ぱっといけって、ぷー!
学校へ行こう!
学校へ行こう!(1)
乗り合い馬車が、がたん! と止まった。
マリは、ぴょんと飛び降りた。
仕事でお客からお金を受け取るためではない。馬車はこれからが仕事だった。椎の村の中心で人を乗せ、今日は一の村まで行くことになっていた。
「じゃあ、オヤジ! 仕事がんばってな!」
マリは手を振った。
カシュは、軽く親指を立ててみせた。
「おまえこそよ、勉強がんばれよ! 先生に迷惑かけるなやな!」
「うん、もちろんさ!」
予習はばっちりだ。昨夜は必死に勉強した。
それまでも、マリは時々母親のリリィを先生として文字を学んだ。ただ、あまり成果が出てはいなかったが。
カシュは、軽く目配せをして、馬に鞭を当てた。
馬車が見えなくなるまで、マリは手を振った。
そして、父親が完全に見えなくなると、小さくため息をついた。
村はずれの橋の前。石垣沿いに進むと、木造の建物がある。椎の村の学校だ。
こちゃこちゃした石垣の向こうに比べて、何とものどかな場所にあり、生徒たちは時々小川のそばの芝生の上で、授業を受けることもある。
かつては、ここから反対方向に向かい、家に戻って馬と戯れたマリだったが、今日はまっすぐ学校に向かった。
久しぶりの学校に、緊張しないこともないが……。
「先生と約束したんだもん。大丈夫だよ」
マリは、声に出して言い聞かせた。
ハール・ロウが、学び舎に戻らず、教師として残ることになったのは、ちょっとした喜ばしい出来事として、椎の村で語られていた。
学び舎出身で将来は神官になるかも知れない優秀な先生が、椎の村の子供たちを教える。親であれば感激し、子供であれば喜び、憧れることだろう。
「学び舎で、私は充分学んだ。でも、ここにはまだ私が学んでいない事がたくさんある」
ハールは、マリにそう言った。
「たとえばマリ、君の作文の中に……」
今まで、マリは作文を褒められたことがなかった。友人でもある最高神官が時々マリに作文を書かせたりもしたが、いつも酷い赤ペン修正ばかりだった。
「勉強して世界を知れば、リューマ族とムテ人の間だって変えられる方法が見つかるかもしれない。マリが大人になった時、両種族の橋渡しになれるかもしれない。私にとっても、学び舎で籠るよりずっとマリといたほうが、学べることがあると思う」
頑なに、ムテを捨てリューマ族にこだわっていたマリの中に、何か別のものが芽生えた瞬間だった。
ハールの瞳は、最高神官にも似て……いや、もしかしたら、顔も知らない父に似ているのかも知れない――マリの心に小さな石を投げて、波紋を広げた。ちょっと痛々しい青あざをつけた顔に微笑みをたたえて。
「マリ、一緒に学ぼう」
マリは、学校へ行くことを決めた。
教室に入ると、銀色の目が一斉にマリを見た。
思った通り、リューマ族に育てられているかわいそうな子は、興味本位で見られるのだ。そして、誰もが侮蔑的だった。
(ふん、負けるものか!)
マリは、つんと上を向き、堂々と歩いて席についた。
自由にすわっていい席は、もう後ろしか空いていなかった。ハールの授業への期待が、みんなを前列へと押し出しているのだ。
ひそひそと声が聞こえる。
「……あの子、全然学校に来ていなかったのに。勉強できるのかな?」
「無理じゃない? だって、リューマの子でしょ?」
リューマの子、リューマ族に世話になっている恥知らずな子――その言葉が、マリを学校から遠ざけたのだ。
(ふん、もう負けないもんね!)
だって。
先生は、あたしに一緒に学ぼうって言ってくれたんだもん!
マリのこと、ちゃんと一人前にあつかってくれたんだよ? 同等にあつかてくれたんだよ?
それって、すごく誇らしいことじゃない?
マリは、ぐっと胸を張ってみせた。
ハールと言葉をかわした夜、マリは自分の将来をいろいろ思い浮かべた。
それまでは、リューマ族の中で生きていく自分しか想像がつかなかった。義父のような人と結婚し、母のような人生を歩むのだ……としか。
だが、今は違った。ムテとして学問を身につけたマリは、リューマの少年たちに文字を教える。そして、リューマ族が頭の悪い種族だという思い込みを払拭するのだ。ムテと同じ教育を受ければ、リューマ族の少年たちだって、いろいろな道が開ける。腕一本、力のみでこの世を渡らなくて済む。リューマ族専門の学校ができて……いや、そのうちにムテの学校に入る権利さえ得られるようになるかも?
マリの夢は広がった。
その夢のためにも、今はちゃんと勉強しなければならない。
それに。
――マリといたほうが……いい。
どきん! と心臓がなった。
ハールの言葉に特別な意味はないのかもしれない。でも、どうもマリは調子が狂うのだ。
初めて会った時だって、マリの顔をぼーっと見つめるし、突然、ぎゅっと手を握るし。ずいぶんとマリをかまうし、「嫌わないでほしい」なんて懇願するし。
その度に、マリはとても焦るのだ。
(べ、別に何ともないことは知っているけれどさ、こう……先生って、まるでリューマ族でいう女ったらしみたいな真似をするんだよな、ちょっと)
リューマ族の男は、誰もがあわよくば……と思っている。だから、女性にはおべっかを使ったり、ちやほやしたりして、その気にさせることがある。
マリは、よく大人たちがそういった駆け引きをしているのを見てきた。だが、それから先はよく知らない。
(せ、先生の悪い癖だよね。別に何とも思わないんだけどさ)
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