ツッコミを入れる時は耳元で。込枝みつなさん
告井 凪
第1話 耳元でツッコミを入れるみつなさん
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
学校の昇降口で僕に挨拶してくれたのは、クラスメイトの
切れ長の目を細めて優しく微笑み、小さく会釈。セミロングの真っ直ぐな黒髪が肩から零れ落ち、朝日に照らされて輝いた。
僕もおはようと挨拶を返し、上履きに履き替える。
「せっかくですので、教室まで一緒に行きましょう」
いいのかな、僕なんかと。僕は躊躇ってしまう。
みつなさんはどこぞのお嬢様かと言わんばかりの容姿と雰囲気を纏ったお淑やかな女の子だ。早めに登校したから周りに生徒は少ないけど、教室までとはいえ僕なんかと一緒に歩いて大丈夫なんだろうか。
「え? 一緒に教室に入ったらなにか言われるかも、ですか? ……私たちクラスメイトじゃないですか。昇降口で会って、共に教室へ向かうのは自然なことです。おかしなことはありませんよ。――ふふ、意外と心配性なんですね」
そうかなぁ、僕の気にしすぎかなぁ。
でもみつなさんがそう言うなら、一緒に行こう。僕は靴を出して履き替えようとする。
「あっ――」
するとみつなさんが小さな声をあげて、ススススッと静かに側に寄ってきた。
そして僕の耳元に手を当てて、
「なんでまた靴出してるん!? もう上履き履いてるやんー! なんなんもう帰るの? 来たばっかなのに帰るつもりなん?」
あ、うっかりしてた。
「うっかりしてたて、そういうレベルちゃうやろ~! なんでやねん、普通間違えへんよ! いま上履き履いたのにまた外履き履くってやばすぎやろ。ほんま君は――もうっ!」
朝から絶好調だなぁ、みつなさん。
僕はごめんと謝って、何故か出してしまった靴をしまい直す。
するとみつなさんは身体を離し、
「謝らなくていいです。早く行きましょう。……朝から絶好調? 私がですか? いったい誰の……っ! ――さ、さすがにもうツッコミませんよ。
はぁ……この君との関係も、もう二週間になりますね。私はあの時のこと、決して忘れることができません。あれはとても衝撃的でした……」
みつなさんが言う二週間前の衝撃的な出来事。言われて僕も思い出していた。
*
二週間前のこと。
放課後、僕は一度家に帰ったのだけど、忘れ物に気付いて学校に取りに戻る。幸い家が近く、日が暮れる前に戻ることができた。
そして教室に入ると、一人帰り支度をしているみつなさんがいたのだ。
「あら? お疲れ様です。部活ですか?」
いや、僕は帰宅部だ。彼女に忘れ物を取りに来たことを伝える。
みつなさんこそ部活だろうか。なにかに入っているという話は聞いたことがないけど。
「忘れ物ですか? すみません、この時間は部活終わりの人が多いので勘違いしてしまいました。一旦お家に帰られたのなら、戻って来るのは大変だったでしょう。
……私ですか? 私は図書室で本を借りていたんです。迷ってしまって、こんな時間に」
図書室で本を……みつなさんらしい。僕は図書室に行ったことがなかったので、その話を聞いて興味を持った。
「どんな図書室なのか、行ったことがないから教えて欲しい? そうですね……まず当然ですが、町の図書館に比べたら蔵書は少ないです。シリーズで続編が欠けているものもありますね。そういった不便はありますが、それでも私はここの図書室の本を借りたいんです。先輩たちが読んできた本を私が読む。リレーのバトンを受け取ったような感覚が嬉しいんです。そしてそれは次の生徒へと受け継がれていく。そう考えると、なんだか感慨深いと思いませんか?」
なるほど、と僕は感心した。さすがみつなさん。僕なんかとは感性が違う。
でも僕が教えて欲しいのはどうして迷ったのか、だった。それは教えてくれないのだろうか。
「か、感心した……? やめてください、そんな大したこと言っていませんよ。……でも、ありがとうございます。今更ですが、少し恥ずかしいですね。こんな話、初めてしました。
え? 迷った理由、ですか? ふふ、蔵書は多くないと言いましたが、どの本を借りるか悩むくらいにはありますよ。……ん……? 図書室の広さですか? 普通だと思いますが……。
本は少ないのに広いのかと思った……? あの、いったいなにを……」
みつなさんは目をぱちくりして僕を見つめてくる。なにかおかしなことを言っただろうか。迷った理由を聞いただけなのだけど。
一瞬の沈黙のあと、みつなさんが話の食い違いに気が付く。
「もしかして――もしかして、もしかして? 図書室が広くて出口に迷ったと、思ってます?
――――って、ちゃうわ~! 借りる! 本を! どれにするかで迷ったの! 図書室で道に迷うわけないやろー! どんだけ広いと思ってんねんうちの図書室! 迷路じゃないんよ? どんな方向音痴でも迷わへんよ、普通!
――――はっ!」
今度は僕が目をぱちくりする番だった。みつなさんは慌てて自分の口元を手で押さえ顔を青くする。
「っ……い、いまのは~~! わ、忘れてください! お願いしますっ!」
いまのを忘れるのは難しいな……。
それでもわかったと言ってあげればいいのに、僕は正直に首を横に振ってしまった。
「無理ですか……忘れられませんか……で、ですよね~……。え? すごくいいツッコミだった? ありがとうございます……。
……実は私、誰かのボケにツッコミを入れずにいられないんです。家では家族に容赦なくツッコミまくりです。だけど外では……恥ずかしくって。ツッコミを入れているところを絶対に見られたくないんです。だからいつもは我慢してるんですよ。
でも……でも! いまのは君も悪いですっ。あんなボケ、突っ込まずにいられないじゃないですかっ。昼間堪えていたツッコミ欲がすべて噴き出してしまいましたよ!
うぅ…………お願いです。どうか、このことは誰にも言わないでください」
忘れることはできないけど、黙っていることはできる。僕は頷いた。
「絶対誰にも言わないって約束する……うぅ、ありがとうございます。本当にありがとうございます。君が優しい人でよかったです……。あ、あの。実はもう一つ、お願いしたいことがあるんですが――」
*
こうして、僕は込枝みつなさんの秘密を知ることになった。
約束通り誰にも話していない。僕は口が堅い。
そしてもう一つのお願いも、継続している。
「二週間前のこと、いま思い出してもとても恥ずかしいです。家族以外では初めてだったんですよ。見られるのも……ツッコミを入れるのも。
でもそれ以上に、どうしても忘れられないんです。約束をしたそのあとのことが衝撃的過ぎました。思い出す度に堪えきれなくなります。あの日、君が教室に戻って来た理由――」
彼女はそこまで言うと、また僕の耳元に手を当てる。
「――忘れ物が通学鞄とかありえへんから! 普通忘れないやろ~! しかも家に帰るまで気付かないとかどういうことやねん。よう手ぶらで帰れたなぁもう」
秘密を知った僕にだけツッコミを入れさせて欲しい。
誰も見ていないところで、こっそりと。
それが彼女のもう一つの願い。
込枝みつなさんは今日も僕の耳元で囁き、ツッコミを入れるのだった。
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