そして彼女は雨に降られたⅢ ③

「──え。あ、ああ。そう。なら良かった。じゃあ……今大丈夫?」

「だいじょぶだ。ただ、できれば手短に頼む。2人を待たせてるからさ」

「巴君かい? それと、」

「凛だ、次の赤い手紙のターゲットになった子だよ」

「凛!! なるほど君の友達だったか。──ん? ちょっと待って。今何て言った? 赤い手紙だって? つい昨日、その話は終わったって……?」

「残念だけど佐伯、この話は深堀しないぞ。今度話してやるからさ、今は電話の用件を教えてくれ」

 つい口を滑らせてしまい、彼の探偵としての好奇心をくすぐる真似をしてしまったのは申し訳ない。大方の事、だいたいは彼が電話してきた理由というか、つまるところ成果報告だということは予想が付くため、それで折り合いをつけたはずの彼に、今のでさらに解けない謎を上書きしてしまった思う。

「……むう、分かったよ。でも今度会ったら教えてくれよ、絶対。そういうのを中途半端に言われたんじゃ、やっぱり気になるんだから。

 ──じゃあ早速だけど。指紋採取が終わって、手紙についていた指紋が誰のかっていうの、分かったよ」

 予想通り。彼の探偵としての実力は、あのコーヒの事件があったとしても揺らぐことはなかったようだ。

「へえ、仕事早いな。まだ一日しか経っていないぜ?」

「これでも探偵だからね。僕にかかれば、このくらいお手の物だよ」

「さすがだ。それで、誰のだったんだ? あー、……いや、まあ多分、」

「お察しの通り。紗希ちゃんと巴くん、それと凛さんだ。君の事だし、そんなことだろうと思ったろ?」

「まあな。これだけで分かるんだったら、今もこうして苦しんじゃない」

 実質収穫ナシ。赤い手紙の送り主は、指紋が付かないように配慮するくらいの頭があると、今更ながらにそれが分かっただけである。

「…………。あのー、さ。ちょっと提案があるんだけど。今までもらったっていう手紙……全部、見せてもらう事できるかい?」

 なんと諦めの悪い男か。この探偵、知りたい欲に溢れすぎだ。いや、もしかしたら探偵とはそういう生き物なのだろうか? 実のところ知りたい欲というのは、私自身はそうでもないが。

 まあしかし「仕事に対する報酬」と解釈すれば、要求を呑むのが筋というものだろう。(私から頼んだ覚えはないけれど)

「……はあ。仕方ない、今度残りも送っておくよ」

「本当!? 助かる。結果が分かったら紗希ちゃんにも伝えるからね」

「はいはい」

「じゃ、僕もう切──」

「待て」

「え」

 本来なら指紋採取のくだりで、昨日の内に気が付くべきことだったが、何かおかしくないか。

 だってこの佐伯という男、どうして──。

「なんでお前、付着した指紋が誰のか分かるんだよ」

 参照できるデータがそもそもなければ、照合はできない。探偵と言っても単なる一個人でしかないしかも高校生が、指紋などというそんなデータを所有しているわけがないのだ。

 ──して、彼はどのように?

「……」

「おい黙るなよ、佐伯」

「──き」

「き?」

「企業秘密だ!!」

 と、その言葉を最後に電話はぷつりと切れた。

「あ。って、逃げるなよ!!」

 プライバシーなどあってないようなものだと承知している私でも、まさか指紋までも流出しているとは思わなんだ。比較的無神経な私でも、それはさすがに薄気味悪いというか、まさしく恐怖といった所である。

「てか。あの感じだと、少なくともウチの学校の生徒の指紋は売り買いされてんだろうな……」

 情報は金になる。どんな些細なことでも価値を見出す者はこの世のどこかに。現に佐伯は、それを情報筋の一つとして活用していたのだろうし。

 。

 ふと、ぽつりと。

 友人の一人が個人情報を碌でもないとこから手に入れていた、という事実に私は涙した──代わりに。空から一粒、大粒の雫がコンクリートにしみ込んだ。

「傘、持ってきてないんだけど……」

 突如の雨と、それに待たせている二人の事もあったので、ややこしいことは一旦頭の片隅においておき、体を曲がり角から元の道路へと戻した。

 スンと伸びたこの道。ひたすらまっすぐ進んだ先の突き当りを右に曲がり、小高い山さながらに積もった砂利の放置された建設跡地を背に、さらにさらにまっすぐ進み、一本道路を挟んだ先へ。すると住宅街から離れた位置に、私の家兼父が営む喫茶店がある。

「……あれ? 巴と凛、」

 だが。

 待っててくれていると思った2人は、見ればもうさっきの場所にはいなかった。

 さらりさらりと、まるで枝葉のようにしだれ落ちる雨水は……どうだろう。ひどく幻想的で、あるいは私は薄ら感じる、この悪寒に近いその奇妙さを不気味と例えるとするならば──降りしきる雨は、2人を攫っていってしまったのだろうか。


「──っ」

 走った。

 とにかく走るべきだと、直観的にそう感じた。

 つい数秒のうち、地面はすでに水を抱えきれなくなり、落ちる雨粒は叩きつけられ、いよいよ視界も悪くなってきている。

「はあ、は……、っく。違う、ただの予感、ただの予感だ……」

 脳裏に浮かび増殖し、そして離れることのない光景は絶えることがない。急かす心は鞄が邪魔だと、服だけ残してあとは放り投げた。

 道の先、角を曲がった背にある砂利山。それはからりと乾いていた時とは比べるべくもなく、ただ黒く黒く、ドス黒い色を。


「凛、巴──っ!!」

 ……その。眼前で映るモノ。

 …………なんだ。

 受け入れはしないと思いながらもここまで来た私は、それとなく悪いことも悪くない、とは思えないけれどもそれでも前に進むことは少なからずは、少なからず私は一歩でも動くことくらい指の一本動かすことくらいはできたというのに、そんなことすら敵わない私の心に大きな痛みを感じるこれはいったい何なのかを、一体何か分からないし、なにより私は私は分かりたくない。分かってしまうのが怖い。

 ふと、一つ気が付いた。

 ああ。なんだこれいつの日か一事の繰り返しじゃあないか。

 あはははは、繰り返し同じことしか言ってないんなら何も変わってないってことだそれ。何回も繰り返してるのに成長なんか1ミリ微塵もしていない、はは、あはははっはははは…………おかしい、おかしい? 笑ってもいいことなのかな、いや違うんだけどなんか口がおかしいや。おかしいおかしい、口。でもそれも違う、口よりも脳みそがふふふ、脳みそがおかしくなってやがるんだよこれは。

 必死に抑えてもとめどなく流れ落ち、水に溶けてジワリと地面に広がっている。

 流している。

 流れている。

──首から。巴は真っ赤な血を流していた。


「なんでなんでなんでっ!! 巴、ち───血、は、ねえ待ってよ、巴」

 壊れてしまえば楽だったのに、最後まで理性は立ってそこにいるので、まだ私は。いっそ正気なんて捨てられたら楽だというのに、私は。壊れた心で、装い、それでも足と体にまとわりついた狂気を振り払っていた。

 そして。倒れ伏した巴に駆け寄り、まとまりのない言葉で彼に声かけている。

「さ、ち………」

 切られた場所は喉のよう。声もほとんど出ないというのに、必死に巴は動こうとする。

「っ喋んなって!! 救急車を呼ぶからじっとしてろ」

 止まらない血を止めようと、片手で携帯を出しながら彼の首を抑える。

 地面を赤く染め上げる血だまりはもう、絶望的なくらい大きく広がっていた。意識も朦朧、流れる血だって……止まることはない。

「────、ぅ」

 それでも巴は。私はやめろと言ったのに、彼は体を動かした。その意味する所は、分からないだらけだった全ての中で、確かにそうだと、それだけは確信できるほどに明瞭明確に分かった。

 巴は自分を捨てた。捨てて欲しいと示した。

 地面にできた血の道は何よりのその証拠で、そして彼の指さす先には一人の少女が同じように倒れ伏し、……大きな血だまりを作っていた。

「凛っ!!」

 胸に広がる赤。

 凶器は残されておらず、呼びかけてももう、応えてくれない。

 真っ赤な血だまり、──彼女は死んでいた。

 

 間もなく視界が黒くなる。助けられなかった罪悪感と悲しみに浸る時間は与えられず、今日が終わるのだ。

 3度目の今日。

 空を見上げた私は雨に降られて、────ただ、平穏な明日の空を望んだ。

 

 

 


 


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