ハールの生きる道(3)
それから数日後。
ハールは、乗り合い馬車の中にいた。
春が近いとはいえ、まだ雪の残る季節。冬の様相だ。
馬車を引く馬の鼻息が、白く凍って見える。
外を覗いても冬枯れた荒れ地が広がるだけで、まるでムテではないところのようだ。
凍った轍に車輪がはまり、がたん! と馬車が揺れるたびに、ハールは何が起こったのか? と、顔を上げる有様だった。
たまたま乗り合った子連れの女性に笑われて、赤面した。
それもそのはず。ハールは旅なれていない。
五歳で学び舎に入った。
学び舎の敷地から外にでることはない。せいぜい、祈りの儀式の準備に、霊山にかり出されるくらいだった。
聖職者たる数多くの知識を身につけていても、一般人の知識は皆無。
それを散々思い知らされるのに、この数日は充分だった。
馬車に乗り込んだ時は、ほっとした。
ムテはウーレンの保護下にある国で、霊山の祈りの結界によって守られ、多種族の侵入を許さない。だから、この国に住んでいる人々は、たいていムテ人だった。
しかし、ムテ人は馬を扱えない。馬を扱うのは、リューマ族という混血の汚れた血を持つ種族なのだ。乗合馬車のある村には、必ずリューマ族が住んでいる。
馬車に乗るには、このリューマ族と言葉を交わさなければならない。
ムテの中でも純血に近い神官の子供であるハールには、澱んだ気を持つリューマ族と顔を合わせるのも苦痛だった。
学び舎を出た初日から、すでにもう学舎に戻りたくなってしまった。
翌日は、熱を出して、宿で三日を無駄にした。
馬を御しているのはリューマ族ではあるが、顔を合わせなくてもいいというだけで、少し気分が良くなった。
だが、食べ物を買い込むべきだった。すぐに腹が空いてきた。
学び舎では、決まった時間に食事が出るので、自分で食べ物を用意する、という考えに至らなかったのである。
向かいの家族連れが、美味しそうにパンを食べているのを、見てはいけないと思いつつ、目で追ってしまう。
朝、宿で食事をとったきり。お昼が過ぎても目的地はまだまだ遠い。何度か馬の休憩で止まったが、食べ物を買えるような場所はなかった。
学び舎で優等生として通ってきたハールには、自分が経験不足とか知識不足とか、色々考えが及んでいないとか、想像がつかなかった。
学び舎で学んだことは、神官になるためのものが全てで、一般人として必要な知識は皆無だったのだ。
先が思いやられる……。
ただ、細々と生きていければ……と思ったのだが、細々生きるのも難しそうだ。
ハールは手紙を取り出した。
差出人はラインヴェール。椎の村の学校長だ。
学び舎が世話をしてくれた職――それは、教師である。
先任の教師が寿命を迎え、旅立ってしまい、欠員が出てしまったとのこと。
五の村出身のハールには、比較的霊山に近い村とはいえ、椎の村は見知らぬ土地だった。
二つ返事で引き受けた。
もとより仕事があれば、なんでもいいと思っていた。
ハールは、学び舎で受け取れるすべての資格を放棄した。薬師や医師であればかなり裕福な生活ができるし、多くの人からの絶大な尊敬も得られるのであるが、神官以外に意味を見いだせない。
教師もそれなりに尊敬される仕事ではあるが、どちらかというと、子守りの延長と思われている。
早々に落ちこぼれた神官の子供たちが、やむなくつく仕事で薄給である。
資格がなくても、多少の知識があればなれるし、ムテは子供が少ないが、義務教育なので村毎に学校があるから、なりやすいのだ。
人の期待や尊敬など、もう欲しくはない。
凡人には、この上なく似合う仕事であろう……と、ハールは自分で自分をあざ笑った。
これからは、平凡な普通のムテ人として……。
気軽な仕事をして……。
だが、普通ならば、椎の村のラインヴェールのところには、とっくに着いているはずだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます