学校なんてやめた!(3)

 ――あんた、ぱっといけってぷーも知らないの? それで先生のつもりかい!


 マリは悶々としながら、村への道をたどっていた。

 ハールの家は、石垣の向こうの民家のひとつだ。小高い位置になるので、若干の上り坂である。小走りに歩くと、さすがのマリも息が切れた。

 やっと、祈り所の前の広場までやって来た。リューマ族の乗り合い馬車が、マリとすれ違いに坂を降りていく。御者はカシュに雇われているリューマの男で、マリを見て軽く挨拶をした。マリも、手を挙げて応えたのだが……。

「せ、先生?」

 坂道を下る馬車の中に、ハールの姿を見たのだった。

(たしか……あの馬車って。学び舎のある方へ行く予定だったヤツだ!)

 マリの脳裏に、さきほどの生徒たちのひそひそ話がよぎった。


「ハール先生、もしかしてやめたのかも?」

「昨日、あの後、元気なかったしね」

「学び舎に戻っちゃったのかな?」


 ――た、大変!


 マリは、慌てて馬車を追いかけ、坂道を下った。

「先生! 先生!」

 大声で叫びながら。

「ちょっと! その馬車止まってよ!」

 だが、勢いよく石畳の坂を下っている馬車である。車輪の音が、マリの叫びをかき消した。

 幌の中にいるハールの姿は、うつむいているように見えるが、暗くて表情までは見えない。笑顔なのか、泣き顔なのか? やがて、それも小さくなる。

「先生ーーーー! ハール先生!」

 必死に呼んだ。

 それが、心話として通じたのだろうか?

 もうかなり離れて聞こえるはずもない声だったが、ハールは気がついたようだ。ふと幌から身を乗り出し、マリに向かって手を振った。

「先生! 行かないでよ、先生!」

 だが、意味は取れないのか? ハールも何かを言ったようだが、マリには聞こえなかった。

「さようなら。元気で」

 という口の動きではなかったか?

 馬車は止まることもなく、やがてハールの姿も見えなくなり、マリはぜいぜいと呼吸をして、へたりこんだ。

「ど……どうしよう?」

 ハールは、マリの言葉に傷ついて、椎の村での教師生活を諦めてしまったのだ。

 元々、学び舎への帰還が許されているのだから、何かのきっかけがあれば、神官になるために戻ってもおかしくはない。


 ……何も知らないくせに、何を教えようっていうんだ?


 ハールの独り言が思いだされた。と同時に、マリに言った言葉も。


 ――一緒に学ぼう。


 今までの先生は、マリを「不幸な子供」としか見てくれなかった。一人前に仕事をしたいと願ったマリを、「働かされている気の毒な子供」として見ていた。物心ついた時から、母のお荷物でありたくないと願っていたマリにとって、最悪の評価だったのだ。

 おまけに、仕事を必死にしたところで、リューマ族の子供と比べると半人前の仕事しかできなかったので、マリは常に歯がゆい思いをしていた。

 ハールの言葉を聞いた時、マリは生まれて初めて大人が同じ目線に立ってくれた……と思った。 


 ぱーっといけって、ぷーの意味を知らないで、あたしと一緒なんてふざけんじゃねーよ!


 マリはしばらく立ち上がれなかった。

 どう考えたって、自分が悪い。

 ハールは、勉強もできない落ちこぼれのマリの中の、きらりと輝く宝石を見つけ出してくれたようなもの。なのに、マリのほうは、ハールの宝石のわずかな瑕を見いだして、屑石扱いしたようなものだ。

 ハールは、マリと一緒にいたほうが学べることがあると言ってくれた。だが、学ぶことがないならば、神官候補のハールが、わざわざこの地で教鞭を取る意味はなくなってしまう。

 学び舎に帰れ! と言ったようなものだ。


 ――どうしよう? 先生は、学び舎に帰っちゃったんだ! あ、あたしのせいで!

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