リューマ族の一家(4)

 食事を運んできたのは、マリの母親――ムテ人であった。名をリリィという。

 ムテの一般人であり、特にこれといって特別な能力がありそうではないが、料理の腕は一流だった。

 空腹だったハールは、大喰らいのカシュでさえも目を見張るほど、次から次へとお皿を空けた。

 というのも、学び舎を出てからというもの、緊張であまりまともな食事をしていなかった。

 それに、学び舎の食事というものは、ムテで二番目に美味しくないのだ。リリィの料理の美味しさに夢中になっても仕方がない。ちなみに……ムテで一番食事がまずいのは、霊山である。

「へー、ムテ人は皆、小食だと思っていたがな。その食いっぷり、気に入ったぜ!」

 肉に食らいつきながら、カシュががはは……と笑った。

 マリも父親同様に肉にかじりついたが、どうも噛み切れないで、もごもごしている。

「あれはサリサが特別小食で……」

「マリ!」

 なぜか、母親のリリィがたしなめた。

 マリは、肉を諦めて、てへへへ……と笑った。


 ――サリサ。


 マリのいうサリサとは、学友だろうか?

 恐れ多いことだが、最高神官の御名を子につける親も多い。

 ハールは、神官になったならばお目通りも叶っただろう霊山の尊き御方を思い浮かべた。

 ――最高神官・サリサ・メル。

 一般人になったなら、まずは会うことはないムテの珠玉だ。

 ムテの守りのため、長い寿命を霊山に籠って温存しながら、祈りで削っていく。神官は、地方にあって最高神官の祈りを呼び寄せ、媒体となる存在だ。

 ムテ人は一夫一婦制であり、しかも、ひとつ心を分け合うという強い愛情を持つがゆえに、浮気はない。だが、ムテの古の力を呼び戻すため、神官だけには多くの女性と交わることが許される【巫女制度】があった。

 ハールのような【神官の子供】は、愛の結果生まれたのではない。血を守るための結びで生まれた。つまり、神官になるために生まれたのだ。

 それが、古の血を失い、かつての能力を失いつつある、銀のムテ人たちの「滅びの道」へのかすかな抵抗なのだ。


 ――それなのに。


 私は……もう。

 生まれた意味もないくらい、価値がない。


「ハールさん? お口にあわなかったかしら?」

 リリィが心配そうに聞いてきた。

 気がつくと、デザートを一口食べて手を置いていた。

 神官という道を失ったことがのしかかってきて、気が重たくなってしまった。その喪失感から逃げるために、一般人として生きようと思ったのに。

 未練はなかなか消えないようだ。

「いいえ、その逆で。ついつい美味しくて、食べ過ぎてしまい……」

 それも事実だった。

「サリサだったら、甘いものは残さないのにね……っつ!」

 自分の分は食べてしまい、ハールのデザートに手を伸ばしたマリだったが、リリィがそれを許さなかった。ぴしっと手を叩いたので、てへへ……と笑いながら、マリは手を引っ込めた。


 食後のお茶。

 ハールは、カップの中の液体を揺らしてみた。不思議だった。

 お茶は、やはり世相学の本で知っていた。

 ここ十年ほどで、魔の島全体に広がった飲み物だ。元々は人間族の飲み物で、魔族に伝えたのは、エーデムの放浪王子で歌うたいのメルロイだと言われている。

 だが、飲んだことはなかった。

 人間族は恐ろしい種族と伝わっているので、ムテ人はあまり好まないのだ。

 薬湯よりも味がないけれど、香りがいい。くんくんしたり、なめてみたり……。

 その様子がおかしかったのか、マリがじっとハールを観察していた。それに気がつき、ハールは赤面した。

「リューマ族とは一緒に食事をしたくねーってヤツもいるのに。お客さんは変わっているなぁ?」

 爪楊枝で、しーしー歯を掃除しながら、カシュが言った。

 確かに、ハールはそのような品のない姿を見るのが嫌だった。それに、リューマ族自体、見るだけで不快だった。が、なぜか、カシュと話をしているうちにそのことを忘れたのだ。

 ――なぜだろう? 

 だが、それよりも何よりも、ハールは普通のムテ人になるのだ。変わり者と言われたくない。

「か、変わってなんかいませんよ! 確かにリューマ族はとても嫌だったはずなんですが……」

 言ってしまって、はっとした。

 カシュの手がとまり、顔が厳しくなっていたからだ。

「……ふーん。あんた、歯に衣着せぬ物言いだなぁ?」

 ハールは慌てた。

 ついつい、気が緩んで本当のことを言ってしまった。

「す、すみません! いろいろ慣れていなくて……つい。今後は、歯に衣着せます!」

 カシュの目が点になる。

 マリは、瞬きが忙しくなった。

「おほほほほほ……!」

 いきなり笑い出したのは、リリィだった。

 涙目になるほどの高笑い。それを見て、カシュもがはは……と笑い出した。マリもぎゃはは! と笑い出し、辺りは大笑いの大合唱になった。

「す、すいません。だ……だって、ハールさんって。ハールさんって!」

 リリィの言葉は、説明にならない。

 ハールは、どうして笑われているのか、皆目わからず、動揺した。

 仕方がないので、デザートの残りを口に放りこんだ。満腹の胃袋が、なかなか受け付けなかった。

 あとで、この無理矢理の一口を後悔することになろうとは。


「いやいや、笑ってすまなかった! ますます気に入った!」

 カシュが笑いながらも謝った。

「じゃあ、約束通り送っていくぜ! あ、そうだ。おつり……」

 そう言うと、カシュは袋からお金をじゃらじゃらと出した。

 机の上に、色とりどりの硬貨が並んだ。

「ひーふーみーよーっと。こんなものかな?」

 ずいぶんと細かい。銀貨が七枚、銅貨が……多い。数えると、二十三枚ある。これでは、乗り合い馬車の料金しかとっていない。

「あの食事代は?」

「いらんよ、お客さん、楽しい人だったから、ごちそうさせてくれ。それに、特別に作ったわけではねぇ。俺らのお昼のついでだったしな」

「そんな……」

 いいのだろうか? 他の客はおつりさえとらなかったのに。

「それよりも、あんた、金貨はでか過ぎてあまり使えねー。細かくしてもってけ、ほれ!」

 どうやら、カシュは元々そのつもりだったようだ。

 となると。

 四の村での夕食は、ずいぶんとまずかったのに、高くついたものだ。ハールは、あまりに世間知らずの自分にうんざりしてしまった。

「でも、そんなにしてもらっては……」

 だが、リリィがニコニコしながら言ってくれた。

「ハールさんって、世間擦れしていないですよね。そういう人、カシュは放っておけないのよ」

 マリが、リリィとハールの間に割って入った。

「マリも放っておけないよ。だから、マリ、送っていってやるよ」

「ところで、どこまで行くんですか?」

「学校までです。この春から、椎の村の教師として、雇ってもらう約束で……」

 苦笑してしまう。

 学問には自信があるが、世の中をあまりにも知らなすぎる先生だなんて。

「まあ、それは素敵! 学校が楽しくなりそうね。ねえ、マリ?」

 リリィがうれしそうな声をあげ、マリに話を振った。だが……。

 マリは、立ち上がってしまい。

「送っていくの、やーめーた!」

 とだけ言い残し、部屋を出ていってしまった。

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