学校へ行こう!(2)


 マリが、顔を赤くさせてため息をついた時、教室にハールが入ってきた。

 二度と消えないのでは? と思われた顔のあざは、すっかり治っている。

(オヤジのパンチ、強力だからなぁ。顔面陥没しなくてよかったよ)

 じとっとハールの顔を見て、マリはほっとした。

 と、同時に、ムテの神官らしい古風なハールの顔立ちに、少し驚いていた。先生として教壇に立つ姿が、また新鮮だった。

(あれ? 先生って、こんな感じだったかな?)

 マリが知っているハールは、常に頼りない情けない男だった。その印象とはまるで違った。

 にこやかな微笑みで、生徒たちを見てはふと本に目を落とす。白墨で黒板に文字を書く。その指の繊細さといったら……。

 顔はかなり違うのだが、雰囲気や立ち回りが最高神官サリサ・メルを思いださせる。神官になるべき血を引いている人なのだ。


「では、今言ったことを書いてみてください」

 ハールの言葉に、マリは慌てた。

 ついつい、見とれてしまって、聞き落としたのだ。

 他の子たちは、なんだ、簡単なことだ……とばかりに、一斉にさらさらと紙に何かを書いている。

(え? え? え? ど、どうしよう?)

 マリが目を白黒させていると、ハールは教壇から降りてきた。一人一人、書いている様子を観察しながらも、マリの元へとやってきた。

 そして、まだ真っ白なマリの紙を見て、足を止めた。

(や、ヤバいよ、どうしよう?)

 そっと机の上に、文字が書かれた紙が置かれた。

「君は、この紙の文章をなぞって」

 マリが紙に目を落とすと、美しい文字が踊っていた。だが、読めない単語がある。ハールの指先が、最初の一文をなぞった。

「今のは、ここ。『昔、ウーレンの国に、シーアラントという皇子様がいました』と……読めたかい?」

「う……うん」

 マリは、嘘をついた。

「昔」は読めたけれど「ウーレン」も「シーアラント」という名前も「皇子様」も読めなかった。よく使う言葉は、なんとなく読めるけれど、滅多に会話にでない言葉は、意味さえもわからない。

 ハールは、マリの嘘を見破ったらしい。

「これはね、ウーレン王国で伝説とされている王様のお話なんだよ。歴史の勉強にもなるし、何よりもとても面白いから」

 マリの耳元でささやいた後、ハールは他の生徒に声をかけた。

「次を読むから、続きを書いてください」

 そして。

「マリは、文字を指でたどって……小さな声で続けてごらん」



 授業が終わると、マリはヘトヘトだった。

 明らかに、マリは他の子たちとの勉強レベルが違いすぎた。

 他の子たちは、ハールが読み上げた物語を、いとも簡単にさらさらと紙に書く。その様子を、ハールは生徒たちの間を歩き回っては、満足そうに微笑んで見ていた。だが、最後にはマリの元へやってきて、必ず足を止めた。

 マリが指差した部分を確認しては「そうだよ」と声をかけたり、「違うよ」と言って、そっと手を取り、訂正したり。

 明らかに、マリの前にいることが多かった。

「ちょっと読んでみてごらん」

 などと、声に出させることもあった。

 怒ることも、駄目だと言うこともなかった。むしろ、他の子たちよりもずっと目をかけてくれたことが、マリにはうれしいくらいだった。


 でも……。

 マリは少し気になった。

 先生がマリにかかりきりになる度に、だんだんと他の生徒たちの視線が、マリに集まってくる。

(あたしができないんだから、仕方がないんだけれど……)

 何となく気になった。

 マリの心配が形になったのは、五日後のことだった。

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