運命の女Ⅳ ③
「……欠落した記憶が戻ったみたいね、いいわ。ふふ、私は確かに言ったから。謎は最後に解かれなくっちゃね、って。
ようやく私に辿り着いた、あなたの活躍に報いてあげる」
付き物が落ちたかのように、凛はそうすらりと。
気分は清々しいとでも言わんばかりで、頬は紅潮し、その双眸にはやはり、熱がこもってるように見えた。
「私の動機はね、紗希。本を書きたかったの」
「……本?」
「そう、本。推理小説よ。
私が犯人、紗希が探偵役。……これも前に言ったけれど、小説一冊を書き上げられるくらいの活躍だったわ」
それは、もう書き終えたという意味だった。
「本当に凛は……物語を書いていたっていうのか。でもそれが動機だとして、実際に起こす意味はどこにある。今の言葉は、実際に事件を起こす理由にはならない」
「あら、簡単な話よ。私はノンフィクションで書きたかったの。折角モデルがいるのに、使わないなんてもったいないじゃない」
「──な。いやでも、凛はそんなことで死ぬつもりだったのか? たったそれだけの理由で、結末は自分で縄を括ることが最期にふさわしいって!?」
「そうよ」
「────」
ただの一言。
……凛は、決して嘘を言っていない。
ああでも。そんな回答が返ってくるだろうと、聞く前から分かってはいた。
そうだ。分かっていたのだ。
だって彼女は、赤い手紙事件の犯人は、狂人だったのだから。
「──私が死んで、いつか。この物語が世に出た時、そのすべてが実際にあったことだと知られれば、ええ。それはきっと、とても面白いことだと思うの。
……ふふ。ああ楽しみ、一体私にはどんな肩書がつけられてしまうのかしらね」
夢見がちな乙女は、ついにその夢を叶えてしまった。
赤い手紙事件の探偵は犯人に敗北。
けれどその思惑を防ぐことは、実は最初から不可能だったのだ。
記憶の欠落。催眠。
私の能力も大概だが、このどちらも、一度トリックに絡んでしまえば、真面目な推理など馬鹿らしくなる。
「負け惜しみだけど、凛。反則だよそれは。
いくらノンフィクションを謳っても、誰がそんなもの信じるってんだ」
嘲るように、そう口にした。
自分が言える事じゃない以上、能力頼りの探偵は、人知れず惨めな思いが増す。
「──何ですって?」
しかし。
確かに私の言葉に、凛は余裕を崩した。
笑みは消え、双眸にこもった熱は冷めている。
ここで、家入紗希が勝利する唯一の道筋を私は見出した。
「反則? ひどい言いようね。私と貴方は対等よ。公平な勝負をして、それにあなたは負けたの。それに、異能を使う探偵がいるのなら、異能を使う犯人がいてもおかしくはないでしょう」
「……いや。公平平等、おかしいおかしくないの話をしてるんじゃない。
これは許容の話だ。凛の力は、人を自由に動かすことができるだろう。なら、君のやったことは、あらかじめ決まったレールの上を走っていることと変わりがない。
操り人形の私たちは、凛が操作を間違えない限り、行きつく先は同じだ。
──私が言っているのは、これが許容されるのか、と。そういうことだ」
妥当性、すなわち許容できるのか。
これは読み手の話ではなく、凛自身がそれを良しとするのかという問題。
捨てた矜持は拾わずに、このまま結末を迎えてしまっていいのかと、私は問うた。
すると。凛は苦しげに言葉を紡ぎ出した。
「良くは、ないわ。紗希の言う通り、私には許容できないことよ。本当なら、私はこんな力を使わずにいるつもりだったのに。
……でもね。誰も過程など気にしないの。始まりと終わり、少しの悲劇さえあればそれでいい。──そして読み終わって、こう思うの『私がこんな目に合わなくてよかった』」
「なら言葉通り悲劇じゃないか。それでいいというのなら、もうミステリーとはかけ離れてる。
そもそも始まりも終わりも、元から破綻しているんだ。今更異能の事で許容をあきらめる理由は無いだろうに。それにもし、それでも無理だというのなら、それこそ凛が探偵になればよかったんだ」
「……紗希。話、聞いてた? それも結局、能力ありきの話よね。私は使うこと自体を忌避しているの。それでも使わざるを得なかったから、私は、許容できないながらに、渋々終わりを作ろうとしているのよ。
──私だって、探偵になれるのならそうしていたし……」
どうあっても自分には探偵の才能は無かったと、凛は言った。
持った能力はまさしく、犯人にふさわしいものだと。
だから彼女は探偵の夢を代替する新しい夢、探偵を作り上げるきっかけ、『犯人』になったのだった。
ごーんと。間延びした、学校の鐘が鳴った。
時刻は17:30。
話し始めて、かれこれ30分ほど経ったことを示している。
「──もうすぐ、時間よ。……聞きたいことははまだあるかしら?」
タイムリミットが近づいていると、凛は暗にそう言った。
春にしては暗い世界は、色濃く死の現実を表しているよう。
私は。こんな日に死ぬ凛が少し寂しいと感じる。
「……疑問は、ある。どうして私が探偵役で、父じゃなかったのか、とか」
「ああ。紗希を選んだ理由ね。ええいいわ。それは──」
「でもいい、凛の話を聞いて分かった。引き留められはしないってことがね」
一瞬、ほころんだ顔が、不穏な気配に曇る。
操り人形が
『探偵は敗北し、犯人は死んだ』
「……諦めるってことかしら?」
「それは推理してくれ。散々私を悩ませたんだ、このくらいは別にいいだろ。
ただまあ。きっと凛の本の結末は、望んだ通りにはいかないだろうけどね。今度は私は死なないし、死ぬのは一人だけ。その死を探偵として悲しみはしない。
──私は、家入紗希として、その死を悼むことにするよ」
狂気。
家入紗希は、赤崎凛の友人としてその死を悼むだけ。
傍観者はいつものように、何とかしようとして、何にもできない絶望を味わって終わる。
探偵は敗北し、犯人が死ぬというのなら、そうなることを止めはしない。
「……は? な、私が、死ぬのよ。
紗希、探偵なら止めるものでしょう?!」
「他人に強制された自殺なら、止めようと思ったさ。凛は友達だからね、見捨てることはできない。
でもそうじゃない。凛は犯人として死ぬ。そして、犯人はそれを、探偵が止めることを望んでいる。なら、思惑にまんまと乗せられてやるわけないだろう」
「……? 何言って──」
「その段取りがご破産になれば、今度こそ物語は決定的な破綻きたす。探偵が死ぬ人間に無関心だなんて、きっとそういう風には書いていないだろ、凛?」
今の私にとって、死ぬのは凛であって凛じゃない。死ぬのは犯人で、凛。でも凛が死ぬわけではないのだ。
何故なら自殺するのは犯人なのだから。
凛が死んだと知るのは明日の事で、その時初めて、凛が自殺したことを家入紗希は知ることになる。
探偵は犯人に敗北したけれど、家入紗希はまだ負けてない。
『探偵が死を防ごうとする』
この大前提が崩れれば、結末は大きく嘘になる。
探偵が止めようともしないのなら、生まれる死体はただの自殺の産物。
ノンフィクションはフィクションへと早変わりし、すべての苦労は水泡へと帰すのだ。
私とて無茶苦茶なこじつけだと思うが、おそらく筋は通っているし、きっと凛は、
「負けず嫌いすぎるわ、紗希。死ぬのよ、私? 本当に死ぬのよ。家入紗希が、赤崎凛を見捨てたって、そうやって、いつまで残るのよ?!」
「だから、推理してくれ。このまま私が見捨てた場合、手元に残った本に、一体どんな価値があるのかってことをね」
言って、すっと立ち上がる。
パイプ椅子の足元に置かれた荷物を抱え、巴が待つ出口へと向かった。
「……ま、待ちなさい!! 紗希!!」
「じゃあ。いつか、それともまた明日」
言い残し、おいて行かれた凛の視線を背中で感じながら、保健室を出た。
凛は恨み言も何もなく、ただぼう、と視線を送るだけ。有体に言うのなら、落ち込んだ少女そのものの姿がそこにあった。
「あ、サキちゃん。話は終わった?」
「終わった終わった。あれ、先生は?」
「職員室。さっき、谷内のケガの手当てのために呼び出されてたよ」
「そ。まあいいや、帰ろうぜ」
「え、赤崎さんは?」
当然の疑問を口にした巴は、保健室前から動こうとしない。
かれこれ40分近くは待たされたのに、文句ひとつ言うことなく、彼は未だ待とうとしている。
「……今できる事は全部終わった。後は、凛次第だ」
「そう……なの? まあ、サキちゃんがそう言うんなら……。んーーでも……」
「じゃ、私は帰る」
「あ。ちょっと、待ってよ!!」
しばらく考え込んだ巴は、喧しい足音と一緒に後を追ってくる。保健室の少女は、誰も一人近づかせる気配ではなかったらしい。
4月3日の水曜日。
暗がりの廊下に、人の気配はなくなった。
────────────────
気がつくと。
私はある喫茶店に足を運んでいた。
名も無い喫茶店。元は居酒屋を改装したものらしくて、営業時間もそれに倣って遅い時間。
「喫茶店を名乗るのなら、モーニングの概念を忘れるのはどうかと思うけど」
と、風変わりなその店に、一つこぼす私。
「ホント。ウチの親父はどうしようもない。
伝統というか引継ぎというか……。でも、だとしても変えるべきものを変えないのは悪癖だよな、まったく」
「──っえ?」
後ろから、ぴしりとした声のハリを持った少女が一人。彼女は私の言葉に同調しながらそう言った。
「あ、ごめん。邪魔した?」
ちらりと私の足元に目をやる少女、その視線の先に立てかけの小さな黒板。
店の前で立っていた私が、メニューを見ているお客さんとでも思ったらしい。
見ると、同じ朽ノ木高の制服姿。
「いえ、そういうわけではないの。……ちょっと、興味があっただけで。こちらこそ勘違いさせてごめんなさい。
──あの、それより今、」
「そ。ここはかの有名な家入達志の店なのです。
いやあ、熱心なファンってのは年齢問わず、か」
「いえ、じゃなくて。あなたはもしかして、その、娘さん?」
そう聞くと、彼女は「あ、そっち?」と。こほん、と一つ咳払いして、自己紹介をした。
「私は家入紗希。
──まあ、なんだ。ただの探偵の娘さ」
何が恥ずかしいのか、にへへと笑いながら、彼女は自分の名前をそう言った。
彼女の言う通り、破綻していたというのなら最初から。
でも。
知りようのない、彼女が知らない出来事。
彼女が欠落した、なんてことない一日の一幕。
不思議と私はその時、不明瞭な感情に惹かれずにはいられなかった。
それが決定的になったのは、春休み前の事。
能力頼りの探偵という失望を覆す、恋に似た、愛とも違う特別なもの。
異能の存在を認める破綻をきたしてしまった、その始まりの矛盾。
……だって、分かってしまったのだから。
祖父の形見を手に、私の元へとやってきた彼女は。
紗希はきっと。
これはきっと──。
運命というものだったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます