第2話 隠れてツッコミを入れるみつなさん


 ツッコミを入れずにはいられない、だけどその姿を誰かに見られたくない。そんなお淑やかで恥ずかしがり屋の女の子、込枝みつなさん。

 唯一、クラスで僕だけがその秘密を知ってしまい、彼女は僕にだけツッコミを入れてくる。


「いま、いいですか?」


 休み時間、みつなさんが僕の後ろを通り、他の人には聞こえないような小声で呟いた。

 僕は小さく頷き、みつなさんとタイミングをずらして廊下に出た。そして急いで階段へと向かう。するとそこでみつなさんが待ち構えていた。


「さあ、早くこちらに。いま誰もいません。この時間にほとんど人が来ないのは調査済みです。……こほん。申し訳ありません、呼び出してしまって。でもどうしても我慢できなかったんです。君にはわかっていますよね? その理由」


 心当たりがあるようなないような。

 だけどみつなさんは僕の答えを待つ気はなかった。ススススッと近寄り耳元に手を当てる。


「君、なんで先生をお兄ちゃんって呼んじゃったん~!? ママとかお母さんならともかくなんでお兄ちゃん? いやママとかお母さんでもあかんけど! 男の先生やし! みんなぽかんとしとったで! え、本当のお兄ちゃん? あんまり似てないよね? みたいな空気になったやん! ていうか先生も誰が兄やねんってすぐツッコめや! フリーズせんで! どうした、寝ぼけてるのか? なんて微妙な感じで応えるから余計ややこしなってん! ねぇ、本当にお兄ちゃんじゃないんよね?」


 もちろんだ。どうして先生をお兄ちゃんって呼んでしまったのか自分でもわからない。

 僕に兄はいないのに。


「って、そもそもお兄ちゃんいないんかーい! それで呼んじゃうってウケ狙いだったん? みんな反応に困っとったからボケとしても微妙やけど! それともなに? お兄ちゃん欲しかったん? そういう願望があったん? 先生をお兄ちゃん視しちゃうのも失礼やけどな。でもそういう理由なら千歩くらい譲ってギリわからんでもない。どうなん?」


 いや、そうでもないかな。お兄ちゃんが欲しいと思ったことはないかも。

 なんかボケッとしてたらついそう呼んじゃったんだ。


「――は? お兄ちゃん欲しいと思ったことないんかい! だったら尚更や! つい呼んじゃうことなんかあるわけないやろ~!

 あーもー、前から思ってたけど君、天然すぎ! 君を見てると私のツッコミ欲が止まらん。私がこんな風にツッコミ入れちゃうの、絶対君にも責任あるからね?」


 僕に責任って……なんでそうなるんだろう。僕は普通にしているだけなのに。


「残念ながら、普通じゃないんよ、君。ツッコミどころ多すぎなの。わかって? ね? もうちょい自覚しよ? それにな、今日はもう一つあるんやけど――」


 そこでみつなさんは静かに離れる。


「人が来ました――。君に先生から伝言があります。宿題の提出がまだなので今日中に、と」


 ちょうど廊下の方から生徒が数人やって来た。事務的なやり取りが耳に入ったのだろう、特に気にせず通り過ぎていった。


「ふぅ、やり過ごせましたね。学校ですから、通行人がゼロにはなりません。ですが短い休み時間ではこのくらいの移動距離じゃないと間に合わなくなります。ツッコミが」


 確かに違うフロアに行ったりすると移動だけで時間がかかってしまうし、誰かに見られた時の言い訳が難しくなるだろう。


 みつなさんは念のため廊下を確認してから再び僕に近付いて、耳元に手を当てた。


「時間がありません。続きいきますよ――今日はもう一つ! その次の授業! 英語だったのになんで数学の教科書見てたん? 現代文と古文とか、数学と物理とかなら――普通ないけど――まだわかる。でも英語と数学やで? ありえへん。しかも五分くらい気付かなかったやろ。真面目に授業聞いてない証拠やん!」


 そのことか。実は僕もどうして間違えたのか不思議で。先生をお兄ちゃんと呼んじゃったこと以上に不思議だったのだ。


「ふんふん教科書間違えた理由を考えてた? 5分間も? いやとりあえず英語の教科書出さな! 授業始まってるんやから! 理由なんてそのあとでもええやろ! てか先生お兄ちゃんて呼んだ時よりも不思議だったってそんなわけあるかい! お兄ちゃんのが謎や! どんだけ自然だったんお兄ちゃん呼び!」 


 言われてみればぼうっと考えている場合じゃなかった。反省しなければ。


「そうそう反省せな。先生に申し訳ないやろ。ていうかバレてたら大変やったで。英語の先生優しいけど怒ると恐いて噂あるしな~。違う教科書見てたなんて、さすがに雷落ちてもおかしないで。見ててヒヤヒヤしたんやからね? 私にも謝って欲しいわ」


 それは申し訳ない。でもみつなさん、よくわかったね。僕が教科書間違えたの。


「え? 教科書間違えたのよく気付いたね……って、そ、それは……! 私が斜め後ろの席でどうしても視界に入るから! べべべ、別に君がボケるのを期待して見ていたわけじゃないからね!? なにか面白いことしないかなって目で見てたりしていません。私はそんなことしませんからね?」


 そっか、そうだよね。そうだった。


「わ、わかってくれました? なら……いいんよ、うん。ああもう時間足りん……ツッコミ足りん。いままでどうやって我慢してたのか、もう思い出せん……。はぁ、教室もどろか」


 身体を離すみつなさん。

 歩き出した彼女の背中に、僕はある疑問を口にした。すると、


「はい? 提出してない宿題ってなんのことか……ですか? ――――あれは誤魔化すための方便やっ」


 わざわざ戻ってきて、耳元でツッコミを入れるのだった。



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