてまて、普通覚えるもんじゃないだろ。
対立がいなきゃ、生徒会長になるのは立候補者だ。よほど悪い噂でもない限り落ちることは無いんだし、いてもそもそもあれに真面目に投票してる人なんざいやしないぜ? 選挙が選挙の機能を果たしていない時点で、名前だって素通りして次の日には忘れてる。そんな『知ってて当然』みたいな顔されても、こっちだって納得いかないぞ!」
「逆に伊化左なんて名前、どうしたら忘れるんだよ。世に二つとない苗字だぞ? 生徒会長だと知らなくても、それくらいは覚えてられるもんだろ。お前家入、度を逸した世間知らずか!」
──それはそうかもしれない。
それだけは反論の余地なく、人に関心が無さすぎる私は世情に疎いのは確かにそうであった。
「う。で、でもそれは──」
「君達、私の部屋の前で何をしているんだ?」
不意に背後から、聞き覚えのある声が耳に。
同年代と思える若さと、それでいて落ち着きには大人の余裕を感じさせるその声は、まるで生徒を叱責するかのような調子で言った。
……ぞくりと。後ろに立つ者が誰であるかを考えると、背筋にそんな悪寒が走る。
それでも、視線を感じながらも、ちらりと表札に目をやった。
薄灰の壁に掛けられたそれには、──はっきり、『藤原』という名が刻まれている。
「っえ、あ。藤原先生!?」
声と名。頭の中でそれが合わさったことで、すぐに後ろにいる人間の素性が口に出た。
その顔は定まらぬ顔ではなく、間違いようもなく担任の教師。加えて伊化左先輩なる、朽ノ木高校の生徒会長と間違えようもない、いつも見るその人がそこに。
「藤原
「なんで……? それは何の『なんで』かしら? 私がここに居る事?」
おそらく。
谷内のなんでとは、見た顔と一致しないこと。
伊化左先輩を見たはずが、ここに住んでいるというのが全くの別人であるために、きっと混乱しているのだ。
顔に浮かぶ困惑はそれは正直に表し、記憶と違う奇妙さに、はたから見ればその様子は先生に叱られる生徒のような図になっている。
「藤原先生、巴の補習は終わったんですか?」
聞きたいことはこちらにもと、混乱する谷内の代わりに、まず私からそんなことを聞いた。
担任との補習があると、そう言って学校に残った巴は、時間的に今も補習をしているはずで、だというのにその担任がここにいるとなれば、……先生は、
「ああ、それは伊野先生にお願いしたわ。少し用事が入ってね、帰らなくてはいけなくなったのよ。渡井君には申し訳ないけれど、でも中止にはできないから、代わりにね」
『
「──でも、聞きたいことはそれじゃないんでしょう……二人とも。分かるわ」
「……分かるって、まさか、」
「……ふ。君達の教師の給料というのは、その激務と反比例に悲惨だということよ」
……。
何かこうもっと重要な話でも口にするかと思えば、それは社会人の悲鳴であった。
「そ、そうなんですか。
……えと、いつもありがとうございます?」
どこか遠くを見つめる藤原先生のその顔に、谷内は困惑しながらそう感謝を。
藤原先生は、『なんでこんな場所に住んでいるんですか?』とでも聞かれたと思ったのか、言いたいことは間違っていないが、致命的に意味を捉えかねた結果として、そんな回答を自ら悲しげに吐露した。
私たちが聞きたいのは『吸血鬼の居所に、何故先生が住んでいるのか』という事。字面だけ見れば間違うのも無理はない、遠回しに『貧乏なんですか』と聞いているようにも見える質問である。
「──く、あはは、冗談よ。夢が無いのは事実だけど、私の話を全部本気にしないでーって。まったく、大人の懐事情は子供が気にするもんじゃないの。
それに、このアパートがおんぼろなのは外側だけよ。中は結構綺麗な部屋でね、近々外壁にも工事がはいるから、その時には、二人の口からまた違った感想がでてくるわよ、きっと。
……あー、でも。部屋のが綺麗だっていうのは、私が住んでいなければ、ね」
「ま、まさか。おんぼろだなんて、そんなこと言うつもりはありませんって! ただ、近づかなきゃ見えないものもあるって、そういう話はしましたけど。
……まあ、見た目はあてにならないって、今なんとなくそう思いました……」
「ふふふ。はい、よくできました。外見で人を判断してはいけない。『人』という部分には『家』が入ったとしても同じことね。
これは歴史と同じよ。その国を知る事、内面を知らなければ、いつか取り返しのつかない事態に陥るの。……あ、そうね。いい機会だし授業の復習でも──」
「遠慮しておきます」
「はい、お構いなく」
出張授業が展開される予感は、身構えていたおかげで即座に否定につながった。
「あら残念。それより、何か用かしら?
わざわざ担任の家に押しかけてくるなんて、よっぽどの急用らしいけど」
「いえ、用はちょうど終わったようなものです。それによく考えれば、押しかけるほど急な用事でもありませんでしたから。
では、先生にも用事があるようですので、ここで失礼します」
「そう。じゃあさようなら、気を付けて帰るように」
「はい、さようなら。
……ほら、いくぞ谷内。いつまで呆けてるんだ」
「──あれは……でも、ここに居るのは……」
混乱止まぬ谷内は、そんな呟きを抑えきれぬようで、しかもその場から動こうとしなかった。
「なあ、家入じゃあ吸血鬼って……」
と。ついに呟きが私への言葉に変わったため、もう待っていられないとその腕を引っ張って強引に連れ帰ることにした。
しかし引きつったような先生の顔。客観的に、吸血鬼という言葉を平時に聞けば、周りがどういう反応になるのかを身をもって知れたが、谷内からして私は先生がきっと谷内へ思っているように、痛い奴とでも思われているのだろうか……。
「あー、もう! 行くって言ってんだろ!! すみません先生……」
「え、ええ。き、気を付けてね……」
優しげな声だが、苦しそうな顔を見せる藤原先生。先生は私が谷内を階段まで引きずっていく間、心配なのか見送りをしてくれた。さっさと部屋に入ってもいいものを、律儀にそういう行動をとるのは、生徒を思う先生の鑑と言えるだろう。
「でも心配だ、先生、ひどく苦しそうだったけど……」
階段を降り終わり、振り返ってそんな心配を。
……見送る間、その顔は変わることなく。最後まで何か、先生の顔は耐え忍ぶように苦しみを訴えていた。
──────────
「分からない。私は……だれ」
「大丈夫。私は忘れてない。鏡だ、私のかわいい妹。
境界の欠落したお前には、もう名前なんて多く持ちすぎているだろうが、私にとっては変わらない。
そう、この顔……紛れもなく鏡の顔だ。赤崎の奴らは忘れても、私だけは覚えている。
伊化左鏡。家族として、せめて一つだけでもその顔を守ってみせるよ」
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