銀のムテ人〜ハールの日記

わたなべ りえ

銀の少女

ハールの生きる道

ハールの生きる道(1)

 何のために生まれてきたというのか?

 何のために今まで生きてきたのか?


 ハールは、小さな紙切れを握りしめ、天を仰いでため息をついた。

 学び舎の一室。学長室の閉ざされた空間――。

 見上げた先には木を組んだ天井があるはずだが、ハールに見えたのは、ただ真っ白の世界。そして、先のない未来だった。

「ハール・ロウ。私も非常に残念に思います。ここしばらく、神官の権利を得られる者は出ておりませんでした。あなたこそは……と思っていましたが」

 学び舎に入って二十年。

 ここ数年、ハールは主席の座を誰にも譲っていない。そのハールでさえも、ムテの神官とはなれないのだ。

「……わかっています。私には、言の葉を飛ばす力が足りません。百発百中でないと意味がないのに、今回も成功したのは、十回中八回まででした。ムテの霊山との繋役としては、不十分です」


 ムテ人は、魔族の中で最も長命を保つ種族。

 祈りの力を持ち、心話に優れ、様々な才能を持つ。さらに、銀の瞳と銀の髪を持つ美貌の種族であることから【銀のムテ人】と呼ばれている。

 だが、その能力と血は衰退し、今は滅びの道を歩んでいる。

 ムテの霊山に籠る最高神官の祈りと、地方に散らばる神官たちの受けの力がなければ、とっくに滅んでいたことだろう。

 ハールは、神官の血を残すためにある【巫女制度】で、この世に生を受けた【神官の子供】であった。

 そして、この学び舎で神官になるべく修行と勉学に励んでいたのだが……。

 三年連続で、神官の試験に落ちてしまったのだ。


 ハールが学び舎に入った頃は、まだまだ優秀な人材がいた。

 学長をはじめ、教師たちはとても厳しく、落ちこぼれなど相手にしなかった。出来損ないの神官の子供たちの末路など、闇に葬られた。

 出身の村に戻っても居心地が悪く、ムテを離れてしまう者も数多くいた。

 だが、今は時代が変わり、学生は落ちこぼればかり。

 かつてのように、ぽいと退学させるわけにもいかなくなった。学び舎は、その後の身の振り方に責任を持ってくれるし、故郷に戻っても恥ではない。

 学長は、机の上の書類を見ながら、ハールの将来を指し示した。

「今回は落ちたとはいえ、あなたには充分に才があります。もう一年、精進して神官を目指すべき……」

「いいえ、学び舎を出ようと思います」

 即答だった。

 学長は、一瞬「え?」という顔をした。

 学生の最終目標は、神官の地位を得ること。それに生死をかける者もいるほど、地位を得られるか得られないかは、大きなことだ。

 まだ、見込みがあると言われているのに、諦める者は少ない。意外すぎる返事だった。

 ……が、考え方を変えれば、別の道も見えている。

 勉学で時間ばかり費やすよりも、手っ取り早くて豊かな生活を送る方法もある。昔とは違い、今となっては、学び舎出身者は、様々な資格や許可を得る事ができ、優遇されるものであるから。

 学長は、うんうんとうなずきながら、別の案を提示した。

「そうですね。あなたの実力ならば、神官代理として故郷に帰ったとしても、けして恥ずかしいことではありません。医師としても重宝されますし、薬師としての資格もありますし、今後のことは心配なく……」

 再びの即答。

「故郷には帰りません」

「はい?」

 これまた意外な返事だった。ムテ人は精神的な弱さから知らない土地を嫌い、故郷を大事にする傾向があるからだ。

「決心していました。今年、権利が得られないならば、あとは一般人として、細々と生きて行こうと」

 学長の瞳が、みるみる曇った。

「学び舎で得たことを……活かすつもりはないのですか?」

「学び舎で得たことは、すべて神官になるためのことでした」

 ハールは真っ白な天井から、暗黒の床に目を落とした。

「それを活かせないのは、私の力不足です」

 かつての落ちこぼれの神官の子供たちが、人目を忍ぶようにひっそりと消えていったように、ハールもそれ以外の生き方を知らない。

 故郷で、落ちこぼれの神官の子よ、と言われて、生活できるほど、精神的に強くない。

 神官の子供であったことは忘れ、ただのムテ人となり、ありきたりの生き方をしよう、そう思った。


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