レディー・ジェーン

ジェーン、ジャック。あるいは権兵衛

「──ところで。『切り裂きジャック』って知ってる?」

 5月。それはゴールデンウイークが終わってしまえば、取り立てて喜ばしい出来事もなくなってしまう月。 

 目新しさに心奪われる4月はとうに過ぎ、早くも夏休みを求めている今日この頃。

 渡井巴。彼の話は脈絡なく唐突に始まった。

「『切り裂きジャック』……。19世紀ロンドンの殺人鬼の事か?」

 世間知らずでもない限り、多くの創作物で見かけるであろうその名前を知らない人はいないだろう。

 ──時は1888年。

 娼婦を狙って起こされたその殺人はロンドン、ホワイトチャペルでの出来事。

 喉、腹部を切り裂く残忍な殺し方。しかし内臓を取り出す技術を有していたことから、外科医としての知識を持ち合わせた人物であるとされている。

 犯人の素性はいまだ不明。「切り裂きジャック」という名前すら確かなものではない。聞くところによれば「ジャック」は名称不明の人物につけられる名前だそうで、結局、その正体はロンドンの深い霧の中に消えていったのだ。


「あー、本物の話じゃなくてさ。今話題の、『現代に蘇った切り裂きジャック』の方だよ! ほらこれ」

 言って、巴はスマホの画面をこちらに見せる。

 ニュースサイトのある一角、小さく書かれた「現代によみがえった切り裂きジャック」という言葉。それはここ最近起こっているという、通り魔事件について取り上げたものであった。

「へえ、通り魔事件ね……。何々、『被害者らは共通して突然腕を切りつけられたとされる。犯人はその後、凶器を手にしたまますぐに現場から逃走した』と。

 えと。これが……『切り裂きジャック』?」

 時刻を見ると、13:00近く、つまりは白昼堂々の犯行だ。

 目撃者が多く被害者も生きていることから、すぐにでも終結するだろう事件。本物と似ているのは正体不明で、切り裂いている、というくらいのものだった。

 何せ通り魔。誰を標的にするのかが不明なのだ。

 ロンドンでもなければ、人を引き寄せられるほどの魅力もない。模倣にしてはできの悪い中途半端な……いや、何かに影響を受けた事件は得てしてそういうものなのかもしれない。

 とにかく。「切り裂きジャック」は大言誇張の大ほら吹きの予感。歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。

「サキちゃん違う、そこじゃないそこじゃない。目撃情報うんたらかんたらの後だよ、見て欲しいの。これ、この部分」

 すい、と画面をスクロールすると、監視カメラ映像のキャプチャらしき一枚の画像が表示された。

 残念ながら顔はぼやけてよく見えないが、服装はばっちりキレイに。

 それは長い長いスカート丈。足を完全に覆う黒の装いは、上着と合わせてさながらドレスを思わせる優美さを備えていた。

 加えて黒い帽子に黒い手袋。さながら喪服のようなその制服は、私にとってよく覚えのあるデザインをしている。もしくは馴染み深いともいえるだろう。

 何を隠そう、ちょうど私も着ているのだから。

 ──この、朽ノ木高校の制服を。

「っ、巴これ、うちの高校の制服じゃん……」

「そう! そうなんだよ。隣町の事件なんだけど、制服がウチの高校のだったからびっくりしちゃってさ。

 ……ほら、この間警察が来たでしょ? 僕、その時に気になって調べてたんだよねー-。で、そしたらこれなんだもん。なんで先生話してくれないのかな?」

 教師陣からの言葉と言えば、彼彼女らは口々に、隣町の駅前には近づかないようにという事だけだった。事件自体の存在はその時話してはいたが、その詳細、容疑者がうちの学校にいるかもしれないという可能性は伝えられていない。

 ……ま、当たり前の話ではある。単純に情報の取捨選択とでもいうべきもので、伝えるべきではないと判断したのだろう。

 経験談。生徒同士で疑心暗鬼になるのは私も嫌だ。

 ──ただ。

「あ、ところで19世紀って何年?」

 と、巴はそんなことを聞いてくるくらいなので、ニュースに出ている時点で手遅れだが、思い至っていない彼には後でしっかり口止めをしなくてはならない。

「そうか。佐伯が最近、ウチの生徒の動向をやけに聞いてきたのはそういう事だったワケか。てっきり、女子生徒ばかりだから変に考えてたけど、それならよかった……」

 もちろん犯罪に加担していなくて。

 少し前。佐伯に頼まれた通り、何名かの女子生徒の一日を調べた私は、特に何かその現場を目撃するようなことはなかった。

 見たのはいたって平和な日常そのもの。

 しかし。

 数人の女子生徒の動向を調べたはいいが、昼間人通りが多い中、目撃者が多いはずの事件でああもバラバラに調べることになったのは一体どういうことなのだろうか。


「あら紗希、もしかして知らなかったの? 探偵なのに? 

 これは結構あなた向きの事件だと思うわよ、私」

「……は。もしかしなくても、あの犯人の仕業なのかと思ってたところだよ、凛」

 巴は知らない、赤い手紙事件の真犯人

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、赤崎凛はやってきた。


 私が割り切った以上、彼女の態度はいい意味でふてぶてしくて、そして私よりも随分潔い。だからこうして、以前とは少し変わったけれど、普通の友人として接することができる。

 ……多少、性格が変わってしまったようではあるが。

「ひどいわ冤罪よ。だってもう、そんなことをする意味はないのよ、私には。死んだ人間は蘇らないの、紗希。

 ──って。ああもう、そんな話がしたいんじゃないわ。名称よ名称!! 私に暗い話をさせないでよ、まったく」

「いや人のせいにするなよ。今のは凛が勝手に話し出したんだろ。

 それより何だ、名称って。『切り裂きジャック』に何か問題でも?」

「その通りよ紗希。探偵ポイント30点」

「いらない」

「ふふ紗希。私はね、そういう安易な名づけはしたくないの。仮にこの犯人がそれを模倣しているにしても、『切り裂きジャック』本人ではないのだから区別すべきよ。

 それに、ここは日本よ。そのままだと日本らしさが薄すぎやしないかしら?」

 話を全く聞かない。凛は今、いつぞやの巴状態になっている。

 しかもどこに意見を申し上げるかと思えば、凛は割とどうでもいい所に目をつけていた。

「じゃあ何がいいって言うんだ。『切り裂きジェーン』とか?」

「性別は変わったけれど、それじゃあ日本らしさが足りないわ。

 ──そうね『辻斬りジェーン』ってところかしら。……どう?」

「少なくとも犯人は武士では無いな」

「え、僕もいい? じゃあ、えと『切り裂き権兵衛』!!」

「それは単純にダサいわね」


 ──あれやこれやと案を出し、本格的に武士になったり、はたまた全く頓珍漢な名称、果ては全部乗せまで。

 お昼休みを全部使っての議論は白熱し、中々に難航。けれど最後にはようやく、妥協に妥協を重ねた結果、全員がそれでいいだろうという所に着地することができた。

 その名も「通り魔ジェーン」。

 まあ、誰が一番妥協したのかは言うまでない。

 

 


 


 

 

 

 

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