第三話: お馬さんの快進撃



 ──新馬戦、大勝利! 



 その言葉と事実に浮かれた彼だが、同時に、新たな課題というか、これまで分かっていなかった弱点が見つかった。



 で、それを説明する前に、現状の確認をしよう。



 まず、彼の……そう、己のステータスだが……とりあえずは、同階級では並ぶ者無しな実力であるのが分かった。


 これは走った彼が一番実感した事なのだが、どうやら今の力は、同階級の馬と比較すると、一段も二段も総合的に格上の状態らしい。


 おかげで、レースの最後の方にもなると、手を抜くというわけではないが、そのまま流れに乗った形で勝利する事が出来た。


 後ろの馬との距離は……何メートルかは分からないが、けっこう突き放してゴールしたのだけは、彼にも分かる。


 おかげで、疲労もそれほどではない。最後で力を抜けたから、その分だけ消耗を避けられた……といった感じだろうか。


 言うなれば、坂路ダッシュをこなした程度の疲労だ。なので、たっぷり食べてしばらく休めば、直に回復するだろう……と、彼は思った。


 それは、スタッフたちも分かっているのだろう。


 それまで毎日何かしら行っていたトレーニングも中止となり、牧場に居た時よりは気が抜けないが、それでも久しぶりにのんびり過ごす日々を送る事となった。



 ……本音を言わせてもらえば、牧場に戻ってリフレッシュしたい気持ちはある。



 だが、人間とは違い、今のこの身体は馬だ。


 近くのコンビニへ行くような気軽さで外に出るわけにもいかず、ただ家に戻るだけでも大仕事になるのは想像するまでもない。



(そりゃあ、人間の時みたいに電車乗って帰るなんて出来ないから、仕方ないんだろうけどさ……)



 まあ、他の馬とは違い、彼自身は馬社会に馴染んでいないし、他の馬との交流はない。


 広々とした原っぱで走り回るのはたしかに気分爽快だが、彼の好みとしては、ご飯を食べてゴロゴロとしている方がずっと気楽なのである。



 あとは……そう、言うのはなんだが、単純に飼葉の質はこっちの方が良い気がする。



 作り手の腕が良いのか、掛けている予算が違うのかは分からないが、妙に食べやすい。


 何と言えば良いのか、身体が求めているのを察して、それに適したモノを出している……といった感じか。



 ……食べ過ぎると、あっという間に太ってしまいそうだ。



 まあ、馬の身体なのである程度身体を動かさないと駄目だから、その分はちゃんと動くつもりだ。


 なので、食べる量にさえ気を付けていれば、早々太ることはないだろうが……いちおう、気を付けておこう。



(いざとなれば、坂道ダッシュすればすぐに痩せるだろうし……とりあえず、太り過ぎを気にするのは引退の後かな)



 ……そう考えると、坂道ダッシュは本当に辛いので止めてほしいと彼は思った。



 まあ、辛いのは事実だが、その分だけ鍛えた感じが強いし、実際強くなっているので、現役を続ける以上は逃れられないのだろう。


 それに、将来的には他の馬たちも強くなるし、より賞金額の高い重賞などのレースに出れば、その差も無くなるし、相手によってはこちらが格下になる。


 それを思えば、嫌でもやるしかあるまい……嫌だけれども。



 ……っと、話が逸れた。



 兎にも角にも、デビュー戦を勝利し、無事に終わった。ひとまずは勝てる可能性の高いレースが己にあることに安堵した。


 どんな種類の試合であれ、1位と2位とでは賞金その他諸々に大きな違いがあることぐらい察していたからこそ、余計に。



 ……さて、話を冒頭に戻す。



 何の話って、それは新たに判明した彼の課題である。



(馬にも短距離とか長距離とか、得意な距離があるんだな……そりゃあ、人間にだってあるんだから、動物にもそういう違いはあって当然だよな……)



 まず、休養がてらスタッフたちの話を盗み聞いたりしている最中に分かったことなのだが。



(中距離、長距離というのは何となく想像出来るのだが、マイルというのは何だろう……どれぐらいの長さになるんだ?)



 ──どうやら、己は『マイル』では少し短いらしく、中距離~長距離がベストなのでは……という事らしい。



(俺としては、アレぐらいか、もうちょっと短い方が楽なんだけどなあ……)



 そう、そうなのだ。


 彼としては、アレでもけっこう長かったし疲れたぞと思ってスタッフたちに訴えてみたが、やはり通じなかった。



(あと、『逃げ』だとか『先行』だとか『差し』だとか……さすがに、専門用語は盗み聞きではさっぱり分からん……)



 他にもこれはスタッフたちが気付いているのか居ないのかは定かではないが、彼自身が思い知った事が一つ。



 ──それは、どうやら己は後ろから追われる形になるのが嫌なのだということだ。



 言うなれば、馬と成って視界が広がり、聴力が増したせいだろう。人間の時には気にならなかった音が、今では気になる場合が多い。


 それを理性でもって抑えてはいるが、嫌であるのは変わらない。


 それに、話を戻すが、この広がった視界というのもけっこう厄介だ。


 さすがに真後ろ等は分からないが、少し首を動かすだけで、かなり後方まで確認出来る。


 そして、音も……近づいて来る音が、人間の時よりもくっきりと具体的に確認出来てしまう。



 ──どうやら、これが己にとっては駄目らしい。



 思い返してみれば、レース中はとにかく後ろが気になって仕方がなかった……そんな覚えがある。


 どうにも急かされているというか、近づいている気配が気になって、どんどんペースを上げようとしていた……覚えがある。



(彩音さんが綱を引いて俺を抑えてくれなかったら、下手するとゴール前で息切れしていたかもしれないな……)



 おそらく、初めてのレースで我知らず気が高ぶっていたのだろう。ペース配分が大事なんて、それこそ当たり前の話だと言うのに。



 ……気付いた彩音さんが、俺の邪魔をしない程度に何度も抑えてくれなかったら。



 結果的にそれでも勝利出来ただろうが、暴走した状態での滅茶苦茶なペース配分……間違いなく、今よりも消耗していただろう。



(……やはり、俺だけではレースに勝てない。背に乗るジョッキー……彩音さんと力を合わせなければ、この先のレースでは通じなくなってくるだろう)



 改めて、今後の事を思った彼は……もっと力を付けなくてはと、ふんすと鼻息を吹いたのであった。



 ……。



 ……。



 …………あ、そうそう。



『よく頑張ったな、ホワイトリベンジ!』


(……何だろう、悪くはないんだけど、ちょっと恥ずかしい。普通に前の名前の方が良かったな、俺としては……)



 ポンポン、とスタッフたちから感謝の言葉と共に身体を摩られながら、彼は思う。


 レースに出る直前に知ったのだが、どうやら名前は『ホワ』改め、『ホワイトリベンジ』になったようで……ちょっぴり、恥ずかしかった。


 いや、正確には元々『ホワイトリベンジ』なのを略してホワと呼んでいただけなのかもしれないが……馬の身である今の彼には、分からないことであった。






 ……。



 ……。



 …………さて、何度目かになるが、またも話を再び戻そう。



 とりあえず、頑張るとはいっても、やる事は基本的に変わらない。


 とにかくタップリ飼葉を食べて、タップリ走って、タップリ休んで、体力気力を養って、走る力を付けるしかないのだ。


 競走馬として生まれた以上は、走るのが定め。実際、それ以外に彼が出来る事など何もないのだから。



 後は……まあ、牧場を出る直前に見た、あの『走り方』だろうか。



 頭の深奥に刻み込める気持ちで見たから、あの『走り方』だけは今も記憶出来ている。


 とりあえず、彩音さんを乗せてパカパカとコースを走る時に、その走り方をイメージしながら走ってみてはいるのだが……う~ん、どうなんだろう、これ? 



『すごい……本当に、凄いよ!』



 その走り方を軽く見せてやるたびに、背中の彩音さんはずいぶんと喜んでくれている。


 ついでに、彼の世話をする上司の人(正直、彼はよく分かっていない)も、嬉しそうにしている。


 御世辞なのかどうかは分からないが、特に美女が喜んでくれるのは気分が良い。


 馬の身に成ろうとも、そこらへんは以前とは変わらない。悲しいかな、男の業というやつか。


 とはいえ、彼としては不完全燃焼というか、未完成の作品を褒められているような気がして、素直には喜べない部分はあるけれども。



(……でもこれ、少し走っただけで息が上がるし足も疲れてくるし、カーブでは使えないからゴール直前しか使い所がないんだけどな)



 何度か試行錯誤したおかげで分かった事なのだが、あの『走り方』は基本的に直線にて生きる走り方だ。


 カーブ中でも出来ないわけではないが、遠心力に釣られて確実に外へ膨らむ。これは、かなり危ないというのが彼の正直な感想だ。


 それに、ロケットエンジンのように燃料を一気に点火するような感じであり、スタミナが残っている内はその分だけ長くて速く走れるが、ガス欠になるのも早い。


 正直、カーブ中でそうなったら滅茶苦茶危ない。


 直線であれば速度が落ちても周りの馬が勝手に避けてくれるが、遠心力が働いているカーブ中にそれは難しいから、余計に。



(彩音さんの命を背負っているんだ……そういう無茶は止めとこう)



 とはいえ、使い所さえ間違えなければ、現時点でもそれなりの武器にはなるだろうし、まだまだ己は成長段階だと……そう、彼は己に言い聞かせる。


 もっとトレーニングを積んで身体を作り、『走り方』に身体を慣らせば、使用時間を伸ばせるようになるのかもしれない……が、とりあえず、今日明日で出来る事ではない。



(一ヶ月、二ヶ月……いや、この様子だと、冬を跨いで来年以降になりそうな……)



 何十年前の競馬(しかも、付き合いで)の記憶なので詳細は不明だが、賞金の高いレースは一回だけではない。


 無理をして身体を壊すよりも、手堅く賞金を咥えて戻ってくるのも、立派な戦略なのでは……そう、彼は考える。



(可能であれば全部出たいものだが……決めるのは俺じゃない。というか、望んで出られるもの……ん? そういえば、競馬といえば、ダービーは何時やるんだったか?)



 そうだ、競馬レースと言えば、ダービーだ。




 ──『東京優駿』。




 競馬の素人である彼ですら知っている、ビッグタイトル。


 それに出て勝利すれば、相当な賞金が出るだろう。



 だが……それは難しいだろうなと、正直に彼は思った。



 なにせ、ダービーだ。出て来る馬も相応に勝ち残って来た強者ばかりだろうし、今回みたいに楽々に勝てるレースにはならないだろう。


 それに、ダービーなんてビッグタイトル、他の人達も自分の馬を出したいに決まっている。


 抽選か、馬主にでも面接するのか、あるいは、出馬する馬に試験を課すのかは知らないが……望んだところで出られる保証はないだろうなあ……と、彼は思った。



(なにか、事前の情報が有れば対策を取れるかもしれないが……レースの日程ぐらいは耳に入ってくるけど、さすがに他所の馬の話まではしてくれないだろうしなあ……)



 牧場に居た時、スタッフたちやキナコさんは、厩舎や馬房ではそういったお喋りはあまりしなかった。


 それは、此処でもそんなに変わらない。だから、彼にはさっぱりそこらへんの事情が分からない。


 いちおう言っておくが、悪い意味ではない。


 いや、むしろ、それだけ真剣に自分たちの世話をしてくれているのだ。


 というか、馬が理解しているだなんて欠片も考えた事すらないだろう。なので、彼としても変にちょっかいは掛けられず……う~む。



 ……。



 ……。



 …………とりあえず、次のレースが始まるまで何時も通りやるしかないか。



 そう、決断を下した彼は、彩音さんに誘導されるがまま、パカパカと歩いて馬房に戻されて。


 ナデナデを受けた後、ふんすと鼻息を吹いて……しばらくして、スタッフが持ってきてくれた飼葉の入った桶に顔を突っ込むのであった。






 ……。


 ……。


 …………そうして、だ。


 すっかり体力気力ともに回復し、身体から疲労が抜けきったのを自覚すると同時に、再び訓練という名のシゴキが始まった。


 まあ、シゴキといっても、やる事は前と変わらない。


 これまでと同じく『食う』、『寝る』、『訓練』の三つであり、その中身がちょこっと変わるだけのこと。


 彼としては、坂道ダッシュなんてマジ勘弁なのだが、やはり効率性が高いのか、毎日とまではいかなくとも、2,3日に一回はパカパカと坂道ダッシュを行った。


 まあ、坂道ダッシュは身体が疲れるだけだ。タップリ食べて休めばスッキリするが……問題はやはり、プールだろう。



『う~ん、やっぱりホワはプールを嫌うね。今の時期だと、だいたいの馬は喜ぶのだけれども……』

(そりゃあ効果的ですからね! でも、本音では嫌だよコレ!)

『それでも我慢して入ってくれているあたり、本当にこの子は人の言う事を良く聞く子だな』

(強くなる為には我慢しますよ! ていうか、お前らも四つん這いで入ってみろって、俺の気持ち良く分かるから! 超怖いから!)



 最初の頃より幾らか慣れて来たが、ぶっちゃけ怖いモノは怖い。パワーこそ人間に比べたら桁違いだが、水の中ではそのパワーもほとんど活かせない。


 おかげで、ヒヒン、ヒヒンと情けない声を上げながら水掻きなのか馬掻きなのか、よく分からない動きでひょこひょことプール歩行を続ける。



(く、くそ~、このうっ憤はレースで晴らしてやるからなー!!!)



 ──あと、食事の時にリンゴでも混ぜとけよ! 



 通じないとは分かっていても、彼はヒヒンヒヒンと怒りを込めて鳴くしかなかった。








 ──まあ、そのおかげなのかは実際のところ、不明ではあるけれども。



(──よっしゃあ! これで3連勝だぜ!)



 溜まったフラストレーションを吐き出せるおかげか、あるいは練習の成果を出せるからなのか。


 デビュー戦の3週間後に行われたレースでも勝利し、そのまま一か月後のレースでも勝利を重ね……気付けば、白星を合計三つも手に入れていた。


 そのうえ、彼は怪我や極度の疲労に悩まされることもなく。スタッフたちもそうだが、背に乗った彩音さんも嬉しそうにしていて。


 これには、心の何処かで(よし、ちゃんと賞金は貰えているっぽいな)と、不安を抱えていた彼もニッコリ笑顔である。


 そして、さすがに短期間のうちに3回もレースを行ったことで心身に疲労が溜まっていると判断された彼は、生まれ故郷である牧場へと短期休暇を言い渡された。


 彼としては、いやいやまだまだイケるぜといった感じだが、馬の身体に関してはプロである皆様方の意見だ。



 ──自分の身体とはいえ、馬としての経験年数が片手の指に収まる己とは違い、皆様方は20年以上……馬に携わってきた玄人たちだ。



 医者だって、当人以上に当人の身体を把握するものだ。自分の身体とはいえ、過信はよろしくない。


 実際、自覚出来ない疲労が溜まっている可能性はあるし、サラブレッドは身体が弱いという話を何処かで聞いた覚えが、彼の記憶にあった。


 なので、素直に御言葉に甘えて、しばしの休暇に勤しむのもまた合理的だし、未来を見越したうえで最善なのだろう……と、彼は判断した。



 そうして……レースが終わってから、四日後。



 意気揚々と、故郷である牧場へと戻るトラック(たぶん、馬専用なのだろうと彼は思っている)へと乗り込むと。



(いやあ……知らず知らずのうちに疲れていたんだな、俺ってば。乗り込んですぐに爆睡しちゃったよ……)



 車の振動が程よい子守唄にしか感じ取れなかった彼は、ものの見事に即寝落ちした。たぶん、出発して5分も経っていなかっただろう。


 それはもう、見事なものだ。人間だった時ですら、ここまで即寝したのは何時以来だろうか。


 あまりの早寝に、運転席に取り付けられた小窓より彼を見やったスタッフが『え、マジで寝てるの?』と心配になるぐらいで……実際、スタッフの反応は当然であった。



 ──というのも、馬は基本的に狭くて窮屈な場所を嫌うのだ。



 本来は広い草原などで暮らしている生き物だからで、サラブレッドであろうとも、遺伝子に刻まれた本能が残っている。


 だから、いくら馬用に作られた車(彼は知らないが、馬運車と言う)とはいえ、移動の際には極力ストレスを掛けないようにするのが鉄則となっている。


 もちろん、中には移動を苦にしない図太い馬もいる。遠方だろうとコンディションを変えず、普段通りの力を発揮する馬も確かに居る。



 だが、それは例外だ。


 基本的に、移動は馬にとって多大なストレスを伴うのだ。



 全てではないが、本来であれば10回やれば8,9回は勝てる馬が、移動のストレスに弱って下から数えた方が早い結果に終わるというのも、けして珍しい話ではない。


 それどころか、体調を大きく崩してしまってレースに出られなくなる馬や、それが原因で遠方のレースに出られない(出る場合、相応の対応が必要)という馬も、普通に居るわけだ。



 スタッフは、それを良く知っていた。



 だからこそ、平気な顔どころか即寝落ちしている彼を見て、『こいつは、将来G1を取る馬だぞ』と、運転手と笑い合うのも……当然と言えば、当然のことであった。


 そして、見覚えのある牧場のスタッフより起こされるまで彼は寝息を立て続け。


 ようやく、大きな欠伸を零しながら、よっこらしょと身体を起こした彼を見て。



『ホワ~、やっぱりホワは、ホワだよね!』

(お、キナコさんじゃないか! 迎えに来てくれたんですね!)



 ホワイトリベンジ……そう呼ばれている彼が来るのを今か今かと待っていたキナコたちが。


 そんな、馬とは思えないだらけた姿で、まるで寝起きのオジサンのようにのっそりと立ち上がったのを見て。




 思わず、誰も彼もが笑ったのは……致し方ないことであった。






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