運命の女Ⅳ ②
振り返ってみればそれは。
ぽつりと一つ、ちょっとした怪奇の混じったというだけの、ありきたりで何ということのない日常の一幕だったということだ。
それこそ「モノをなくした」くらいの。
今日もどこかで起きている、誰も知らない不幸なお話。
ずっと続く赤い手紙は、最初から最後まで目的は同じ。けれど肝心の動機に気が付くことができなかった私は、方法ばかりに気を取られていた。
その積み重ねがこの結果。極めつけに方法すら見落とす結果になったわけだ。
「……そうか。犯人はずっと近くにいたって、ね……」
『なんて悲しい。悲劇すらないお話だろう』
誰に届くこともなく、ハナから届かせる意思はなく。
たちまち落下していく呟きは、脆く、密かにこの
力なく羽ばたく鳥はこのように、
──最期は何とあっけなく。ぱたりと動かなくなって終わるのです。
「俺の勝ちだ家入。もう諦めろ」
谷内は言う。
私は終わりだと、謎をすべて解かれた犯人へ降参を求めている。
宵闇。真っ暗な世界は相も変わらず静止画のように音もなく、人気というものを感じさせない。
流れる時は永遠のようにさえ感じられた。
沈黙。沈黙。……沈黙。
──果てのないこの瞬間。
しかし。押し黙ってどうしたものか思案に明け暮れてはみるが、次なるアクションを起こそうとかそういうアレは、今の谷内にはない。
これはどうも、どんな言の葉を紡ぐのかと期待されてるらしいことに、すっかり緊張が薄れるくらいおかしな空気が流れ始めて、私はようやく悟った。
「──────」
「──────ん」
では仕方なし。繰り返してきた自問自答、疑問、すんなり呼吸できるくらい落ち着いた私にとって、ならばこれは新しいスタート。
正しいかともかくとして、少なくとも私はそうだと感じられている。
だから──それでも私は何度も言おう。
「いや違うね。終わりじゃないさ、私はまだ終わってない」
記憶の欠落。バラバラになったピースが元の位置に戻ってゆく。
「……いい加減にしてくれ。黙ったかと思えばそれか。往生際が悪いぞ、家入」
すべてを思い出した私は、この返答に思わずニヤリと口元がにやけた。
確かにそう。往生際が悪い。往生際が悪いからこんな結末になった。もっと早くに終えておけばよかったとか、そんな意味のない過去への罵倒を浴びせることになる。
いつになく冴えた頭は私をはやし立てる。
……どうすればいいのかを、私は分かっている。
「君の推理は見事だ。そして、君の忍耐も見事だ。きっと、私以上にその才能はあるのかもしれない。
けれど谷内、君には圧倒的に経験が足りなかった。詰めが甘かったんだ。君は私以上に動機を無視して、『私がやった』という事実が気になって仕方がなかった。
だからどうしても最後に、私の元に辿り着いてしまう」
「──は?」
拍子抜けだ。
そんなことを言いたげな、自分の推理を正しいと思ってしまった谷内仁。
最も、自然光に任せるこの廊下では、顔は見えはしない。さながら私が私に追い詰められたようにも感じられた。
けれど思う。こればかりは……そう、哀れだと。
殴られたことに関しての恨みつらみ、一発いいのを挙げたことで許しているのでそれはいい。
哀れなのはどこまでいっても、彼がどうしようもなく一般人であるということ。
見たものを信じてしまって、常識が外れないということ。
「そうだ。君は常識のままで物事を見ている。記憶のことだって君は、説明のつけられる一つの技術だって、そう思っているから」
いつか見た、彼の本が頭によぎる。題名を『集団忘却と心理干渉』。
そこまでたどり着いた彼は、しかしそれが超能力という単語に結び付くことは、悲しいかな、無かったと。
「けれどそれでいい。だってその純真さは、犯人が無くしてしまったものだから。
それは脈絡も何も無い、つまらない力を使ってしまった犯人が、それ以前は破ることはなかった一つのルールさ。
トリックは実現可能でなくてはならない、ってね」
「……何を言っているのか分からないな。言い逃れをしたい……いや、俺だったらもっとマトモな話をするぞ。
では、家入。狂人のフリでもしてうやむやにしたい、とでも考えているのか?」
やっぱり往生際が悪いと。そう話す谷内。
「分からないのなら、ああ。──今証明しよう」
たっ、と。
言ってすぐ、私は後ろに向かって駆け出した。
「……は。おい、逃げるな!!」
声は遠い。
突然の行動に反応の遅れた谷内を置いて、私は廊下を走る、走る。
一本道に障害物は無く、ただまっすぐ走れば……。
いずれ、愚者は踏み出した崖から真っ逆さまに。
「っ、待て!! まさか家入お前、死ぬつもりか!?」
世界を仕切る窓は、そう高くない。
勇気を踏み出してみればそこは、素晴らしい明日の一歩。
だってここは3階。
頭から落ちれば、固い地面に首は折れ、十分死に至るだろうから。
そして。
私は飛んだ。
窓を突き破って、宙へ宙へ。
生憎、空は星なんか見えない、風情のない都会の空。
最後の光景がこれだなんて、あんまりにもあんまりだ。
落ち行く体は風を切る。
その一瞬。時間が止まったように、たった少しの間だけれど、私は思った。
死ぬのは怖い。でも、これで良い。これで良いのだと。
私はただ、現実へと戻るだけ。
だって。
悪夢から覚める方法は、夢の中で死ぬことだと、そう相場が決まっている。
……最期。おしまいに、
──ぐちゃり。
それが最後の感覚だった。
────────────
かくして、物語は幕を下ろしました。
探偵は自責の念から、その短い生涯を終えたのです。
つまらない。でもやはり、それは自分の意思だったのですから。
ええ──、きっとそれは納得のいくことだった、と。
そのように覚えておきましょうか。
けれど読者の皆々様、これを何と題するべきでしょうか?
始まりも終わりも、一人の女から。そして協力者の一人もいなかったこの事件は、その名を、いかにすべきでしょう。
……そうですね。私はこう名付けます──。
『探偵は死んだ、犯人は死んだ』
ああ。そうです、ひどい話です。
期待外れもいいところでした。
でも。どうかそれでも、記憶に残りますように。
おわり。
「──────なんて、ね。そんな結末でもお望みだったか……。それとも違う?」
「…………」
「長くて、それでいて短い新学期。それなりに楽しかったことは、正直に言えばそうだ。……こいつは遠回りした原因だからな、そのことにもう嘘はつかない。
だがな。振り回される日々は今日で終わりだ」
全身に感じた強烈な痛みは、気が付けば顔の痛みへ。
目を開いたそこに死の景色は遠く、意識はやはり、このどうしようもない現実に舞い戻る。
起きた事件が、誰にでもできる事でなければ、面白みに欠ける、とでも思ったのだろうか。その理由は、本人に聞いてみなければ分からないことだ。
一つ言えるのは、春休み前に届いた7通の手紙の内、2通が2週間の分で、3週間あった内、2週間で2通だった。
3つに分けているのはどうして? 何故そんなペースなのか。
理由は一つ。
最初の2週間は試行錯誤で、残り1週間は、矜持を捨て、何があってもやり遂げたいという、そんな往生際の悪い子供だったからだ。
私の能力は2週間で気が付かれ、最後の3週間目で私は記憶を欠落された。
わざわざ回りくどい方法とったその理由は、それで片が付く。
「探偵との対決。そんな夢のお話は、だが能力を使えばフェアプレイも何もあったモノじゃない。きっと最初の頃は、そんな力に頼らないで戦おうとしたんだろ。
だけど実際、探偵の方が能力頼りだった。能力に頼って探偵の真似事をしていた。
家入達志の代わりが務まるハズのないまがい物が、『家入』の名をもって事件を解決していたのさ」
眼前のその人は、保健室に私と2人。
黙って笑っている。
沈黙は同意を示し、探偵の働きに心からの喜びを表している。
紛れもない……喜びを。
「……私は。いつもなら、動機に関してはどうだっていい。でもそれは能力で分からないことだからじゃない。分かって、だからそれで? っていう話。
当たり前だけど、事情は人の数だけある。例えそれを汲むかどうかは私の事でも、だとしても私が預かり知ることじゃない。罪には罰を、これも当たり前の話だ。
だから私は聞いたりしないし、知ろうとも思わない。
ただ。今回は……いや、君に関しては私……。──そんな特別、在っちゃいけないんだけど」
いいよ、聞いて。
言っている。聞いてほしい、と言っている。
慈愛に満ちたその瞳はいつもと同じ。最初から変わっていない。私と初めて会ったその日から、何一つ変わってはいない。
私は。その口から聞きたくないのに、でも知りたくてしようがない。
「っ、だから。ワケを聞かせてくれ」
どうして君は。
「赤い手紙事件の真犯人──赤崎凛……」
「……ええ。もちろん」
ふふ、と。変わらない笑みを浮かべている。
最初から何も変わっていない。いつものその笑みを初めて……私はそれが──、
初めて私は、それが邪悪なものだと知った。
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