勉強しよう!

勉強しよう!(1)

 翌日も、その翌日も、マリはドキドキしながら学校へ行った。

 ハールは、馬車に乗って行ったが、途中で降りて戻って来たかも知れない。いや、ちょっとした用事で、少し村を出ただけで、戻って来たかも知れない……などと、希望を持って。

 だが、ハールはこなかった。教鞭を振っているのは、翌日もその翌日も、やはりラインヴェールだった。

 マリは、悶々とした。

 授業内容がさっぱりわからないのもあったが、このままハールが帰ってこないのでは? と不安でたまらなかった。

(そんなことないよね?)

 という秘かな願いだけが、マリを学校へと通わせた。


「……というところを、マリ。あなたはどう思いますか?」

 急な質問を受けて、マリはぎくっとした。

 授業を聞いていなかったし、聞いていても、何が何なのか、まったくわからなかった。

「あ、え? 何?」

「もうよろしい。では、ジル」

「はい」

 優等生の少年は、すっと立ち上がり、模範解答を示した。

 ラインヴェールは満足そうにうなずいた。そして、マリに再度質問した。

「マリ。今の答えがわかりましたか?」

「はあ?」

 質問の意味もわからなければ、答えもよくわからない。他の生徒たちから、笑い声が漏れた。

「静かに! マリ、あとで私の所へ。では、授業を続けます」

 ラインヴェールは、淡々と授業を続けた。

 マリは、唇を噛み締めた。

 まるで、答えられないのを知っていて、わざと笑い者にしたようなものだ。ハール先生なら、けしてそのようなことはしないのに……と思って、マリは再び落ち込んだ。


 結局、あたしって邪魔ものじゃん!

 ハール先生の授業は遅れさせるし、ラインヴェール先生の授業は、全くついていけないし。

 学校にいる価値、まったくないじゃん!

 もうやめた! 学校なんかやめた!


 と、マリは思った。

 だから、放課後もそのまま帰ろうかと思った。が、とりあえずラインヴェールのもとへと向かった。

 どうしても聞きたいことがあったのだ。

 学校……といっても、大きなものではない。授業をする教室がふたつ、それと先生の控え室が、たったひとつだ。その控え室は、本棚と先生の机できちきちである。

 が、そのうちの一つ、ハール先生の机が、実にきれいに何も載っていなくて、マリを落ち込ませた。

 反対に、いろいろな物がたっぷり載っていて、書き物をすることも難しいのでは? と思われる机に、ラインヴェールは向かっていた。

「マリ、どうですか? 授業は難しすぎますか?」

 怒られるのかと思ったら、ラインヴェールはにこやかだった。

「全くわからない」

 マリは、素直に答えた。

「……そうでしょうね。あなたは一年以上も学校に来ていませんでしたし」

 そう言いながら、ラインヴェールは机の山にあった書類をバタバタと動かし始めた。

「これからもこないよ。できないってわかったから」

「そう言われるのが、ハール先生は一番嫌だったんでしょうねぇ、ああ、あった!」

 ラインヴェールは、書類の山を取り出した。見覚えのある字が躍っていた。

「ハール先生が、あなたのために用意したものです。授業しつつ、状況を見て、あなたに渡すつもりだったんでしょうね。これでわからなければ、こちらを、わかれば、こっちを渡す……というように」

 マリの前に出された書類には、あのウーレンの王様の物語が書かれていた。それも、かなりの量だった。

 びっちりと書かれたものもあれば、そうでもないものもある。同じような内容を、難しく書いているものと簡略したものがあるらしい。

「さすがに、ジルやミユがいますからね。私には、とてもこの方針に沿って授業をやる気にはなれません。でも、せっかくハール先生が残していってくれましたからね。あなたにあげます」

 マリの手に、ずっしりと重たい書類が渡された。

「あ。あの……」

「勉強するかしないかは、あなたの自由ですよ」

「いえ、あの……」

「何ですか? 質問ですか?」

 マリは、口ごもったが、思い切って聞いてみた。

「あの、ハール先生は……どこへ?」

 ラインヴェールは、小さくため息をついた。

「学び舎ですよ」

 聞きたくないことを聞いてしまった。やはり、ハールは帰ってしまったのだ。

「ハール先生は、あなたが授業についていけなくて、せっかくやる気になったのに、がっかりしてしまったらどうしようと、そればかり考えていましたよ」

「でも! それって!」

 ラインヴェールはうなずいた。

「他の生徒から文句が出た。だから、あなたは学校を飛び出した。ですよね?」

 マリはうなだれた。

「まぁ、仕方のないことです。ハール先生が悪いんですから」

「せ、先生は悪くないよ! あ、あたしが!」


 ――あたしが、足を引っ張っているから。ひどいこと、言っちゃったから。


「あちらを立てればこちらが立たない。あなたに合わせれば、他の子がいやがる。他の子に合わせれば、あなたはもう勉強が嫌になる。いいですか? マリ。先生というのは、それをどうにか上手くまとめて教えるのが仕事なのです。それができなかったハール先生は、先生として失格です」

「そ、そんな! そんなことない! すごくいい先生だよ!」

「ハール先生は、自分が先生として駄目だとわかった。だから、学び舎に戻ったのですよ」

 マリは、頭にかーっと血が上っていくのを感じた。

 まるで、自分が【駄目】の烙印を押されたかのように、悔しい気持ちになった。

「駄目なんかじゃない! ハール先生は立派な先生だよ! そんなひどいこと……」

「ハール先生が、自分自身で言ったのですよ。私だって、あなたを学校に戻す事はできなかった。ハール先生は、それができただけでもすばらしいことと思います。でも、あの人は、ジルたちも満足して、あなたも見捨てない授業をしたかったのです。でも、できなかった。きっと理想が高いのでしょうね」

 頭にあがった血が、急にすーっと下がっていった。

「あたしだ……。やっぱり、あたしがあんなこと、言っちゃったから……」

 ラインヴェールは、ニコニコしながら、マリの肩を数回叩いた。

「いえいえ、これでよかったのですよ。ハール先生は、このような村の先生でいるのがもったいない方です。神官となり、ムテのために尽くす道を選ぶべきの人ですから」

 その言葉は、マリには少しも慰めにならなかった。


「私にとっても、学び舎で籠るよりずっとマリといたほうが、学べることがあると思う」


 ――それって……間違いなのかな?

 ハール先生には悪いことなのかな?



 マリはすごすごと学校をあとにしたが、受け取った書類が重たすぎて、よれよれと歩いた。たまたま、家に帰る乗り合い馬車に拾ってもらえて助かった。

 馬車の中でも、膝に乗せた書類が重たすぎた。それはそのまま、ハールがどれだけマリに勉強してもらいたかったか……の期待度でもあった。

「あたしには……重たすぎるよ」

 マリは迷っていた。

 明日から、また学校へ行くべきなのか? それとも、もう勉強なんかやめてしまい、今まで通り、リューマ族として生きる日々に戻るべきか?

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