第二話の裏その2: 野暮ったい原石



 ──その馬を目にした瞬間、正直言わせてもらえば……走らなさそうだな、と彩音は思った。




 毛の色は、葦毛だ。全体的にはやはり少ない色なので目は止まるが、それだけだ。


 何と言えば良いのか……そう、野暮ったいのだ。


 他の馬と競い合うようなイメージではなく、荷物を背負ってパカパカと綱を引かれている……そんな感じだ。


 G1馬に見るような存在感は希薄であり、強い馬に良くある気性の強さも感じ取れない。


 サラブレッドにとって、気性の悪さ……いや、気性の強さは、レースを勝ち抜くうえでは表裏一体の評価となる。


 というのも、馬は基本的に臆病な生き物だ。


 雌の奪い合いや雄同士の格付けの際に多少なりぶつかり合うことはあるが、基本的に向かって来る相手を前に逃げの一手を最初に取る生き物だ。


 乗馬用であれば、穏やかな気性はプラスに働く。


 だが、コースという狭くも短い戦場でバチバチやりあうとなれば、気性の穏やかさは不利にしかならない。


 後ろから迫ってくる、あるいは、前を走る馬に怖気づいて足を止めようとしてしまう穏やかな性格は、競走馬としては致命的な弱点になってしまうからだ。


 もちろん、気性に難の有る馬は調教が難しく、またコントロールも難しいうえにちょっとした事で機嫌を損ねてしまうので、必ずしも良いわけではない。


 中には、穏やかな性格ながらも、レースになると一歩も譲らないレース根性を持った馬もいるが……まあ、あくまでも目安として、そういう馬は向かないとされているだけである。



(……本当に、穏やかな馬ね。私を見ても、全然警戒した素振りを見せていない)



 さて、G1に出るような馬には乗ったことはなくとも、これまで様々な馬に乗って来た彩音が下した評価は……『よろしくない』、であった。



 実際、眼前の馬……彼がホワなのだろうが、どうにも覇気を感じ取れない。この時点で、この馬は向いていないかもとも思った。



 その証拠に……見知らぬ他人が来ているというのに、ボケーッと彩音を見つめているだけで反応が薄い。


 キナコが挨拶をすれば、待っていたぜと言わんばかりにヒヒンと鳴く。しかし、その鳴き方もどこか優しい。


 耳の動きや尻尾の動きから、心底リラックスしているのが見て取れる。つまり、この時点ですら、この馬は警戒心を持っていないわけだ。



「……この子が、ホワでいいの?」

「そうですよ。ホワホワッとした雰囲気で、気が長く優しいから、ホワ」



 噛まれないように注意しつつ近付けば、軽く首を傾げるだけで……あらやだ、可愛い。



(馬体も大きい……運動もそうだけど、普段から走り回ってたっぷり飼葉を食べているのかしら?)



 これはキナコさんも惚れ込むかも……そう思いながら、彩音は1人の騎手として、ホワの馬体をじっくり確認する。


 ……先ほども思ったが、馬体はしっかりしている。パッと見た限りでは、足にも目視で確認出来るような異常も見られない。


 とてもではないが、幼少期に歩行に異常が見られたようには見えない。少なくとも、事前情報が無かったら、彩音とて分からなかった。



「ちょっと、一緒に外に出ても大丈夫?」

「大丈夫ですよ。ほら、ホワ、行くよ」 



 馬房の中で確認するにも限度がある。


 外に比べたら狭いし暗いし……改めて確認したいと尋ねれば、予想していたのか、キナコは何時の間にか手にしていた馬銜ハミを片手に馬房へと入った。



 ──馬銜とは、馬の口に噛ませる棒状の金具である。馬はその肉体の構造上、歯と歯の間に、歯の無い部分がある。そこに、噛ませるモノだ。



 騎手は、この金具に繋がる手綱を通じて馬の状態を察知し、同時に、騎手より馬へと指示や合図を送る……非常に重要な役目を担っている道具だ。


 その道具を、キナコは何の緊張感もなく、ササッとホワに取り付け……それを見て、「へえ……」と、彩音は軽く目を瞬かせた。



 ──というのも、人間からすればただの金具だが、馬にとって馬銜というのは気味の悪い異物でしかないからだ。



 馬の調教において、最初につまずき易いのがココ……らしい。


 嫌がらずに受け入れてくれたら良いのだが、やはり、嫌がって装着されるのを拒否する馬は一定数いる。


 そして、馬銜に限らず、歳若い馬はだいたいそういったモノを装着されるのを嫌がったりする場合が多い。


 競争をするうえで絶対に付けなければならない鞍(くら)の装着を嫌がるのもそうだし……そもそも、最初でつまずくとその後全部に影響が出て来るから、余計に。


 そういう馬の為に、馬にとって好みの味や匂いが出るようになっているのもあるらしく、それで苦手意識を消して安全なモノだと思わせてしまえば、その後の調教も比較的スムーズになる。



 ……と、学校などで教えられたことを、彩音は思い出していた。



(指示に従順で、器具の装着も協力的で嫌がらない。軽く綱を引いただけで動いてくれるあたり、賢い馬なのかも……)



 とりあえず、そのままキナコの後に続いて外へ……隣の原っぱ(曰く、本当に何もないらしい)へとキナコの手で引かれているホワを、後ろから観察する。



(明るいところで改めて見る限り、馬体は本当にちゃんとしているのよね……外に出て興奮する素振りもないし、乗馬用なら花丸満点)



 パッカパッカと鳴っていた足音も、地面に降りれば静かになる。広い場所に出た若馬は、興味津々に辺りを見回すのだが……やはり、落ち着いている。


 そうして、隣の原っぱへと到着したキナコは……「あっ、忘れてた」思わずといった様子でそう呟くと、「ちょっと、お願いします」あっさり手綱を彩音に渡して来た。



「すみません、色々と道具を持ってくるのを忘れましたから、取って来ます」

「え? ちょ、ちょっとキナコさん? 私も着替えとか準備がいるのだけれども──」

「すぐ戻りますんで、待っててください!」



 困惑する彩音を尻目に、キナコはそのまま厩舎の方へと走って行った。


 後に残されたのは、呆然と立ち尽くす彩音と、ボケーッとその場を動かないホワ……堪らずホワを見やった彩音は……フフッと笑みを零した。


 普通……見慣れぬ者と一緒になった馬は、傍にて慣れた者が一緒ならともかく、こうまで落ち着いたままではいられないからだ。



(手綱が引かれる様子もないし、何処かへ行こうという素振りもない……私が手綱を持ったままこの場にいるから、動こうとしない……本当に、乗馬用なら最高ね)



 馬体も大きく愛想も良くて穏やか、指示にも従順で葦毛ともなれば、さぞ人気が集まるだろう。



(でも、競走馬としては……どうなのだろう?)



 しかし、ソレとコレとでは話が別だ。



(出来ることなら、一般レースで勝ちを拾ってほしいけど……)



 そっと首を摩ってやれば、気持ちよさそうに目を細めている。それがまた、どうにも可愛いというか、何というか。


 この短い間にすっかり愛着が湧いてしまった彩音としては、もうこの子に乗って怪我をする危険性よりも、この子を無事に走らせることにだけ意識が向いていた。



 ──最後の馬が、こんなに可愛くて賢い馬なら上出来かしら。



 そう思いながら、気付けば……彩音は、馬を前にして久々に笑顔を浮かべていた。






 ……。



 ……。



 …………さて、そんなこんなで戻ってきたキナコと交代する形で着替えを済ませた彩音は、ホワの騎乗準備も済ませて。



 そうして、キナコの手を借りてサッと背に乗り……おや、と目を瞬かせた。


 簡潔に述べるならば、座り心地が非常に柔らかいのだ。それでいて、とても力強い。


 既に手綱による指示の調教をある程度済ませてくれているのか、軽く綱を引くだけで、ホワは歩き出してくれる。


 とりあえず、危ないのでキナコを下がらせておいた。


 次いで、トットットッと少し速くなったホワの背の上で、姿勢を崩さないように注意しながら……彩音は、さらに困惑を深めていた。



(これが……本当に、歩行に異常が見られていた馬なの?)



 まるで、水平に動く絨毯に乗っているかのような感触だ。それでいて、ホワの体幹にまったくブレが見られないし、感じない。


 偶発的なモノなのかと思って、右に左に綱を引いて誘導してみるも、結果は変わらない。


 信じ難い話だが……この馬は……非常に優れたバランス感覚を持っているのかもしれない。


 古馬こばならともかく、まだ身体が完全に出来上がっていない若馬でコレとは……未知との遭遇に何とも言葉にし難い興味を覚えた彩音は、キナコの下へと戻る。



「キナコさん、軽く走らせてみてもいい?」

「いいですよ。あ、でも、ホワが苦しそうにしていたら止めてくださいね」

「分かっているわよ、さすがにこんな若馬に無理をさせたりはしないから」



 そう言うと、彩音は軽く手を緩めて……緩やかに走らせてみる。それだけで意図を察したのか、ホワも合わせて少しばかり加速した。



 その段階の時点で……彩音の胸中を過ったのは、ただただ『驚愕』の二文字であった。



 軽く走らせただけでも、分かる。


 足腰のバネが、半端ではない。


 人を乗せて軽く走るだけでも大変だというのに、この馬は欠片も堪えた様子を見せない。馬力に、圧倒される。



 ……なんという馬なのだろうか。そう、彩音は思った。



 年齢を考えれば、これから先どんどん大きくなるし強くなるだろう。そう、この馬はまだ本格化(心身共に成長して充実した状態)云々以前の若馬なのだ。


 年齢に比べたら立派な馬体とはいえ、まだ成長期。精神的に落ち着かず、遊び盛りの元気盛り……の、はずなのだ。


 そのはずなのに、古馬にも見劣りせぬ賢さと落ち着きの良さ、大人の馬にも引けを取らない力に、バランス感覚。


 もう、この時点で、これまで乗って来た馬のどれよりも上だと彩音は思った。



「──お疲れ様です。彩音先輩としては、ホワはどこまで行けそうですか?」

「……ここで話すのもなんですし、一旦戻りましょうか」

「え? あ、はい、わかりました……」



 そうして、ぐるりと軽く一周してきて戻って来た彩音は、キナコの手を借りてホワより降りると、再び厩舎へと向かう。


 行きの時と同じく、帰りの時もホワはおとなしく従順であった。


 そうして、キナコと彩音のダブルチェックにより、足腰に限らず出発前に比べて異常がないのを確認してから、厩舎を出て。


 そのまま、スタッフたちが待機している厩舎の傍にあるスタッフルーム……ではなく、キナコの自宅へと向かう。


 理由は、時間的にスタッフルームではなく、そちらに居る可能性が高いとキナコより言われたからだ。


 どうしてキナコの両親の居る場所かと言えば、それは話す必要があると彩音が思ったからだ。



「…………」



 彩音の只ならぬ雰囲気に、何か思う所があるのか。


 少しばかり表情を曇らせているキナコを他所に、彩音はキナコに両親を呼んでもらい……30分後には、リビングには『タチバナ・ファーム』の関係者が集まっていた。






 ……。



 ……。



 …………リビングに集まった者たちの表情は、困惑半分の興味半分であった。


 困惑の筆頭は、橘キナコ。その次に橘夫妻。要は、『タチバナ・ファーム』においての創業者とその家族だ。


 対して、興味の筆頭は……偶然にも様子を見に来て鉢合わせとなった遠藤さん。そして、スタッフたちの中ではベテランに当たるスタッフ計2名であった。



「お久しぶりだね、柊さん」

「遠藤さんも、来ていたのですか? こちらこそ、お久しぶりです」



 トレードマークのテンガロンハットを外して挨拶をする遠藤さんに、彩音は軽く目を瞬かせた。


 遠藤さんと彩音は、馬主と騎手の間柄ゆえに何度か顔を見合わせた事がある。


 キナコちゃんとは仲が良いみたいだからという理由で、騎乗依頼を何度かしてくれた……という間柄だ。


 彩音にとっては、右も左も分からなかった新人の頃より、勝っても負けても次もよろしくと背中を押してくれた、恩人みたいな人だ。


 エンドウオトオリの安楽死を境目に馬主業から遠ざかったと聞いていたし、実際に競馬場などで姿を見かけなくなっていた。


 その流れで、彩音との関係も疎遠になっていたから……久しぶりに見るその顔に、彩音は深々と頭を下げ……ついで、湧き起こった疑問を尋ねた。



「あの、遠藤さんは馬主業から足を洗ったと噂で聞いていたのですが、復帰なされたのですか?」

「そのはずだったんだけど……キナコちゃんとホワを見て、浪漫ってやつを感じてしまってね」

「……はあ、なるほど」

「ちなみに、ホワの馬主でもあります」

「……なるほど」



 遠藤さんの返答に、彩音は思わず笑みを零した。


 そういえば、こういう人だった。


 勝ち負けは当然ながら嬉しいけど、競馬というものに浪漫を求めているタイプだった……と。



「柊さん、わざわざ皆様方を集めたということは、ホワに関して騎手として言わなければならない事がある……と、考えても?」

「……はい」



 遠藤さんの問い掛けに、それまで困惑していた夫妻もそうだが、全員の視線が集まる。それらを前に、彩音は……はっきりと、頷いた。



 ──恩人とはいえ、部外者が居る場所では話せない。



 しかし、それが馬主であれば話は別だ。


 というか、馬主が居るならば話は早い。


 そう判断した彩音は、特に言葉を飾ることなく率直に自分の意見……ホワに関して感じ取った事を、そのまま口に出した。



「遠藤さん、ホワは……重賞を狙える馬だと思います」

「……どうして、そう思うのですか?」



 ざわっ、と。


 室内の空気が変わる最中、遠藤さんだけは……意味深に笑みを浮かべながら、続きを言えと話を促した。



「……少ないながら、私もそれなりに色々な馬に乗って来ました。それでも、断言出来ます。あの馬は、強い。これから、強くなります」

「……重賞を狙えるほどに?」

「少なくとも、GⅡの勝ち負けを狙えると思います」



 ざわっ、と。



 今度は、ざわめきが生まれる。


 そうなるのも、当然だろう。


 出そうとするだけなら、話は別だ。


 登録料を始めとして、幾つかの条件さえ満たせば、それこそ連敗続きの馬だってGⅡに出すことは可能だ。


 しかし、出場登録料に限らず、条件を満たしたからといって、全ての馬が自由に出られるわけではない。



 ──最大で18頭。



 それが、一度のレースで出られる馬の数だ。


 言い換えれば、100や200の登録が殺到したとしても、そこから出られるのはたった18頭しかいないわけだ。


 この18頭に絞るためには、色々な条件なり基準が課せられている。その目安となるのは、やはり獲得賞金だろう。


 つまり、走る馬がこれまで如何ほどのレースを乗り越え、結果を出してきたかも重要になるわけだ。


 ……はっきり言えば、獲得賞金1000万円の馬よりも、賞金2000万円獲得した馬の方が選ばれやすい。それは、事実だ。


 ただし、選ばれやすいというだけで、必ずしも選ばれるわけではない。優先権を得ている馬もいるし、タイミングが合わずに出走を取りやめる場合もある。


 他にも、様々な事情により繰り上がったり繰り下げされたりで、選考から漏れることもあれば、滑り込む形で出走が決まることもある。



 ……なにより、馬は生き物なのだ。



 やはり、その時々によってコンディションが異なるし、得意とする距離やレースにもよる。


 競馬場が遠ければ輸送のダメージを考慮しなければならないし、右回りか左回りかも、場合によっては考慮する必要があるだろう。


 人間とは違い、言葉で不調を感じ取ることは出来ない。無理に出走させて足を痛め、そのまま引退……という話も、けして珍しいことではない。


 中にはとりあえず登録して、駄目そうなら取り下げるという事もするらしいが……そこらへんは各馬主の判断だし、そもそも未勝利で終わる馬が大半なのが競馬だ。


 だからこそ、重賞へ挑戦出来る条件をクリアしている馬は、それだけの実績があるわけで……タチバナ・ファームにおいても、これまでGⅡに出走出来た馬は一頭も居なかった。



「GⅠは、どうですか?」



 ぎょっ、と。


 眼を見開くタチバナ・ファームの面々に対して、サラッと尋ねた遠藤さんの問い掛けに対して。



「……すみません。そればかりは何とも……GⅠレースに出た事がないので、私には判断出来ません」



 彩音は、素直に頭を下げた。


 けれども、彩音自身は、ホワの評価を改めるつもりは全くなかった。何と言われようが、ホワは重賞を狙える器があるのだから。


 このGⅡというのも、彩音が過去に一度だけ出たグレードの高いレースが、GⅡだったからだ。


 ……ちなみに、その時の順位は下から数えた方が早かった……とだけ明記しておく。



「ふむ……そうですか……」



 考え込むように顎に手を当てた遠藤さんに、全員の視線が集まる。そうなるのも、致し方ない事だ。


 とにかく、ホワの今後をどうするか、それを決めるのは馬主である遠藤さんの一存だから。


 主にダートが主戦場の地方競馬へ進むか、しのぎを削る芝の中央競馬へと進むか。あるいは、地方である程度走ってから、中央へと向かうのか。


 どちらも、一長一短な部分はある。


 ホワの実際の適性も、現時点では未確定要素が多いのは事実だし、芝では結果を出せなくともダートで結果を残した馬だって、いる。


 とはいえ、華が有りグレードの高いレースが数多く開かれる中央競馬を目指すのは、馬主なら持っていて当然の欲求……夢であり、浪漫でもある。



「……それでは、中央へ行きましょう」



 そして……そんな浪漫を求めて馬主を続けてきた遠藤さんにとって、中央へ行ける機会があるならば、それを選択するのは……当然の帰結であった。



「それじゃあ、柊さん」



 ただ、しかし。



「ホワの騎手、よろしくお願いします」

「え、私でいいんですか?」

「もちろんです。他の騎手たちが断る中で、貴女は来てくれた。その貴女を差し置いて、他の騎手を乗せるなんて無粋な事はしませんよ」



 暗に中央路線へ進むことを促した彩音も、読み違えていたことが一つ。



「……分かりました。では、何処まで致しましょうか? GⅡは一度だけ経験しましたけど、2勝3勝のレースであれば経験が──」

「はい? 何を言っているのですか?」



 それは……遠藤さんという変わり者の浪漫思考の老人は。



「そんなの、ホワが引退するまでですよ」

「え?」

「だって、実力が証明されてから、ノコノコ後からやってきた騎手に変えるなんて、ホワにもキナコちゃんにも失礼ですよ」

「え? いや、しかし……その、こんな場面でこんな事を言うのはなんですが……私、そろそろ騎手を引退しようかと考えておりまして……」



 ──ええ!? 



 遠藤さんを除いて、誰もが驚きの声を上げた。


 その中でも一番大きな声を上げたのは、キナコであった。


 どうしてかと尋ねられた彩音は、「その、そろそろ子供を……ね?」特に隠す必要もないので率直に理由を告げた。



「でも、最後に騎手として戦いたいと……考えた事はありませんか?」

「そ、それは……否定は、出来ません」



 だが、そのようないやらしい言い回しをされてしまえば……彩音とて、即座に返答など出来なかった。



「……しかし、こんな半端な気持ちで臨むのは逆に失礼ではありませんか?」

「とんでもない!」



 はっきりと、遠藤さんは首を横に振って否定した。



「いいじゃないですか、誰にも期待されなかった馬が、苦難を乗り越えて中央挑戦。いいですね、いいですよ、僕はこういうのが見たくて馬主をやり続けてきたわけです」

「あ、あの……」

「だから、重賞だろうと何だろうと、最後まで一緒に頑張るのです。最後まで二人三脚ならぬ、一心同体で戦ってください」

「……ええ?」



 彩音が思っている以上に……いや、この場に居る誰よりも、ずっと、ずーっと……浪漫に情熱を賭ける男であった。



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