確かに不確かで不確かに確かな姿
「……おはよ」
木曜の朝。
休日目前にしては金曜日という敵が間にいるおかげで、私の中では月曜日といい勝負するヘイトの稼ぎよう。
私の短絡端的な挨拶は、そんな鬱屈した面持ちを暗に示していた。
……せめて水曜日が休みなら、こんな陰気な顔を見せずに済んだのかも。
起こることのない、あり得ないそんな妄想をふと浮かべ、くすんだ笑顔で教室に入った。
「おはよ!」「おはよ」
凛と巴。二人から返ってきた挨拶は同じく軽やかなものだった。
概ね一言一句私と違いのない言葉のハズが、朝日の眩しさ、爽やかな挨拶に聞こえてしまうのは私の状態故だろうか。おかげでありがたいことに、頭にあったどんよりとしたモノはそれで霧散。目の前のありきたりにすっかり浄化された私の気分は、さながら透き通る朝露のように輝いていた。
悩んでいたことが、馬鹿らしくなるくらいに。
「──おお、すご。二人ともホント時間きっかりだ。
いやあ、連絡したの遅かったのにありがとうね、サキちゃん、赤崎さん。朝でもこうして遅刻せず来てくれるってことは、やっぱり皆その気だってことだよね?」
「ええ、私も昨日からそのつもり。
『通り魔ジェーン』の事、それ全部を紗希に任せて、後はその結果を聞くだけというのはつまらないもの。正体を自分で探し当てる機会を放棄するなんて、そんなの勿体ないわ。……それに、赤い手紙事件がああだったのだしね、ふふ。
この際だから探偵の気持ち、存分に味わい尽くすわよ」
ちらりとこちらを見て、笑いかける凛。
いいよね? いいよね? と。口に出さずとも好奇心がいっぱいに込められたその瞳を見れば、歯止めをかけるのならその確認はこれで最後だと、そんな風に彼女は私を枷にしているようであった。
「いいんじゃないの、それはそれで。誰に迷惑かける事でもないしね。
娯楽に飢えてるのなら、探偵になってみるのもまた一興ってやつだよ、凛」
止める理由がないという理由。
彼女のしたいことをすればいいのは、私がしたいことをするのと同じように、誰の指図を受ける事でもない。
弾けば消える緩い鍵だが、それこそ彼女がまた同じようなことをするのであれば、枷として期待通りの働きをするのが、私の、探偵としての責任というものである。
「じゃあ僕から、で……いいかな?」
と、巴。
言っておくと、今日朝早くに来た理由は、彼の一声からである。
始まりというのは昨夜のこと。何とも言い表せぬ不安から眠れぬ夜を過ごした私は、一つの着信が告げた約束どおりにこの場にいる。
『朝の休み時間に皆で情報共有しよ!!』
……という、そんな電話。
実際はもう少し軽薄な調子で、内容はもう少しボリュームはあったが、要約すれば『通り魔ジェーン』の話がしたいという事だった。
「任せるけど、私のは結構、正体の結論みたいな話だぞ」
「え、じゃあ、──そうなの?
ならそれ、えええ!! もう僕らの話要らなくない……? わぇ、あれれ、……へ?」
「ダメよ、巴君。ここで挫けたら、今までの貴方の苦労はどうなってしまうの?
自信をもって、ね。よくも──、オホン。私たちを朝早く呼び出すくらい、そんなとっておきの情報があるんでしょう?」
「よくもこんな時間に」と、僅かに怒りが混じりかけた凛の言葉は、しかし巴を立ち上がらせるには十分な理由となった。
「そ、そうだよね、うん。それに言いだしっぺだし、僕。有益な内容だって、僕にもちゃんとあるさ、……多分!!」
──ただし、自信半分だけの取り戻し。
物事の順序を間違えてしまうと、見るも無残で悲惨なことになるのは世の常であり、大トリへの期待が高まるワケでもある。
大トリは言わずもがな私のことで、『今日の夢』が万全に働いた私の情報は、その位にふさわしいものだと言えるだろう。
しかし、だ。
それを知ってか、うんうんと腕組み頷く凛は、はて一体誰目線なのか。
「サキちゃんが正体を話すっていうのなら、僕の話はその方面だとやめておいた方がいいね。……えと、まあそれだともう、あと一つしかないんだけど……」
言いながら、巴は鞄から新聞の切り抜き数枚をを机に出した。
見たところそれは一面を飾る程の注目を浴びていない、あくまで地方の一事件としての取り扱われ方がなされている。
「切り裂きジャック……ああいや、僕等でいう『通り魔ジェーン』の記事を探してたらさ、たまたま家に残してあった新聞があってね。一番初めに起きた事件の報道記事と、それから今までに起こった事件の記事4枚を切り抜いて、持ってきたんだ」
「ふーん。5月初めから今にかけて、時間とともに割かれるスペースは狭まっていると……。話題性は一時の流行り、記事の切り抜きの大きさが物語ってるな」
その枚数、回数にして『通り魔ジェーン』は、今週で4回目の犯行に及んだ。
いずれも手口は同じで、制服姿の少女が突然刃物のようなもので腕を切り付けたという。
「でも不思議ね……。まだまだ話題として味は残り続けているはずなのに、ここまで世間の関心が落ち込んでいるなんて。……悲しいけど、所詮は地方の話。いつまでも報じられ続ける方がおかしいってことでしょうか。
──ああ、本当に悲しいわ。隣町なんて、その程度の田舎だったというわけね」
「凛。隣町を下げれば、それ以下の私たちの方がよっぽどみじめになるから止めておけ」
5月から始まった事件。
4回の犯行に10人以上の目撃者。
しかしその顔を確かに知るものは誰一人おらず、駅前のカメラにさえ写らない顔。
巴が持ってきた情報というのは特に目新しいものは無いが、どうにもこの話題性という着眼点から見た時に、私は何故この事件を知る時期がこうも遅いのかと気にかかる。
そこまで世間に疎いわけではないというのに、巴が見せた、ざっくばらんに情報を伝えるニュースサイトでやっと知ったという事実がある。手元にあった新聞からではないのだから、おそらく巴だってこの事件にたどり着いたのも何かの偶然だと思う。
あまりに話題になっていない、その点が私にとって妙に引っかかった。
「……いや、まあいい。じゃあ、次。凛はどう? 何か情報は?」
「生憎、急だったからできる事は無かったわ」
ごめんなさいね、とそう言って目を閉じる凛。
しかし、すぐさまその眼は開かれた。
「──あ、でもこの記事を見て気が付いたことはあるわ。
事件が起こってるのって、これ全部水曜日よね? ふふ、もしかしたら初めての発見かしらね。……嘘、そうでもないわね」
「あはは。えーとじゃあ、最後。サキちゃん、お願いします!!」
巴の声、ついに順番が回ってきた。
期待に膨らむ、膨らんでいることは、大トリを任された時から分かっていたこと。
キラキラ光る二人の瞳は、いつぞやの熱を帯びたあの瞳と同じ。
「あ。私、ね。うん、……話すよ」
不可抗力。
知らず、再び舞い戻る鬱屈は私から活気を奪い去った。話す内容は確かに好奇心に応えるもののハズで、求められていることだというのに、だ。
そう。
あるがまま、見たままを伝えることの困難さを、私は思い知ったから。
「私は、犯人を見た」
「え」「は?」
ほぼ同時の二人の驚きよう。
だが私は言葉を続けず、じっと。
今の今までずっと、どう話すべきかという悩みは、ここにきてまだ決着のつかない頭の論争が繰り広げられている。
困惑の顔は二人だけのものではなく、話した当の本人ですら、避けようのない感情であった。
「紗希、それは本と──。いや、違うのね。
その顔……、見たけれど、ということかしら?」
「ど、どういうことサキちゃん!? み、みたの? どうなの?」
疑問疑問、疑問。
曖昧な回答が混乱を招き、私自身ですらそれを免れない。
……では、もう仕方がないだろう。
なれば正直に話す以外、この場を治めることはできないということだ。
「……誰であるかと問われれば、私は確かに答えられる。だが、それはその正体ではなく、個人を表すには不適切な表現だ。
似ているんだよ、あらゆる人にね。
だからあれは誰でもあって、誰でもないんだ。確かに姿を捉えたと思えば、次の瞬間には別の人間の顔を持っている」
すう、と息をのむ。
確かに犯人の正体であり、もしくはそう比喩すべきもの。
確信と不安が入り混じる理由は、本質的にその姿は確かに存在しないという、頭の中に残った明確な否定からくる、理性の証明。
即ち、個人のない個人像。
「その正体、犯人は──レディ・ジェーン。名前も顔もない怪物だ」
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