ぱっといけって、ぷー!(2)

「そ、それって……たいしたことじゃない。あの……」

 マリは口ごもった。

 ここ十日以上、ずっと考えて、実につまらない事を言ったと、何度も反省した。

【ぱっといけって、ぷー】という言葉を知らなくても、ハールはいい先生だと思うし、マリは全然かまわなかったのだ。


 ただ、あの時は、何かを言いたくて……。

 そう、自分に一生懸命になってくれる先生の態度に、逆に傷ついてしまって……。


 ところが、ハールのほうは大真面目に言い出した。

「ずっと調べてやっとわかったよ。ぱっといけって、ぷーがね」

「はあ?」

 マリは、目を丸くした。

 まさか、それをハールが本気で調べるとは思ってもいなかった。

「そんなことしなくたって。ぱーっといけって、ぷーってのは……」


 ――調子よく進んでいたことが、頓挫する事。

 ただ、それだけの意味だ。


 ハールは、本のあるページをマリに見せた。

 マリにはチンプンカンプンだった。

「読めなくても仕方がないよ。これはね、歴史的な表記なんだから。でも、挿絵を見てごらん」

 そこには、闘技場で竜と戦う人の絵があった。

「これは大昔のウーレンでのこと。かつて、リューマ族は、闘技場で竜と戦っていた」


 ウーレンド・ウーレン以前の時代。

 人間との混血で力を失ったリューマ族は、動物以下の扱いを受けていた。混血を嫌うウーレン人は、彼らを捕まえて、恐ろしい出し物の餌食とした。

 つまり、凶暴なバヴァバ赤竜と戦わせること。


「……ひどい……」

 マリは、思わずつぶやいた。

「学び舎にある古代ウーレン語で書かれた原書では、もっと詳しかったよ。ウーレン人は、リューマ族が闘技場に現れると、「ほら、ぱっと行け!」と声をかけ、あっけなく殺されると、「ブー」と文句を言った。つまり、それが【ぱーっと行け! って、ぷー!】の語源」


 ウーレン族は、ぱーっと行け! ぱーっと行け! と、リューマの剣士をけしかけた。

 立派な武器を与えられたリューマ族の人々だが、何の訓練もされず、満足な食事さえ与えられていなかったので、誰もがあっけなく竜の爪に引き裂かれたという。

 気力さえ出ないリューマの剣士たちのほとんどは、戦う事もないままに、竜に殺されたのだ。


 ぱーっといけ! ぷー!

 ぱーっといけ! ぷー!


 血気盛んなウーレン族からは、毎回そのようなヤジが止まらなかった。

 この闘技場の演目は、出し物としてあまり受けなかったが、バヴァバ赤竜の餌付けとして、長く続いたという。

 そして、そのことから当時のウーレン人はリューマ族のことを、【プー族】と呼んでいた。まったく使い物にならないという侮蔑をこめて。

 リューマ族という名が浸透したのは、もっと歴史が下ってからだ。

 一農村で育った若者が「尊きは魔族の血のみならず」と叫び、混血魔族をまとめあげ、蜂起してからのこと。英雄の名前「リューマ」が、そのまま種族の名前となった。



 マリは、言葉にならなかった。

 それが本当だとしたら、リューマ族の仲間たちは、自分たちを馬鹿にした表現を好んで使っていたことになる。

「嘘……」

 ハールは苦笑いした。

「確かに、その時代に生きていたわけではないから。結局は、私の推測にしか過ぎないけれど」

 だが、多くの資料・本が、その結論を導いたのだ。

「言葉っていうのは、不思議なものだよ。元々この言葉を使っていたウーレンでは、リューマの蜂起以降、闘技場の出し物とともに廃れてしまって、忘れ去られた。でも、リューマ族の中には、恨みとともに残ったのだろう。それが時代とともに変化して、ちょっと汚いが仲間内で通じる隠語として今でも使われているのだろうね」

 そのような話を聞かされると、マリは二度と「ぱっといけって、ぷー!」という言葉を使う気になれなかった。

 知らないで使っていた自分が恥ずかしく、情けなくも思った。

「嫌な言葉」

「差別したほうは忘れる。されたほうは忘れない。だから、今でも純血種族と混血種族の問題は難しい」


 マリは、その間に挿まれている子だ。

「あたし……。本当は、どうしてムテの人たちがお母さんをひどい目で見るのか、リューマの子たちがムテ人を嫌うのか、よくわからないんだ。それって、どうにもならないことなのかなぁ?」

 マリはただ、回りに流されていただけだった。

 ムテ人と過ごしていた時は、リューマ族を理由なく馬鹿にした。リューマ族と暮らすようになってからは、ムテ人を嫌だと思うようになった。やはり、理由はなかった。

「どうにかなるのかは、私にもわからないが……ただ、間違いなく言えることがある」

 ハールは、闘技場の挿絵のついた本を、ぱたんと閉じた。

「かつてのリューマ族は、今以上にひどい扱いを受けていた。でも、その地位を向上させたのは、やはりリューマ族の英雄だった。歴史は、変わってゆく。人々が変えてゆくものだってことだ」

 ハールの言葉に、マリは少しだけ希望を感じた。

「これから、何かが変わってゆくのかな?」

「それは、これから歴史を作っていく私たち次第だろうね」


 ――いつか。

 リューマの仲間たちと、ジルたちムテの子たちと……仲良くできる日もくるのかな?


 マリは、自分の願いに驚いた。

 今までは、頑なにリューマ族らしくなろうと思っていたのに。

 そして、ふと思った。


 ――勉強するって……本当はそういうことなのかな?


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