女難の相(1)
「ハール、調子はどう?」
明るい声が響き、ハールは慌ててペンを置いた。
アリアは、ニコニコしながら、部屋に入ってくると、窓を開け放った。冷たい新鮮な空気に、ハールはほっとした。
癒しの巫女としての能力は不十分でも、アリアの明るさと気遣いには癒される。
死ぬかと思えるほどの痛みの中、すぐにアリアを思い浮かべたのも、精神的に慰めてほしかったからかも知れない。
「調子はいいです。どうもすみません」
「いいの、いいの。ここは霊山に比較的近いでしょ? あまり病人も出なくてね、退屈していたの。あら、それは?」
アリアは、ハールの手の中にある紙に小首をかしげた。
つい、恥ずかしくなってしまう。真っ赤になりながら、ハールは答えた。
「……日記です。幼い日から書いているので、書かないと気が落ち着かなくて」
「あら、さすが。何を書いたの?」
「日記ですから、秘密ですよ」
と言いつつ、ハールはぽそりぽそりと付けたした。
「たいしたことではないんです。何があったと書くよりも、思ったことをツラツラと……。あとから読み返すと恥ずかしくなるようなことばかりで、書いたら書きっぱなし。滅多に読み返さないんです」
「書く事で、気分が落ち着くなら、それはそれで充分だわ」
アリアは、じっとハールを見つめた。
その視線に、ハールの症状を見極めようとする癒しの巫女たる存在を感じた。まるで、学び舎の先生のようだ。
学び舎の日々は、退屈で勉強のみ。厳しい規則に縛られていて、自由がない。なのに、なぜか懐かしい。あの不自由さが、守られているようで安心できた。
「今はきっと、アリアのおかげで落ち着くんです。……このまま、ここに置いてもらいたい気になってしまいました」
ハールが正直に告白すると、アリアはきょとんとした。
癒しの巫女の目が驚きで丸くなり、次の瞬間に茶目っ気たっぷりのいたずらっ子の目になった。
「あら、ハール。そんなことを気軽に女性に言っては駄目。若い女なら、ひとつ心を奪われてしまうわ」
今度はハールが目を丸くする番だった。
「ひとつ・こころ?」
アリアは目を細めた。
「そうよ。ムテ人は、大事な人とひとつ心を分け合い、共に生きていくものだから。あなたみたいな純粋そうな人が、そんなすがるような目でじっと女性を見てはだめ。多くの女性の心を奪えば、真実の恋は苦しい物になってしまうから」
ムテは、本気の恋愛しかない種族である。
一生を添い遂げる恋をするが、片思いはその分深い傷となる。恋には慎重さが必要だ。
どうやらハールの純粋培養なところや、見てくれや、放っておけない頼りなさげなところが、どうも女性には魅力に思うらしい。
アリアは、みかけはハールと変わらない年齢に見えるが、ずっと年上だ。ハールが息子であってもおかしくはない歳である。
とはいえ、ムテではけして恋愛対象にならない存在ではない。
ということは……。
「もしかして……私に惹かれるんですか?」
ハールは大真面目に聞いた。
とたんに、アリアは吹き出した。
「ハール、あなたって全然わかっていない!」
涙目になって大笑いするアリアを、ハールは呆然と見つめた。
――な、なんでこんなに笑われるのだろう?
お腹を抱えて一通り笑うと、アリアは涙を拭いた。
「ひとつ心を奪われたら困るから、あなたをここには置いてあげない。女難の相を感じるんですもの。でも、何となくまた転がり込んでくる予感がするわ。災難にあいそうな気もするし……」
などと言いながら、アリアは窓辺に向かった。
そして……。
「ねえ、あなた。そんなところで何をしているの? 何か用事があるのなら……」
急に窓の向こうを覗き込み、誰かに声をかけた。
「よ、用事なんかないっ!」
小さなささやくような声。だが、ハールにははっきりと聞こえた。
「マリ?」
思わずベッドから起き上がった。その瞬間、胸に激痛が走り、再びうずくまった。
窓辺から、アリアが声をかけた。
「ハール? 大丈夫?」
「……だ、大丈夫」
やっとの思いで声をふり絞り、窓に目をやると。
一度は走り去ろうとしたマリが、窓のふちに両手をかけ、顔を出していた。窓の高さを考えると、ぶら下がっているとしか思えない。
マリの心配そうな顔を見て、ハールは無理して微笑んでみせた。
ちょっと驚いたような顔――一瞬。
ずりっとマリの姿が消え、次の瞬間、どさっと大きな音がした。
「きゃあ! 大丈夫?」
アリアが窓から身を乗り出し、マリに声をかけた。
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