ねえオオカミさん

夏目

第1話

「いい?絶対にドアを開けちゃだめだからね。

もし、もし開けたら・・・」


「こわーいオオカミさんに、食べられちゃうからね。」


そう言ってママは部屋を出て行った。カツカツとママの靴の音が響いて、ドアが閉まると再び部屋の中は暗闇に包まれる。暗闇とオオカミさんにおびえていれば、いっちゃんが僕を手招きしてくれた。


「なな、こっちおいで。ほら、明るいよ。」


いっちゃんの方に近づけば、そこにはごろう兄ちゃん達もいた。窓から入ってくる月の光が眩しくて、本当だ。さっきよりも怖くない。そう思ったとたんに玄関のチャイムが鳴って思わず体が震えた。


「みんな!シー、だよ。」


いっちゃんが皆に小声で注意する。僕も頷いて自分の口をふさいだ。夜には悪いオオカミさんが来て、もしドアを開ければみんな食べられてしまう。ママは繰り返しそう言い聞かせていた。絵本で見るオオカミさんは顔もこわいし、僕くらいの小さな子なら丸呑みしてしまう。そんなのいやだ。膝を抱えて静かにしているけれど、チャイムの音は中々鳴りやまない。


「坂本さーん。いらっしゃいませんかー。」


ドンドン、とオオカミさんがドアを何回も叩く。そのうち他の人の話し声とゴソゴソとなにかを漁る音も聞こえる。怖くなっていっちゃんの手を握れば、いっちゃんは「大丈夫だよ」と握り返してくれる。その手はすっごく冷たくて、顔は真っ青だった。

ガチャ、鍵が開く音がした。同時に隠れて!といっちゃんの必死な声がして、僕は急いでついていないコタツの中に隠れた。オオカミが家に入ってきた。どうしよう。心臓はドキドキで体も勝手に震えてしまう。怖い、怖いよ。ママ、助けて。

ドタドタと家の中に入ってきた足音は一人分じゃなくて、オオカミさんが仲間を連れてきたんだと涙が出そうになる。でも泣くといつもママに怒られてしまうから必死で我慢した。ごろう兄ちゃんの泣き声が聞こえる。どうしよう、お兄ちゃんが捕まってしまった。助けに行きたいけど怖くて体が動かない。よーちゃんの声もする。ああもうどうすればいいんだろう。オオカミさんの足音が徐々に僕の方にも近づいてくるのが分かった。必死で自分の口をまた押えるけど、その足音は遠ざからない。そのうち、ピタ、と足音が止まった。同時に僕の心臓も止まった。一気に視界が明るくなって、ああ僕食べられちゃうんだ、どのくらい痛いんだろう、なんて思った。けれどぎゅっと目をつぶっていても中々痛みは襲ってこない。恐る恐る目を開ければ、オオカミさんは僕の手を優しく引っ張って、ぎゅっと抱きしめた。


「よかった・・・。大丈夫?痛い所は無い?」


そう言って僕の頬を触る。そこにいたのは僕が想像していたような怖いオオカミさんじゃなくて、心配そうに顔を覗き込むお姉さんだった。もしかしてお姉さんのフリをしているのだろうか。ほら、赤ずきんちゃんのおばあちゃんの時みたいに。


「もう大丈夫だからね。あったかい所に行こうね。」

「・・・オオカミさん?」


オオカミさんはキョトンとした顔で僕を見つめた後、ゆっくりと首を振った。そして僕にあったかい毛布を掛けてくれて、もう一度僕を抱きしめる。


「違うよ。きみを助けに来たんだよ。」

「・・・ウソをついてるんじゃなくて?」

「うん、ついてない。」

「僕のこと、食べない?いっちゃん達の事も、食べない?」

「食べないよ。絶対にそんなことしないって約束するから、お姉さんと一緒に行こう。」


そう言ってお姉さんは僕の頭を撫でた。お姉さんの手はあったかくて、こんなにあったかい手に触れるのは久しぶりだった。ううん、誰かに頭を撫でてもらうのだって、すっごく久しぶりだった。そんなことを思っていたらなんだか涙がこぼれてしまって、いけないまた叩かれちゃう。そんな僕の心配とはよそにお姉さんは僕をまた撫でてくれて、そのまま抱きかかえてくれた。お姉さんがドアを開ければそこにはみんなもいて、いつもは泣かないいっちゃんも泣いていた。そんないっちゃんの手を握ってくれているのは優しそうなおじさんで、きっとそのおじさんの手もあったかいんだろうなあ、と思った。





「いいかい、1人の時には絶対にドアを開けちゃだめだよ。」

「どうして?」

「夜には、怖いユウレイさんが来るんだ。もし見つかったら、食べられちゃうからね。」


僕の言葉にはなちゃんがおびえた顔をして自分の目をふさぐ。「ちょっともう、おどかし過ぎよ」なんて妻が呆れたように笑うから思わず僕も笑ってしまった。その笑顔に怖さがほぐれたのか、はなちゃんがでも、と僕を見る。


「みんな夜にはオオカミさんが来るって言ってたよ。オオカミさんに食べられちゃうって。」

「おや、そうなのかい。」

「うん。だって赤ずきんちゃんの事も食べちゃおうとしたし、オオカミさんって悪い人なんでしょう。」

「うーん、どうだろう。パパはそう思わないかなあ。」


なんでなんで、とはなちゃんが僕のズボンを引っ張る。今年小学校に入学したばかりのはなちゃんはまだ僕の腰までの背もない。彼女の目線にまで屈んで、優しく頭を撫でた。


「絶対に秘密にしてくれる?」

「うん!秘密に出来る!」

「本当に?じーじにも言っちゃだめだよ?」

「言わない!はーちゃんおりこうさんだもん!!」


エッヘン、と効果音が付きそうな顔でそう言うはーちゃんが愛しくて、思わず抱きしめてしまう。パパ苦しい、なんて言いながらはなちゃんも小さな手で僕の肩を掴む。


「はーちゃん、パパはね。」


「小さい時、オオカミさんに助けてもらったんだ。」


懐中電灯の光、温かい手、フワフワの毛布、優しい笑顔。

僕は一生、あの日のことを忘れることはないだろう。

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ねえオオカミさん 夏目 @natsu_haru

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