椎の村の人々(2)


 椎の村は、丘陵地に石で土台が築かれた古い村である。

 古の時代は、すべてが石で作られていたのかも知れない。だが、今は、その石も緑で覆われ、木の根が石と石をがっちりと繋いでいた。だから、石の村というよりも、緑の村という印象が強い。

 村自体はこじんまりした村だ。石でつくられた祈り所、その前の広場を中心にお店が建ち並び、さらに外側に木製の民家が立ち並んでいた。村中歩き回るにも、さほど時間はかからない。

 だが、村はずれの地域には酪農家や農家が点在していて、週に一度、作物を売るための市も立つ。また、霊山と辺境の村々を結ぶ要であるから、小さいながらも活気がある。

 しかも、この村には力のある神官がいる。これだけ霊山に近い場所でありながら……いや、なぜか力のある神官ほど、霊山に近い村に配置されるのだ。

 神官ラン・ロサ。

 なんと前最高神官マサ・メルの甥という、今となっては非常に貴重な古い時代の生き残りである。

 ムテで齢三百歳を越えている者は、稀ではあるがたまにいる。だが、霊山に籠ることなしに、神官として祈りを捧げつつ、というのは、彼くらいであろう。

 マサ・メルが旅立った時、最高神官のあとを次げるのは、今の最高神官サリサ・メルだけだった。だが、幾人かの神官たちは、マサ・メルが選んだとはいえ、まだ幼くて力が未知数と言われたサリサ・メルよりも、ラン・ロサを推薦したという。

 学び舎にいたハールも、学生ながらにそう思った。たとえ、最高神官として力が足りないとしても、子供よりは救いがある。サリサ・メルが成長するまでの間の代行でも、彼を最高神官としたほうがいいのでは? と。

 だが、実際にラン・ロサに会って、なぜ彼が最高神官たるべき資質に欠けていたのか、よくわかった。


 祈り所に増築された石の部屋に、ラン・ロサはひっそりと住んでいるという。

 ラインヴェールに案内されなければ、おそらくそこが神官兼、村長の住まいだとは気がつかなかったに違いない。それくらい、わかりにくい場所だった。

 祈り所の奥の扉の前。ラインヴェールが呼び鈴をならすと、石の壁に響き渡り、何とも不安な音となった。

 出てきたのは、家の中だというのに真っ黒なマントを着込んだ老婆だった。

「バヌ。ラン・ロサ様にお客だ」

「はあ?」

 バヌは、しがれた声で聞き返した。

「お・きゃ・く・だ!」

 ラインヴェールは、バヌの耳元に手を当てて、ハールが耳を塞ぎたくなるような大きな声で繰り返した。

「ああ、お客? ああ、例の先生じゃの?」

 バヌは、しわくちゃな顔をますますしわくちゃにして、にっこり微笑んだ。

 老婆――ムテではありえない姿。彼女は【老いたる人】だった。


 老いたる人とは、ムテとは思えない早さで成長し、ゆっくりと老化し、まるで人間か短命魔族のように、死んでゆく特殊な人たちだ。

 陽にあたると老化が早く進むと言われているので、その傾向が現れると、皆、祈り所の闇に籠って暮らす。だから、祈り所には、時々老いたる人たちが管理人として住みついているのだ。

 老いを知らないムテ人にとって、【老いたる人】の姿は、死の瞬間を想像させる。だから、誰もが接したがらない。

 学び舎での勉強で、その存在を知ってはいたが、実際に見るとハールはぞっとした。しかも、胃の調子が悪いので、むかむかしてきた。

 一瞬、嫌な想像をした。


 祈り所に籠っているということは、まさか? いや、あり得ない。

 神官は、一般人にはない長い寿命を持っている。その寿命は、祈りの力となって放出されてゆく。

 まさに陽のごとく……命の輝きにて光り輝くのが、神官なのだ。

 寿命がつきかけている老いたる人では、神官とはなり得ない。


 だが、バヌの案内で進んだ部屋の奥には、やはり黒いマントとヴェールで顔を隠した男がいた。

 ハールの姿を見て立ち上がり、そして、顔を覆っていたヴェールをとった。

 灰色の顔に、深い皺が刻まれていた。

「椎の村の村長で、神官のラン・ロサ様です」

 ラインヴェールの声が、石の壁に響いた。


 ――老いたる人?


「ややもすると、そうとられがちですが……そうではありません」

 ゆっくりと。まるで水の中で聞いているような、籠った響きの声。

 ハールは、何も言わなかった。だが、あっという間に顔が熱くなった。心の防御がはずれ、心話として思ったことが通じてしまったのだ。

 相手は、ハールがなりそびれた神官。力のあるムテ人である。もっと、用心して接するべきだった。

 ラン・ロサは、皺をますます深めて微笑んだ。落窪んだ目は、銀を通り越して白く見えた。

「私は、この状態で五十年以上も留まっているのです。人々が恐れるので顔を隠していますが、陽に当たったからと言って、老化することもありません」

 だが、その特殊体質が、彼を最高神官としなかったのは、間違いない。

「どうも申し訳ありませんでした。そうとは知らず、失礼な態度を……」

「もう慣れていますから、気にされることはありません。ハール・ロウ」

 再び顔から火が出そうになった。


 その名は、もう捨てていた。呼ばれたくはなかった。

 学び舎で【神官の子供】と認められたものだけが、父の名を引き継ぐことができる。だから、神落としに失敗したと判断された者――たとえ神官が実の父親だとしても、能力次第では認められないのだ――には、その名がない。

 名を引き継がなかったラインヴェールの前では、特にその名を呼んで欲しくはなかった。彼が、微妙に緊迫したのを、ハールは感じ取った。


 嫌だと強く思ったことを、ラン・ロサは気がついたはず。だが、彼は、まったくその事には触れず、話し続けた。

「ハール・ロウ。あなたがどのような道を選んだとしても、それはかまわぬことです。ただし、神官の子供として命を授かったことは、けして忘れてはいけません。そして、そのために受けた恩恵も、忘れてはならないことです」

「神官の子供としての価値がない者です。受けた恩恵も無駄でした」

 苦々しく、ハールはつぶやいた。

 ラン・ロサは、面白そうにハールの様子をじっと見た後、再びヴェールで顔を隠した。

「椎の村の代表として、あなたを歓迎します。今後とも、よろしくお願いします」



 ラン・ロサと別れた後、ラインヴェールはおとなしかった。

 そして、朝には確かに仕立て屋に案内すると言ったはずなのに、用事があると言って、帰ってしまった。気まずい空気である。

 落ちこぼれという同類意識は、神官ラン・ロサの一言で、すっ飛んでしまったのだ。

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