ジェーン、ジャック。あるいは権兵衛 ②
黄昏時。遠くを見れば、風情のない隣町のビル群に気分が削がれる。
少し前までは夕日と山がこの薄暗い時間帯の密かな主役だったはずが、いつしか発展の波に消え失せた、在りし日の思い出へとその情景は成り下がった。
変わらないものは無く、日常すらその限りではない。
人は変化する環境に感情を流され、非日常を日常に置き換える。
まあなんと図太い精神だこと。
そのザマで、その口は伝統だとかを語るのだから、笑える。いっそ新しい便利なものを全部取り入れればいいというに、少し目をそらせば、駅周辺の賑わいは嘘みたいにみすぼらしく見える。中途半端な緑ほど哀れなものは無い。
割り切らないから。中途半端だから。
だからいつの間にか、人は知らずの内に、今立っている場所を見失ってしまうのだ。
けれど。
それでも代り映えしない窓の外の風景とは、下校する生徒たちの姿。
鐘が鳴れば、どれだけ変容した日常でも元の場所へと帰っていく。一つとして同じでなくとも、その根本は変わらない。
「退屈だ……」
とはいえ変わらない景色はつまらないというのも本当。
長々と今思ったことは、ならば意味のない妄言ワケだが──うん。
ぼうとしていると、悪いことばかり頭に浮かんでは消える。なんともいけない、これは悪い癖だ。
根が暗いのは駄目だろうと、そう自分でもわかっていてもどうしようもない……。抗いがたい私の本質というやつ。
「は──。いや待て待て、何考えてんだ、私。
私だって凛を受け入れてるじゃないか」
思えば、相変わらず私は愚痴ったこととか自分にすべて返っていると気が付いた。
そんなブーメラン。なんか少し惨めな気持ちになった。
「あのー、ね。今退屈って言った? サキちゃん。だったら黄昏てないで、早く手を動かしてくれないかなぁ。一体誰のせいで僕らまで掃除する羽目になったのか考えて欲しいなー、もう……」
巴が知る由もない私の心情は、容赦なく正論にひっぱたかれる。
むー、と。すっかりお怒りの様子の巴は、私に非難の口を隠さない。
「そうよ。いくら6限目が眠気を誘う古典だったとしても、あそこまで堂々とするもんじゃないわよ。ぐっすり夢の中、どんな『今日』を見ていたかは分かるけどね。
おまけに校長先生も見学に来ていたというのに……あれじゃあ、授業がひどい催眠音声だって、暗に告発しているようなものじゃないの」
と、何故か一緒にされてしまった、巻き添え被害者の二人目がそう言ってくる。
『今日の夢』を見ていたことは、凛にはお見通しのようだった。
「いや、悪かったって。連帯責任は悪い習慣だって思うさ、私も。
でもな、私だって考えなしで寝ていたわけじゃないんだぜ。後ろの席ならバレにくいと思ってたし、それに古典の先生は歩き回るタイプじゃないから、めったなことじゃこんな結果は起きなかったろ?」
「うーん。まあ、僕もまさか、周りに座ってた皆が保健室に立ち上がるとは思ってなかったけどさ……。あと、それと入れ替わりで校長先生がサキちゃんの隣に座るなんて、僕だって思ってもみなかったけど……。
いやー、めったなことって起こるもんだねぇ。あはは」
鐘の音はまだ鳴らない。
ほんのあと数分で、この反省という名の清掃作業は終わるというのに、今か今かと思っていると、果てしなくその道のりが遠く感じる。
「でも二人とも律儀だな。私のせいなんだから、全部私に押し付けりゃいいのに。
それに、三人でやるなら、それを言い訳に、いい加減だってバレやしないだろ」
せっせとほうきを動かしていれば、それこそあっという間というものだろうに、私は罰として課せられたこの時間に反骨心を抑えることができなかった。
なにせ、「何のために私が寝ているのかも知らない癖に、よくもまあそんな──それに退屈な授業なんだから寝てたってしょうが──」等々、つまりはそんな怒らなくてもいいだろうに、というそんな悪態をつかずにはいられない。
だが、そう腐っている私と対照に、二人はとんでもなく働きものであった。
掃除を効率よくこなす術を凛が編み出し、指示通りに巴がキビキビ動く。あそこまで洗練された清掃はもはやプロの域だ。
あるいは、いやアレは「清掃」というより「おそうじ」と称するのが正しいのかもしれないが。ともあれきちりと掃除をこなして、手を抜いたのは私ただ一人である。
『肉体労働に頭を使うのなら、いかに早く終わらせられるかを考えなさい』とは、そんな私を見た凛のキツイ一言だった。
──しばらくして、鐘の音。
報告のために先生を呼びに行った巴は、私の制止を無視して廊下を走り抜けていった。怒られた張本人が行くのではなく、巻き込まれたうちの一人が呼びに行く。
恐ろしいが、おそらく巴は私がサボっていたことを、そういう形で懲らしめてやろうとしているのではないだろうか。
……いや。でも確かに、結果を報告するだけで何もしていなかった私は、しかも誰のせいでこの状況、というのも踏まえると、確かに確かにホント確かに、一度痛い目を見るべきであると自分でも思った。
加えて、巴には後で謝るべきであることもまた、確かなことである。
「紗希。あなたは自分を見失うことが怖かったんでしょう」
二人きりの教室。
夕日の差し込む、自然光が眩しく床を反射する中。
不意に、凛が口を開いた。
「今更の話で、蒸し返すようで申し訳ないけれどね。──ええ、この話はきっとこれで最後よ」
それでどうなの、と。凛は首をかしげて見せる。
入り込んだそよ風のせいか、長い黒髪はさらりと揺れた。
「……まあ。うん、そうだね、その通りだよ。
私は私を失うのが怖かったから、犯人を見捨てた。後悔はないさ」
正しさよりも、ありきたりな毎日をとった。
例え、またやり直しの機会を与えられようと、この選択は変わることはない。
良いのか悪いのかの話をするのなら、そんな第三者の声など、私は耳をふさいで取り合いはしない。その場にいた人間以外が、話を聞くまで知りもしなかった人間が、私の事情に口を出すなどおこがましいにもほどがある。
善悪はもう、私の手に余るもの。
そんな私の返答を聞いて、彼女は言う。
「私はこうして、いつもと同じように学校に通って、話し、笑い、生活している。
でもやっぱり、家入紗希はどうとも思っていないのね」
独り言。
自分に言い聞かせると同時に、そして私に向けて話されたモノ。
悲しみ、寂しさ。ため息のように漏れた彼女の言葉は冷たく、しかし声色は全くの反対に満足げ。
ほのかな温かさをもった余韻を残した。
「紗希が私と同類だと分かった時には、ええ、失望もしたわ。その時はよく分からなかったけれど、『今日という夢』だなんてね。前も言った話、紗希は能力頼りの探偵だって、そう思ったの。
……今思えば、それは無駄な葛藤よ。標的を家入達志から変えた時点で運命は決まっていたのだから、私にそんな余分な考えをしている暇なんて無かったというのに。
──でも。ふふ、運命って不思議なものね。
『落ち着くところに落ち着いた。すべては最初から無かったように』
本当に……敵わないわね。今改めて私の敗北を思い知ったわ」
そして、笑う。
夕焼けに照らされた彼女の横顔はどこか遠く、あまりにも孤独だった。
何に孤独を覚えたのかは、言語化するのが難しい。なにせ直感的にそう思った事だったから。
私は、凛は距離があると、理由なく。窓のそばに立った彼女の姿を見て、ただ──、一人だと。
「……じゃあ。私も、話しておくよ。
あれを止めなきゃいけなかった理由は、確かに友達を守るためだ。それは凛含め、巴の命を守るためには、ああするのが一番だった。
……近づくほどに危険なら、もう関わらなければいい。私が探さなければ、犯人が自然に消えてくれれば、日常は私の手に戻って来る。失いたくない理由はそういうものさ。
凛がいる分、前とは少し変わっているけどね」
私の言葉に、きょとんと、凛は目を見開いた。
困惑か、考え、悩んでいるよう。頬に指をあて、うむむと、そんなうなり声のような音を喉から出していた
そして、彼女は僅かな間をおいて話し出す。
「そうなの……かしらね。失って気が付くというのはよくある話だけれど、追い詰めたのならあと一歩だったでしょうに。私って、そんなに往生際が悪い女かしら……いえ、そういう節、あるの、かも?」
「……まあ、繰り返した今日の、凛の知らない話さ。
凛、というか犯人を追いこみすぎると、結末はナイフが待っていたっていう、そんな血みどろの往生際の悪さだよ」
雨の日。巴への危害は許せないものはあったが、それは存在しない記憶。存在しない一日の悲劇。
ならば怒りを向けるのは不当というものだ。
──しかし。
「……? 何を言っているのかは分かるけれど、私、人殺しはしないわよ」
と、そんな言葉が会話の切れ目に。
一瞬の違和感とでも言えばいいのか、何かそれは、霧のような不穏な心の陰りとなって、やがて──消えた。
凛の真っ直ぐな瞳は、嘘を言っているようには見えなかったから。
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