長くて難しい話(2)
【「物語、ですか?」
気付けばそう問うていた。
「そう、物語」
話者はうなずき、言葉を続ける。
「あんたたちは、創造主である『作者』によって生み出された物語の登場人物なの。作家なら分かるでしょう? あんたが書いた『浪漫ひとかけら』の書生や村娘と同じってこと」
「私たちは作り物であると?」
「なんだか語弊があるけど、乱暴にまとめるならそういうことね」
彼女の言っていることの意味は分かる。しかし、頭も心もついていかない。
「それは何というか――即座に飲み下すのは難しそうですね」
「無茶を承知で言うけれど、納得してもらうほかないわ。だって、それが事実だもの」
頭の中がぐわんぐわんと波打っている。私が、物語に描かれた人間?
「いや、そんな突拍子もないことを言われても――」
「雀のお宿、大きなつづら、その先にあるこの部屋。もうすでに突拍子ないことはいくらでも起こっているのよ」
話者が淡々と述べる。どれも聞いただけでは信じられない話だが、現に私はそれらを目の当たりにしてきた。ぐうの音も出ない。
「ねえ、それでも信用できないなら、ちょっと考えてみて。これはショックが大きいかもしれないけれど……。幼いころのことを覚えている?」
「幼いころのこと? それならもちろん――」
言葉に詰まる。記憶の井戸に蓋がかぶせられているような、そんな感覚。
「わ、私は――」
何も出てこない。両親、育った家、友人、学校――。
話者は少しばつが悪そうな顔をして、「ほら、ね」と言った。
「あんたの過去は描かれていないの。だから、あんたに過去は存在しない」
頭を掻きむしる。フケが飛び散るが、知ったことか。人知を超えた出来事に翻弄された挙句、過去のことを何一つ思い出せない。私はいったい何者だというのか。そうか、物語の中の住人なのか。
「かわいそうだけれど」
話者の言葉が私の中を通過する。】
「有島が物語の登場人物で、吾輩がその物語の語り手。合点がいったし、反論もない。それなら、ここは何だ? ここも物語の中なのか?」
うなだれてしまった有島を見ていられず、吾輩は口を開いた。その内容が人間の言葉へと変換され、タブレットに浮かび上がる。
「いい質問だ」
話者ではなく、モデル読者がうなった。
「俺もそれをちょうど聞きたいと思っていたんだ」
「あんたは知っているでしょう」
話者がねめつけるが、モデル読者は意に介さない。
「ここで説明しておくのが一番いいタイミングってことだよ」
話者はため息をつき、金色の髪をかき上げた。
「さっきも言ったように、あんたたちがいた世界は物語の世界。そして、その外側には、『作者』と『読者』がいる。ここはその中間地点。名前なんて特にないわ」
吾輩は黙ったまま聞く。話者はまだ吾輩の質問に答えていない。この先が重要なのだ。
「なんて言ったらいいのかな? こういう説明苦手なのよ」
話者は落ち着きなく髪をいじくっている。モデル読者も特に助け舟を出そうとはしない。吾輩は黙っている。有島は少し気持ちを落ち着かせたようで、話者の方を向いた。
「んーとね、私は物語の中にいる作者なの。作品の表現や主題、その他もろもろ、とにかく作品全体の中から立ち現れる作者」
モデル読者がふふふ、と笑いをこぼす。
「それじゃ誰も分からないよ。まるで不親切な大学教授みたいだ」
「うっさいわね」
話者は有島を指さした。
「あんたなら分かるでしょ? 現実の作者と、物語に内包された作者の違いよ」
「物語? 内包?」
有島はオウム返しするしかない。それもそうだ。混乱した状況で小難しいことを言われても、脳が追い付くはずがない。
「あ、そうか。明治はまだ『作家論』の時代か」
話者はこほんと咳ばらいをする。仕切り直すつもりのようだ。
語り手であるからなのか、吾輩にはなんとなくの意味がつかめる。「作家論」とは、「作者」の生い立ちや執筆時の状況を物語と関連付け、物語の先に「作者」の姿を見出すことを終着点としている。学校でよく使われる「作者が言いたいことは何だろう」という問いがそれだ。
しかし、少なくとも話者とモデル読者はその「作家論」の時代を生きてはいないらしい。作家論から脱却し、文学研究はテクストそのものの分析へと移行する。
「ともかく、あたしは『作者』ではなく『話者』。たとえば、すごく革新的な思想が描かれた小説があったとするでしょう? その小説を読んだ誰もが、『この作者は非常に新しい考え方をもつ人に違いない』とイメージする。だけど、現実の作者は実はものすごく保守的な人間だったりする」
有島がうなずいている。この説明は今のところ腑に落ちているようだ。
「そうやって、物語から想起される『作者』、だけれども現実の『作者』と等しくはない『作者』。それがあたしよ」
「ふむ」と有島がうなった。
【「ふむ」と私はうなった。今の説明は比較的分かりやすい。相変わらず頭は混乱状態であるし、動悸も収まらないが、少なくとも話者が言わんとするところは理解できた。
「ほら、今度はあんたの番」
促され、もでる読者が困った顔をする。
「ええ、俺こういうの慣れていないからなあ」
「いいから」
話者の話を聞いて、おおよその予測はついている。話者が「物語から想起される作者」なのだとしたら、もでる読者は「物語から想起される読者」といったところだろうか。
「俺は、何ていうのかな、読者において想定される反応の集合体、みたいな?」
話者が吹き出す。
「どうして笑うんだよ」
「さっきあんたがあたしに何て言ったか覚えている? 『不親切な大学教授』よ。その台詞、そのままお返しするわ」
なかなかに皮肉をきかせている。もでる読者も眉根をひそめた。
「あー、もう、たとえば小説の中で、一つサプライズがあるとするだろう?」
「さぷらいず?」
思わず聞き返す。耳にしたことのない言葉だ。英語だろうか、蘭語だろうか?
「びっくりするような展開だよ」
それなら分かる。小説の中で驚くような展開がある。ふむ。
「そういう場面を、平坦な文章で書くことってあんまりないだろう? ちょっと引きを作ったり、表現をドラマティックに――あー、劇的にしたりとか。そうすると、読み手も暗に『ここは驚くところですよー』っていうメッセージを受け取るわけだ」
どらまちっく? めっせーじ? よく分からない言葉も出てきているが、なんとなく理解することはできた。要は小説の山場となる部分で、表現技法が凝らされているという話だろう。
「つまり、小説を読む中で、『理想的な反応』が示されているわけだ。読み手は、それに沿って驚いてみたり、逆に斜に構えてみたりすることで、読書を楽しむ。もう分かるだろう? 物語から想起される理想的な反応、それが俺だ」】
話者とモデル読者の言わんとするところはおおよそ理解した。つまり、ここは物語の少し外側であって、だけれども「作者」や「読者」のいる現実からすると少し内側になるのだろう。
それで、だ。まだ確認せねばならぬことがある。吾輩は一石を投じることにした。
「この後は、どうするべきだろうか?」
話者とモデル読者は押し黙る。有島も、顔つきが一気に険しくなった。ずっとこのままここで仲良く、というわけにはいかないだろう。
「あたしは、本物の創造主ではないけどさ」
話者の口調は不機嫌そうだ。
「それでも、ここで創造主の真似事のようなことをしているわけ。モデル読者に『その展開は不親切だ』とか『読者が付いていけない』とか散々言われながら、コントローラーを握って物語世界をコントロールしている。ま、すべてをつかさどっているのは『作者』だから、あたしなんかはコントロールしているつもりなんだけどね」
一世代前の宗教を思い出す。すべては神のお導きだと言いつつ、自分の人生を自分で切り開こうとしている人間たち。コントロールしているつもりになっているだけなのだ、と自覚しつつコントローラーを握る彼女はどんな思いなのだろう?
しかしそれは吾輩と有島に関係のないことだ。重要なのは、これから我々がどうすべきか、なのである。
ここで、話者とモデル読者が目配せし合った。そのまま我々に背を向け、何かを相談している。少なくとも、吾輩と有島にとって良い話ではなさそうだ。
吾輩も有島と会議といきたいところだが、タブレットはモデル読者が持っている。結局のところ、我々は待つしかないのだ。
やがて、二人はこちらへ向き直った。
「同じ話ばかりして申し訳ないけれど、ここであたしと彼はずっと物語を描き続けてきたの。それが『つもり』であったとしてもね。だけど、描かれるはずだった物語が、ここまでめちゃくちゃにされてしまった」
彼らの心情は理解できなくもない。そして、その原因と言えるのはただ一つだ。
「あの雀を捕まえてちょうだい。あいつが何者で、どんな目的で物語を破綻させたのか、それを解決するのが第一よ」
話者とモデル読者からすれば、至極真っ当な発想なのだろう。しかし、吾輩と有島にしてみれば、「なぜ吾輩/私が?」という状態である。雀一匹とは言え、場合によっては危険にさらされるかもしれないのだ。相手は物語を改変できるのだから。
吾輩はそれを主張しようとした。しかし、それは許されなかった。
モデル読者が、吾輩の首をつかんで持ち上げたのである。抗議の声を上げ爪を振るうが、どうにも届かない。
話者が有島の座っている椅子をつかんだ。車輪を利用して、勢いよく滑らせる。
有島が押しやられている先は、我々の出てきた箱だ。
箱は半透明で、内側から破られた状態のままわずかに水を垂れ流している。孵化の後に残された繭のようだ。
繭の奥には、太いパイプのようなものが続いている。吾輩と有島は、この管を通ってここへ運ばれたのである。
「悪く思わないでよ。あたしたちはどうあがいたって、向こう側に行けないんだから」
「そうそう。とりあえず、ウォータースライダーを楽しんでくれ」
話者たちがしようとしていることを察した有島が、椅子から立ち上がろうと抵抗する。しかしもう遅い。
有島は椅子ごとパイプへ放り込まれ、続いて吾輩も暗い管の中へと投げ入れられた。
禍々しい水流に乗って、我々は物語世界へと流されていく。
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