確かに不確かで不確かに確かな姿 ②

 木ノ宮町きのみやちょう、駅前。

 広く整備されたロータリーは、交通量の割に滞りなく人は流れている。

 周りはちょっとした広場、そこを抜けた先には商店街。さらに進めば、およそ都市の中には似つかわしくない巨大な森林公園まで。

 

 羨望からくる偏見は、実際に来てみれば意外と残されたものもあったわけで、割り切り方はかつての朽ノ木ほど大胆なものではないと私は分かった。

 それは近すぎれば見えないものもあり、遠すぎても見えないものもあるということ。外からの景色は内側から見ればそうでもない、内情を知らない外部の評価は参考程度に。

 ……なるほどつまりアリストテレス。これがかの有名な中庸の徳というヤツなのかな。

 隣町は実に住みやすそうないい町であった。


「薬も過ぎれば毒って、ね。苦いのを耐えても、我慢の報酬が悪化じゃあんまりだもんな。医者の話はよく聞かなきゃダメだね、本当に……。

 ──いや。でも、そうは言っても割り切りは大事だ。丁度いいとか、それは私にとっての問題じゃあない」

 何事もし過ぎは良くない。もちろんそんなことは、加減無しのバカでかい森林公園である我が町の惨状がずっと教えてくれたことで、今更な話。

 問題というのは個人的な私の心情、お気持ちの事だ。

 過去との折り合い、共存の成功体験。しかし中途半端もそれはそれで問題があることを知っている私にとっては、それこそ木ノ宮町の在り方は羨ましい話だし、この気持ちはいかんともしがたいというかすべてに通じる摂理でないのがむずかゆい。

「せめて一つくらい、たまたまでも奇跡でもなんでもいいからそういう経験があれば、ここまで極端には考えなかったんだろうな、私。曖昧はむしろ、招いた結果がひどいもんだった。

 ……ああ、やっぱり。私はし過ぎないと落ち着かない性格だよ。ジェーン」


 黒衣の制服。

 5月末。ジメっぽい季節に照り付ける太陽は、朽ノ木の女子生徒をさながら歩くサウナに仕立て上げる。

 全身を覆う衣服は限りなく陽は遮るものの、熱を吸収する黒が悪さするのだ。

 熱された棺桶に、恒温動物は汗を大量に流す羽目になる蒸し風呂状態となり、熱中症まっしぐらの装いは数分と着ていられない。

 朽ノ木の教師が多少の着崩しにうるさくないのはそういう理由から。私も、今日は夏服ばりに軽い着こなしをしていた。

 ──そんな日に。規定通りの全身黒衣。

 下手をすれば喪服と揶揄される制服が真実になりかねない、一段と蒸し暑い日本の気候に抗う人が一人。

 黒い帽子の切り裂きジェーンがそこにいた。


「これじゃあ、ただの風景の一つだね、お前。

 焦るでもなく、逃げるでもない。ついさっき人の腕を切り裂いたってのに……、まるで散歩だよ」

 足取りは軽やか。悲鳴の群れをすいすいすり抜け、何事もなかったかのように歩きゆく。逃げているというよりそれは、ただ、歩いているのだ。

 血の付いた剥き出しの刃物を隠そうともせず、ジェーンは歩く。駅を通り抜け路地裏。人の気配の消える場所、陽の光届かぬ方へ──。


「……だが。何なんだ、何故誰も止めない……?

 今ここで騒いでいる奴らは、誰一人目の前の出来事が見えてなかったってワケじゃないのに」

 歩くジェーンの後ろ追って、その背中を見ながら考える。

 この両目で確かに顔が分かれば、あれやこれやと推理する必要は無い。捕まえようはいくらだってあるのだ。

 ──しかし、そう単純にいくことは無いのだということも、薄っすら頭の片隅に。

 目撃者の前例を思い出すと、私もまた、その顔を確かに見ることはできないかもしれないということが頭をよぎった。


「……ん。止まっ、た?」

 少しひんやりと。すっかり人気の無い場につく。

 自分の体に影が落ちたと気が付いた時、ジェーンは止まっていた。

 ジェーンは身に着けた髪色と同じ色の帽子を、ようやく脱ぎ捨てる。さらりと、影と同じ真っ黒。 

 ──そして一瞬、見知らぬ顔が。

 苦しげな顔は落ちる陰のせいか、白く、ひどく青ざめていた。

 それはほんの瞬きの出来事で、次の驚きの前に呑まれて消えていった、誰とも知れない人の顔であった。


「……そう。巴、凛、佐伯。私たちはもう、目撃者達にあれやこれやと言える資格は無いようだ。嘘なんて、あの言葉に一切混じっちゃいなかったよ。

 だがでも、──困った。こいつも私と同じ超能力ってわけか? こんなこと、あるなんて考えもしなかったけれど……」

 

 ジェーンは。

 滴る真っ赤を、はちろりちろりと丁寧に舐めとっている。

 舐めとった血は頬にも一滴《ひとしずく》。は、親指でそれを拭って丁寧に飲みつくす。

 異常な光景は精神を削ぐほどかと言われれば、耐性が付いたためか悲鳴などは出てこない。その代わりに冷静に、ジェーンの正体を嫌でも思いついてしまう

 ……そんなことがあるのかと、目の前の事実に反論を上げながら。私はぽつり、怪物の正体を口にする。

「……切り裂きジェーンは、吸血鬼……か」

 目の間にいたのは正しく化け物。

 カメラに映らぬその正体は顔のない鬼であったということだ。

 喉の渇きは収まったらしく、色白の肌は生気を取り戻し、定まらぬ顔以外、何ら異常ない健康そのもの。

 

「つまりこれも超能力の内、ってわけなのか? いやそうじゃなきゃ、吸血鬼が、瞬きの度に変化する顔を持つなんて聞いたことが無いぞ……」

 吸血鬼と言えば。どこか貴族を思わせる品を有し、その装いはドレスというのがありそうな話というか、ありきたりなイメージの中に形作られた私の中の吸血鬼像。

 ではジェーンは、それを踏まえで呼ぶのであれば、深窓しんそうの令嬢よろしく、レディとでもつけるのが正しいのだろうか。

 

 そんなレディ・ジェーン。吸血鬼は最後、私の顔で……恍惚こうこつと笑う。

 それはまるで、鏡写しの自分を見ているような奇妙。だが朝のひばりにつられ、家入紗希はもうじき夢から覚める時間である。

 私は、私の顔を見ながら──今日という夢から覚めた。


 

 



 


 

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