ハールの生きる道(2)

 約二十年間、住み慣れた部屋を片付ける。

 とはいえ、大した私物はない。学び舎は、真に神官になるための勉強と修行に明け暮れるだけの場所で、他に何もすることがなかったからだ。

 あるとしたら、厳しい日々の中、自分を奮い立たせるためにずっと書き続けていた日記くらいだ。

 パラリ……と開けると、希望に満ちた言葉ばかりが目に留まる。そう、優等生であるハールにとって、それは本心、まさか、自分が試験に三度も落ちるとは思っていなかった。

 ハールの胸に、いろいろな想いが交錯した。

 

 私は何のために生きてきたのだろう?

 五歳で両親と別れ――その両親でさえ、私を子供扱いしなかった――ただ、神官になるためだけに、学び舎で過ごした日々は、いったい。

 結果がこれでは、何もしていなかったのと同じだ。


 素質がない。

 それだけだ。


 他の者よりも、ハールは成熟するのが早かった。だから、他の者よりも先んじることができた。

 だが、十分に大人になり、成長によっての能力の上乗せは、今後まったく期待出来ない。その証拠に、昨年よりも言の葉の矢の確率が落ちている。

 努力で多少は補えるだろう。だが、ハールはもうこれ以上できないだけの努力はしてきたのだ。だからこそ、もう自分の限界を感じた。

 学び舎に残ったところで、来年はもっと酷い結果になるだろう。

 誰が気がつかなくても、ハール自身がよくわかっていた。

 期待されるだけ期待されて、どんどん落ちこぼれてゆく自分を見たくはない。

 神官代理として、故郷に帰る? まさか。

 故郷の五の村には、正規の神官がいる。ヒューム・ロウ。おそらくハールの本当の父だ。巫女制度において、親子と名乗り合うことはないのだが。

 五歳まで神官の子供として村にいた。特別扱いされて育った。

 が「やはりそれは間違いだった、一般人の子供だったようだ……」と、人々に噂されるのか?

 本当の父に認められず、赤子だった自分にうやうやしく接してきた母の夫を「父」と呼ぶのか?

 想像しただけでぞっとする。


 ここ数年、神官の権利をとる試験を受け続け、自分を過信していたことに気がついた。

 長年、一目置かれていたから、うぬぼれてしまっても仕方がないのかも知れないが、今さら能無しと思われたくはない。

 だから、この一年を最後と思い、励んできた。

 血の滲むような努力をして――。

 もしも駄目だったら……。


 ――すべては終わった。


 日記を閉じる。そして、表紙に目を落とす。

 そこには【ハール・ロウ】の名があった。

 もしも、彼が神官になれたとしたら、その下に新たな名前が増えていくはずだった。

 秘められた名前で、誰にも語られない名が十年ごとに与えられるはずだった。

 だが、ハールはペンを持ち、【ロウ】の名を塗りつぶした。耐えきれなかったのだ。

 ロウ――つまり、神官である父から引き継いだ名だ。

 一般人として、細々と余生を送るハールにとって、全く不要のものだった。

 

 ほぼ部屋の整理がついた頃。

 ハールは、部屋の暖炉に次から次へと、日記帳をくべていった。

 この時期にこの火力は少し暑すぎはしたが、かまいはしない。自分自身を消し去るように、神官になることを夢見ていた日々を捨て去るように、全てを灰にしていった。

 何もかも忘れてしまえたら……最後の日記帳をくべようとして、その日記帳がまだ白紙であることに気がついた。次に使おうと用意していたものだった。

 ハールは手を止め、白いページに目を落とした。そして、しばらくぼうっと眺め続けた後、荷物の方によりわけた。


 今後は、誰も私を知らないところで、ごく普通のムテ人として過ごしたい。

 凡庸なら凡庸らしく、平凡な生活をし、心穏やかに過ごしたい。

 私の望みは、それだけだ。


 気が向いたら、そんな平凡な日常を、また日記に綴るかも知れない。

 気が向いたら……だが。

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